対峙した相手は、今までに見たことのない目つきで俺を睨んどった。 常に身なりは完璧なコイツには珍しく、ところどころ乱れた服装。 いつもの余裕は、影を潜め。 今にも溢れ出しそうな鋭い怒りが、抑えきれずに全身から滲み出ていた。 Act.24 微笑んで、くれるのならば 跡部を見ながら、後ろ手に扉を閉める。 玄関からリビングが遠いとはいえ、万が一にも―――会話が、コイツの声が、聞こえないように。 「…………どないしたん、跡部?」 笑みさえ浮かべて、俺は言うた。 何も、知らないかのように。 瞬間、跡部の腕がピクリ、と動いた。 俺は、来るか―――、と身構えたが、跡部の腕は、それきり動かんかった。 自分の内の何かを抑えるように、グッと拳が握られる。 「…………とぼけるな。…………いるんだろ?」 静かに。 静かに、跡部の声が、言葉を紡ぐ。 あえて、主語は言わんかった。 それでも。 『わかってるんだよ―――ここにがいるんだろ?』 そんな声が、聞こえてくるようやった。 「……クッ……」 急に笑いがこみ上げてきた。 …………先ほどと、同じ種類の笑みが。 瞬間。 カッ、と跡部の目が見開かれた。 今度こそ腕が動き出したのを見て―――俺は、素早く左手を挙げた。 繰り出された跡部の右の拳。それをすんでのところで、受け止める。 パシィッ……と、乾いた音が、響いた。 「……ッ……」 ギリ、と跡部が歯噛みする。 力任せに押され続ける拳を、こちらも力いっぱい押さえこんで―――静かに、答えを。 「…………おるで」 「……っ……出せ……ッ」 「………………………」 「…………貴、様……ッ……なんのつもりだ!?」 跡部の声に。 ―――とうとう、俺も、ブチ切れた。 キリ、と痛む胸を誤魔化すように、唇をかみ締める。 「…………なんのつもり、も何もあらへんわ……」 握り締めていた跡部の拳を、力いっぱい振り払った。 「なんのつもり?……それはこっちのセリフや!自分は何しとんねん、跡部!」 振り払うと同時に、己の右手を繰り出す。 普段なら掠りすらしないであろうその攻撃は―――俺の怒りを伴って素早さが増したのか、わずかに跡部の頬を擦る。 「あない笑っとる子が……辛いときも我慢して笑っとる子が、泣いとった!」 勢いに任せて、そのまま跡部の襟を掴む。 そう、ちゃんは。 俺の前で……泣いとったんや。 「……泣いた……?……、が…………?」 俺の言葉に衝撃を受けたのか、瞬間、跡部は怒りを忘れて目を見開き、小さく呟いた。 「……噂は噂やて、あの子はお前のことを信じとった。……せやけど、どーして後1歩、安心させてやらんかった!」 かなりむちゃくちゃ言うてる自覚はある。 せやけど、言わずには、おれんかった。 ギリ、と襟首を締め上げる。 「……そないなことしとると……」 「ちゃん……貰うで」 ハッ、と跡部がこちらを見る。 その目を深く見据えながら、俺は言葉を続けた。 「俺は絶対ちゃん泣かせたりせん。絶対に。いつだって守ってみせる。……跡部なんかより俺を選ばせ―――」 『選ばせてみせる』 言い終わる前に、グッ、と体が持ちあがる感覚。 跡部が、俺の襟首を掴み上げとった。 「…………もう1度同じこと言ってみろ」 冷たい瞳にちらつく、怒りの炎。 「…………殴るだけじゃすませねぇぞ……ッ」 「上等や……ッ」 ごくごく至近距離で、お互い、黙ったまま睨みあった。 ガチャ。 「ゆー、何、新聞屋に粘られ…………あら?」 長時間帰らない俺を不審に思ってか、おかんが呼びにきたらしい。 お互いの襟首を掴んだまま睨み合うとる俺たちを見て、素っ頓狂な声を上げた。 その拍子に、どちらからともなく、手を離す。 なんとも言えない空気に、バツの悪い顔。 「……あらあら、青春やねー」 「……オカン。すぐ戻る。やから、ちょお放っといて―――「おけるわけないやんなぁ?……な、ちゃん」 ハッ、とおかんの奥に目線をやれば―――目を伏せたまま立ち尽くしているちゃんが、おった。 「……ほな、後は若いモンだけでな」 ちゃんを、文字通り押し出すようにこちらへ向かわせると、オカンは静かにドアを閉めた。 「……っ」 ドアが閉まる前に、跡部が、動いた。 俺のことなんか、もうまるで眼中にない。 そして、ちゃんの名前を呼んだ声が―――安堵と、愛しさが入り混じったものやったから。 もう―――俺は、何も言うことができんかった。 「…………景吾」 ゆっくりと、上がる視線。 それをしっかりと捉えて、跡部は近づいた。 「お前には……色々言わなきゃならねぇことがある。……帰るぞ」 「あ……」 ちゃんの目がしばらく宙を彷徨って―――その後、覚悟を決めたように、しっかりと前を見据えた。 「……うん」 小さく頷き、『カバン、取ってくる』と扉の奥に姿を消したちゃん。 再び2人きりになった空間。 気まずい、沈黙。 「………………ちゃんと、説明したりや」 「…………わかってる」 一言だけそう交わしただけで、後はちゃんが戻って来るまで、何も話さんかった。 すぐにちゃんがカバンを持って現れる。 跡部の方へ行く前に、俺を見る。 ……視線が向いただけで、ドキリと心臓が跳ねた。 「ごめん。それから、ありがとね、侑士。…………おばさんにも、本当に突然お邪魔してごめんなさい、って……」 「あぁ、言うとく。……またおいで。オカンもまだ話したりないやろし」 「…………ありがと」 ニコ、と笑ったちゃんの笑顔は―――今度こそ、周りの人間も幸せになれる笑顔やった。 跡部が、スッと近寄ってくる。 「……行くぞ」 うん、と頷いたちゃんの手を、さりげなく繋ぐ。 ビクリ、と一瞬肩を揺らしたちゃんは―――それでも、抵抗せんかった。 跡部が俺とすれ違いざまに、ボソリと小さく低い声で呟く。 「……テメェには、渡さねぇ」 その言葉に、俺はハッと振り返った。 そこには、ちゃんの手を握り締めたまま、こちらを見据える跡部がおった。 「……何百回、何千回だって、俺を選ばせてみせる」 ギラリ、と睨まれ、俺は小さく肩をすくめた。 そのまま、車に乗り込む2人を見送る。 じゃあね、と、窓越しに手を振るちゃんに手を振り返した。 静かに立ち去った車を見て。 「…………切ないな…………」 きっと、報われないであろう想い。 それでも―――決して断ち切れない、想い。 本気の想い、というのを初めて知った。 「………………えぇ、か……」 それでも、笑ってくれるだけで。 「俺に、笑てくれるのなら……」 ―――それで、いい。 最後の言葉は、吐息と共に宙に霧散した。 NEXT |