夏期練習は、ポカリの消費量が半端ない。

夏休み前の、授業が終わってからの夕練でさえ、ポカリの消費量は半端じゃなかった。

それが、真昼間の、それもカンカン照りの太陽の真下での長い練習時間だとどうなるか。

いつも使用しているタンクと、以前に立海との合宿で使用した、どでかいタンクも引っ張り出して使ってるけど……足りるはずもない。
だからどうしても、遠く離れた水場まで、何度か注ぎ足しに行かなければならない。

「あっつ〜……」

練習終了まで、後1時間強。
まだまだ消費する時間帯だ。注ぎ足しに行かなければ。

大きなタンクを手に持って、汗をだらだら垂らしながら、コートを突っ切った。






水場があるのは、部室棟の近く。
正直言って、部室棟とテニスコート、離れすぎ!コート脇に水場を作っていただきたい……!(切願)意見書でも作ってやろうかな……!
とにもかくにも、そんなことを言っていても、今の長い道のりが短くなるわけじゃない。えっちらおっちら、タンクを抱えて走る……走る……走る!(泣)

バスケ部の掛け声が聞こえる体育館脇を通り抜け、ようやく水場に到着。
タンクを地面に下ろして、蓋を開けた。
まずはポカリの粉を適当に入れる。
次に、蛇口を勢いよく捻ると、ザバーッ!とものすごい量の水が一気に出てきた。
水の勢いで飛び跳ねる水しぶき。微かにそれを体に浴びて、少しだけ息をついた。水を入れてる間は特に何も出来ないから、パタパタと手で風を起こす。

「ふぅ〜……」

ずっと動きっぱなしの1日の中での、僅かな休息。
気を抜いた、その瞬間だった。

「!?」

急に口がふさがれた。
抵抗する間もなく、目と口を布が覆う。

「……うーっ!ふっ……んーっ!!!」

―――3月に起こった、あの出来事を思い出した。

力いっぱいの抵抗をしようと、バタバタ手足を動かしたけど、姿の見えない襲撃者に、あっさりと止められる。
目が見えない分、恐怖が大きかった。

「うーうー!(はなせー!)」

抵抗していた手足はあっさり捻られ、関節が微かに軋む。
思わず痛みに動きを止めたら、ぐぁっと地面から浮き上がった。抱え上げられたのだろうか。

「!?んー!!」

再度バタバタ暴れると、案外すぐに放り出された。だけど、何か椅子のような感触を頬に感じ―――バタン、と車のドアが閉まる音がした。微かに体に感じる圧力からして、どうやら車に乗せられたらしい。

目が見えない状況、さらに、腕を掴まれている感触からして、近くには人間がいる。……それもおそらく、好意的ではない人間。
場所は車という、密室。逃げ出すことは、ほとんど不可能。

…………せめて、目が見えてさえいれば、状況が把握できるのに…………!

目が見えない、声も出せない、手を掴まれている。八方塞もいいとこだ。
小さくため息をついて、勢いを増している心臓を落ち着かせようとした。

―――大丈夫、この前みたいには、絶対にならない。……なってやらない。

ここ数ヶ月で、少しだけ成長した私の心。
今はただ―――自分が状況を把握できるようになるまで、じっと耐えるのみ。
それが、今の私に出来ること、だ。







そんなに長い間ではなかった。
正確な時間はわからないけれど―――時間にして、多分15分くらい。

車が止まったらしく、微かなブレーキ音が耳に入った。
目が使えない分、耳に最大限の集中力を使用する。
バタン、というドアの開閉音がして、ぐいっ、と引っ張り出された。

荷物を運ぶような形なのだろう、私は自らの意識とは反して移動させられていた。
少し暴れてみたが、不思議なことにあまり抑えられてる感じはしないのに、全然体を動かすことが出来なかった。

ガチャ……キュッ……。

先ほどから、耳に入ってくるのは、驚くほど無機質な音ばかりだ。
誰も一言も話をしないから、まだこの人たちの声も聞いていない。声が聞こえないから、何人の人が周りにいるのかも把握できていなかった。

階段を上っているのだろうか。上下にゆれる感じがする。
しばらくして―――再度、扉の開く音。

……ドサッ。

少し宙に浮く感じがして、何かやわらかいものの上に落ちた。ようやく、開放されたらしい。
手や足は縛られてはいなかったから、まずはすぐに目隠しや猿轡をとった。

一体どこに連れてこられたのだろう。

どんな状況なのだろう。

ちょっとした覚悟と共に、急に開けた視界の眩しさに目を細めながら周りを見た。


ら。


「やぁ」


エセ貴族風な男が目の前にいました

皮製のソファーに身を沈め、ビラビラ〜でキラキラ〜な服に身を包んで、悠然と座る男。……おぉう、服のセンスが微妙に景吾さんに通じるものが……?
そのビラビラ〜な男が、なぜだか親しげに、片手を上げ、微笑んでいた。






っていうか。





………………………誰?(疑問の目)





「ようこそ、さん」

見たことある顔の……ような気がする。
あ、そうだ……学校!学校で見たこと、ある……学校じゃ、こんなビラビラ〜な格好じゃないから、イメージと結びつかなかったんだ。
ん……?ってことは、この人、氷帝の人……!?

頭の中で色々な情報を整理して、もう1度その男の顔を見る。

「どうやら、理解してもらえたようだね?」

いえ、全然理解出来てません。……とりあえず。どなたでしょうか?」

大真面目に聞くと、その見たことある顔の人は、ひくり、と頬を引きつらせた。
あれ、もしかしてまずかったですかー……!?え、不用意な一言が、私の今後を左右しちゃったりとかしますか……!?

「D組の有野田……といえば、わかるだろう?」

自信満々な態度だけど……私は、記憶の奥底まで思い起こさなければならなかった。
……D組……D組……アリノダ?……でも名前は聞いたことある……そうだ、確か、跡部家と同じくらいの家柄で……それ以外にも、つい最近、名前を目にしたことが……。

「あー……テストの順位発表でいっつも景吾の隣に名前がある人だ」

ひく、とまた頬を引きつらせた、アリノダくん。アリノかノダかどっちかにすればいいと思う。
そうだそうだ、毎回そう思ってたんだ!テストの上位者発表の時!
景吾の隣にいっつも名前があるってことは……ひぇ〜、学年2位の頭の持ち主!すごすぎ……!

「……それはなにか?僕が跡部にいつも負けてるって言いたいのかな?万年2位だと?」

「は?そんなこと誰も言ってないけど……?」

何この人!被害妄想MAXの方……!?
ちょっと頭がいっちゃってるんだ……おぉぉ、最近は変な人が多いね……私も含めて、とかそういうのは置いといて。
きっちり聞いておかないと、ね。

「…………で?この状況、説明してもらえる?私なんか誘拐して、どうするつもり?」

身代金目的じゃない。だって、跡部家と肩を並べるグループなら、お金なんてそれこそ有り余るほど持っているだろうし。

精一杯睨みつけると、有野田がふ、と鼻で笑った。

「誘拐とは人聞きの悪い。ちょっと遊びに来てもらっただけだろう?このとおり広い部屋に、快適な空間。僕は君を拘束してもいないし、こうしてほら、ご馳走も用意している。まぁ、ちょっと強引な招待になってしまったのは認めるけど、ね」

「ちょっと強引?拘束してない?……そりゃ、黒ずくめの男の人がズラッと並んでたら、ロープとかいらないでしょうよ……」

「ははっ、まぁ、彼らをどう捉えるかは、君に任せるよ」

それは脅しと言うんだよ……という言葉は飲み込んでおく。
……下手なこと言ったら、まずそうだし、ね……。

私の心を読んだかのように、有野田が少し目を細めてイヤ〜な笑みを浮かべた。

「……落ち着いてるね」

「景吾と一緒にいるって決めたときに、色々と覚悟したからね。……色々と」

女子生徒とのこととか……こーゆーこととか。

今だって、内心はバクバク言ってる。けど、はったりかまさなきゃ。……飲まれて動けなくなったら終わり。
テニスの試合と一緒だ。フリでもいい。『冷静』であることを相手に見せ付ける。自分は、相手と対等の気持ちでいるんだと思わせる。動揺がバレたら、相手に付け込まれてしまうから。

「……面白いな。度胸あるね」

「全然嬉しくない。……で?何がしたいの?何が目的?」

「わけなんてたった一つさ。…………ただ、アイツの悔しがる表情が見たいんだよ」

「…………は?」

「いつもいつも僕より一歩先を悠々と歩く、あの男……!家柄や立場は一緒だっていうのに……アイツがいるおかげでいつも2位!僕は努力しているというのに、大して努力もしてない風なヤツが、いつも1位……あの常に余裕たっぷりな表情が、悔しげに歪められたところが、見たいんだよ」

どうやら、このビラビラ〜でキラキラ〜な服は、景吾へのライバル心かららしい。……そしてこの人、度を過ぎたヘンタイさん……?
……まぁ、確かに景吾さんは常に余裕たっぷりな表情だけど……時々、崩れるよ?そりゃ人間だもの。特にあの……あえて深くは言わないけど、あの時、とか……(ごにょごにょ)。
……でも、1つ解せない言葉がある。

「景吾があなたより努力してない、ってどうして言えるの?」

「……なに?」

「そりゃ景吾は、人より飲み込みが早かったりすることもあるけど……それでも、ちゃんと努力してるよ。勉強だってちゃんとするし(主に私が見てもらってることが多いけど)、トレーニング量なんて半端じゃないし(人前で絶対やらないけど)。……少なくとも私は、景吾の持ってるものは景吾が努力で手に入れた物だって思ってる」

一気にそこまで言ってから、1つ息を吐いて呼吸を整えた。

「アイツが努力?ハッ……嘘をつくのも、大概にしなよ」

「嘘なんてついて、どうすんのさ。……跡部景吾は、あなたみたいにちっさい男じゃないもの。人に努力する姿を見せて、どうこうしようなんて、思ってないよ」

「…………へぇ」

……今度は、目が細くなった上に、真剣味を帯びた。
跡部と同じような家柄で育ったのなら、それなりのものを身に着けているのだろう。威圧感がピシピシと伝わってきた。

……なんの!それくらいの威圧感、氷帝に入ってから慣れたもんよ!

「……君を傷つけたら、それだけでアイツの苦痛に歪む顔が見れるかな」

「おとなしく傷つけられると思ったら、大間違いだよ」

今までだって、傷ついてきた。
その度に、少しだとは思うけど―――強くなった。

視線がかち合う。
……逸らしてたまるか、絶対に私から逸らしてなんかやらない。



……かかってこ―――い!!!(違)



睨み合って、どれくらいだろうか。

なにやら、慌しい気配を感じた。静かな部屋の中に、どこかで会話をしている声が聞こえてくる。

ちっ、と小さく舌打ちをして、有野田が先に目を逸らした。
……ふっ……勝った……!(何)

「……もう嗅ぎつけたのか……相変わらず、嫌味なほど頭が回る男だな……」

小さくそう呟いて、頭を1つ振った。
仕草の一つ一つが、なにかしら芝居がかってるように見える。

「……仕方ない、行ってくるとしよう」

おーおー、行ってしまえ行ってしまえ!
君がいなくなってから、逃げる手段を考えるさ……!

「まぁ、逃げようなんて考えないことだね。……この部屋から出すなよ。逃げようとしたら、ベッドにでも縛り付けておけ」

結局拘束する準備だってあるんじゃん!と思いながら、黙っておいた。
ザッ、と黒ずくめの男の人が、1歩私に近寄ったから。

じゃあ、とまたあの、いや〜な微笑みを残して、有野田が部屋を出て行く。

残されたのは、映画に出てくるまんまの、サングラスに黒スーツのターミネーターみたいなSPばっかり。無表情でただ立ってる。……くそぅ、跡部家のSPは、笑顔の素敵ないい人ばっかりなんだぞ……!

じぃっ、とSPの人を見ながら考えた。
おとなしく捕まってるつもりなんてない。さっき有野田は、景吾が来た、みたいなことを言ってた。もしも景吾が来てくれたのなら、なおさら、おとなしくなんかしてられない。足手まといなんてごめんだ。

第一。



囚われのお姫様なんて、柄じゃないってーの!(鼻息)



せめて、景吾に私が今いる部屋を教えられたら。

でも、ここで騒いでも聞こえるなんてことはないだろう。
ターミネーター's(今命名した)に取り押さえられて、終わり、みたいな。

うーん…………。

……あれだ。とりあえず、倒れてみるか(え)

よくやってるもんね、マンガで。急病になったフリして……ってヤツ。
何が起こるかわからないけど―――とりあえず、必死で演技すれば、ここにいるSPが有野田に連絡くらい取るだろう。連絡を取ってる間に―――SPは5人。逃げられたら逃げるし、最低でも叫び声でもあげて、景吾に場所を伝えられればいい。

よし、物は試し。やってみよう。
……まぁ、失敗しても、ちょっと痛い目だと思うし!やれるとこまでやってみるべし!


すぅ、と息を吸い込んで、様子を窺う。

いきなり倒れたら……確実におかしいよな。
…………よし、まずはあのご馳走を食べよう。それが喉に詰まったフリ、とかで……。

かといって、食べ物に何か仕込まれていたらマズイから……1番手が加えられてなさそうである、ブドウに手を伸ばした。

SPは何も言わない。

ぱく、ぱく……と1つ2つ食べたところで。



計画、実行―――!!!




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