シングルス2開始前にぽつりぽつりと増えてきた雲は、少しずつだけど、姿を増していった。

樺地くんがようやく手塚くんの脅威の技、『百錬自得の極み』をコピーした、まさにその時。

雲はいつの間にか空全体を覆い、突然降り出した雨。

降りだしてからすぐに強くなったその雨は。

「ゲームセット!ウォンバイ 青学手塚!」

青学を応援する、雨だった。






「樺地くん、お疲れ様」

「…………ウス」

帰ってきた樺地くんは、いつもとほとんど変わらない表情……ううん、少しだけ、悲しげに、悔しげに見えた。

「……ほら、体冷やさないように!ただでさえ汗かいてるのに、雨まで浴びちゃってるんだから、風邪引いちゃうよ」

「……ウス」

「1年生、ごめん!大きいタオル、取ってくれる?」

「あ、はいっ!」

取ってもらったタオルを樺地くんに渡す。
ペコ、と頭を下げた樺地くんにいえいえ、と言いながら、空を見上げた。

先ほどまでは青空が見えていたとは思えないほど、灰色の雲が一面に広がっている。
上を見上げれば、容赦なく目に入ってくる雨。まともに目を開けていられない。

「……すごい雨……」

呟く声すら、かき消されるほど激しい。
濡れて額に張り付いた髪の毛をどけると、ぽむ、と後ろから頭を叩かれた。

「この位の雨、どってことねーよ。……行ってくる」

叩いたのは、ラケットをいつものように指に立てた亮だった。

「えっ、あ、ちょっと、亮!」

さん、応援よろしくお願いしますね」

「チョタまで!」

ニコリと微笑んだチョタは、先にコートに向かって歩いていった亮を追いかけていく。
2人が向かったコートの脇では、審判団が集まって話し始めていた。

だけど、それを知ってか知らずか―――知っていても敢えてやるのか、亮はコートの中央で、声を張り上げた。

「次ぃ―――!コート入れや!!」

亮の気迫に、氷帝サイドの応援も便乗する。

「氷帝!氷帝!氷帝!氷帝!」

ザァァ、と降りしきる雨にも負けない声援。

……だけど、この雨は酷すぎる。
亮はどってことないなんていうけど……実際はかなり酷い。
いくら天候にあまり左右されないオムニコートだからと言っても、この雨じゃ流石に厳しい。

審判団も、同じ判断を下したようだ。

「青春学園vs氷帝学園の準々決勝、只今を持ちまして、雨による一時停止試合とします!」

放送が流れ、続きは翌朝の9時から始める、ということも伝えられた。
やる気満々だった2人は面白くなさそうだったけど……この雨じゃ無理だよ!

「亮、チョタ!風邪引くよ!」

声を掛けると、渋々戻ってくる2人。ようやくラケットをバッグに仕舞いはじめ、片付けの準備に入る。
私もスコアブックが濡れないように体で守りながら、適当にそこら辺にある荷物をかき集めて持った。

よし、と気合いを入れて立ち上がろうと腰を浮かせたら、グイッと手を引かれて、少しだけ体が軽くなる。

「!……景吾!」

いつの間にやらすぐ側にやってきていた景吾は、私を立たせて支えてくれた。
大丈夫だな、とでも言うかのように、ぽんぽん、と肩の辺りを叩く手。
その手はすぐに私の手を強く握った。

「行くぞ!」

景吾の一声で、みんなが一斉に撤退を開始した。
コート以外のところは、天然芝。すでにそこは雨を十分に吸って、ベチャベチャになっていた。
1歩歩くごとに、水を吸った地面が大きな音を立てる。
非常に歩きづらいことこの上ないし、歩き方がどうにも不自然になってしまうので、最大限に注意を払って、地面ばかり見て歩いていた。

「……勝つのは俺達氷帝だ」

前を見てなかった私の耳に飛び込んできた景吾の声に、ハッと顔を上げた。
すぐ前に見えのは、まっすぐ前を見ている景吾の姿。
そして、景吾の向こうに手塚くんが見えた。

「明日まで生かしといてやる。雨に……助けられたな」

すれ違い際にそう呟き、ふっと笑った景吾。
手塚くんを横目で見てから、前へ進んだそのときに。

バシャ、と音を立てて、景吾の前に小さな影が立ちふさがった。



「いーよ、やろうよ!」



景吾よりも、私よりも、頭1つ分低い身長のプレイヤー……リョーマは、利き手にラケットを握り、不敵な笑みを浮かべた。
景吾は手塚くんからリョーマに視線を移し、じっと見つめ―――そのまま、歩き出す。手を引かれている私は、そのままくっついて歩くことになった。

「それとも、逃げ……」

「……口の減らない新入生だ」

景吾はそう一言残し、コートを出る。
前をまっすぐ見たまま歩く景吾。彼に手を引かれながらも後ろが気になり―――1度、私はコートを振り返る。

こちらを見ているリョーマが、やけに大きく見えた。






全員がびしょぬれだったので、着替えたらすぐに解散となった。
早く家に帰って、シャワーなりなんなりであったまってもらわないと、ってことでね。

そんなわけで、私たちも早々に帰宅。

「おかえりなさいませ、景吾様、様。お風呂の準備は整っております。さ、早くお体を温めてくださいませ」

すでに連絡は入っていたのだろう、玄関先で宮田さんが待っていてくれた。

、お前、先入れ。風邪引く」

「景吾も同じでしょ。それより景吾が先に入ってきなよ。明日試合ある人のが優先!」

「バーカ、そんなの関係ねぇよ」

「関係あるよ。いっつも景吾が先なんだし、ほら、行ってきて!」

「だから……あぁ」

濡れて重みを増しているバッグやらをメイドさんに渡しつつ、景吾が私を見る。
……その顔は、ニヤリと何かを企んだ顔で。

イヤンな予感がする……!

「一緒に入るか」

「入らないッ!(即答)」

イヤンな予感、的中(泣)

ちょっ……景吾さん、大勢の方の前で何を言い出すのよ!
宮田さんも!微笑んでないで、なんとか言ってやってください!この中学生にあるまじき発言を止めてください!1つ教育的指導をお願いしたい!

「なんだよ、別にいいじゃねぇか。今更だろ」

「コラー!!!……〜〜〜いいから、さっさと景吾はお風呂入って来て!」

「なんだよ、お前も来いよ」

「誘わないで!(泣)早く入って来て!」

「…………ちっ」

舌打ちするなー!(絶叫)

…………まったくもう……!
ようやく背を向けて、お風呂場に向けて歩き出した景吾さんの背中を見て、息を吐いた。あのエロ具合は、誰が教育したのですか……!

色々と疲れを感じながら、私は階段を上がることにする。

と。



また景吾さんからお声が掛かった。
今度は何…………。

ゆっくり振り返ると、少し離れたところで笑う景吾。

「……寂しくなったら、いつでも来ていいからな。……大歓迎だぜ?」

「行きません!(泣)足もあっためちゃいけないし、シャワーで十分です!」

クツクツと笑う景吾が去っていくのを見て、もう1度ため息をついた。






シャワーを浴び終わり、部屋で足の処置をしていると。

、入るぞ」

こちらの許可を得る前に、景吾が入ってきた。
ベッドの上で足に湿布を貼っている私を見ると、少し顔をしかめる。

「……全然腫れが引いてねぇな」

「まだ1日だからね……昨日今日ですぐ治るもんでもないから、仕方ないよ。……ん、と……」

「貸せ」

包帯を巻こうとしてたら、景吾さんがサッと取って行ってしまった。そして……またもや包帯ぐるぐる巻きの刑に……(泣)

それでも止めることは躊躇われて、じっと細くて長い指が動くのを見つめるだけになる。

「…………おそらく」

「ん?」

そのままぼーっと指を眺めていたら、景吾がぽつりと呟いた。

「…………おそらく、明日のシングルス1は、越前だ」

包帯を見つめながら呟く景吾の表情は、こちらからは読めなかった。

「………………うん」

「…………あの1年坊主が、とうとうここまできやがった」

「………………景吾、わかってると思うけど……リョーマは、強いよ……?」

「……あぁ。あの1年は、あなどれねぇ。……だが」

きゅ……と包帯を巻き終わった景吾が、私を見上げる。
しっかりとした視線には、いつものとおり、強い光。

「……あいつはまだ、手塚の域に達してねぇ。……それをまず、わからせてやらねぇとな」

「…………景吾」

「俺は、二度とお前に無様な姿は見せない。……だから」

足に触れていた手が、ゆっくりと頬に添えられた。

「…………明日は、俺を見てろよ」

「………………うん、見てるよ」

明日。
明日で全てが、決まる。



「…………たださ、景吾さん」

「……あーん?」

「これはね、やっぱりちょっと巻きすぎだと思うの……」

ぐるぐるに巻かれた包帯は、前に巻いてもらったものより凄い。

「オマエにはこれくらいでちょうどいい。今日も暴れそうだったしな」

「暴れ……ひど……あぁ、それからね」

「なんだ、まだなんかあんのかよ」

「…………お口には気をつけましょうね」

「………………あぁん?」

不思議そうな顔をする景吾は、やっぱりこの意味をわかっていなかった。




NEXT