「ふぅ……一段落、だね……」

すやすやと眠る我が子を見て、私は大きく息を吐いた。
景士が生まれて、1ヶ月が過ぎた。
オーダーメイドのベビーベッド(寝室だけじゃなくて、娯楽室にもある)で眠る景士は…………親馬鹿だけど、そりゃもう、天使のように可愛い。……というか、神のごとき美しさの景吾の子供だから、当たり前なのかもしれないけれど。

「……やっと寝たか」

ソファに座っていた景吾が手を引いてきて、隣に座らせられる。

景士は、普通の赤ちゃんに比べたら、泣かないほうみたいだ。だけど、それはあくまでも『平均に比べて』。
…………『赤ちゃんは、泣くのが仕事だ』といった人は、上手いことを言ったと自分を褒め称えたかもしれない。

起きてるときは、大概泣いてる。寝てても、何か些細なことで起きてしまうし(そしてやっぱり泣く)。
人の気配に敏感なのか、『寝たか』と思って、部屋の外へ出ようとしたとたんに、泣き出し―――その度に、慌てて戻って、もう1度あやすことも度々。

倒れるまでの睡眠不足ではないけれど。
……ソファでうとうとしたくなるくらいの、睡眠不足だ。

「……景吾、眠い……」

「……俺様もだ」

「…………少し、寝ようか……」

「賛成だ」

景吾にぐいっと肩を引き寄せられた。
手近にあったブランケットを引き寄せて、景吾と私の膝にかける。

「……じゃ、オヤスミ……」

「あぁ……」

景吾の低い声が耳元で聞こえてすぐ、私は夢の世界へ身をゆだねた。






「……景吾様……景吾様」

宮田の声で、俺は緩やかに瞼を上げた。
不快感を隠さずに、俺は宮田を睨みつける。

「……なんだ、宮田。急用じゃない限り、後にしろ」

「申し訳ありません、景吾様。お客様でございます」

「…………誰だ。どこかの社長だったら追い返せ。あぁ……日曜日にまで家に来るな、と言うのを忘れずにな」

「それが……お客様は、手塚様でございます」

もう1度瞼を閉じようとしたときに聞こえた名前に、パチリと目が開いた。

「……手塚?」

「はい。応接間にお通ししておりますが……」

「…………わかった。すぐに行く」

宮田が1度礼をして、下がっていく。
すー……と小さな寝息を立てて眠るを起こさないように、少し体を動かした。
俺に寄りかかっているかすかな重みが、言葉に形容しがたいほど愛しかったが、ゆっくりとその体を、ソファの背もたれに寄りかからせた。

音を立てずに立ち上がって、少し乱れた服装を整える。

部屋を出る間際に、もう1度と景士を見て、静かに扉を閉めた。





階段を降りてすぐの応接間。
そこには、ヤツらしく、キッチリとソファに座っている手塚がいた。

「よう、手塚。よく来たな」

俺の掛けた声に、視線を向けてくる手塚。こいつは、中学の時から変わらない風貌だ。……最も、中学の時が老けていただけに、今は年相応だが。

「……久しぶりだな、跡部。結婚式以来になるか」

「そうだな……半年ぶりくらいか」

「メディアなどではひっきりなしに取り上げられていたからな、そんなに会っていない気はしないが……大変だったようだな」

「……まぁな。色々あったが、なんとか今は落ち着いている」

ソファに腰掛けると同時に、メイドが紅茶を出してくる。それを一口飲み、怒涛のようなここ数ヶ月を思い起こした。
少しばかり意識を過去に流していたが―――手塚がたてたガサリという音に、意識を手塚に戻した。すっとなにやら包みを差し出される。

「今日来たのは、出産祝いだ。大した物ではないが……おめでとう」

綺麗に包まれたラッピングは、薄いブルー。丁寧にリボンまでかけられている。
……どんな顔してラッピングを頼んだか知らねぇが、なんとなく笑いを誘う。

「……クッ……ありがとよ。だが、よく家まで来てくれたな?万が一家にいなかったらどうするつもりだったんだ?」

「日曜日にお前が仕事を入れるわけがない。そして、まだ生まれて間もない子供を連れて、外に行くこともない。そう思って来た」

「……相変わらずだな、お前……それはそうと、確か一昨日までアメリカでツアー中じゃなかったか?」

俺の記憶では、一昨日、アメリカのツアーで手塚が優勝した、とテレビで報道していた。それを見ていたが、手放しで喜んでいたのを覚えている。

「昨日帰国した。アメリカでも、お前の息子誕生のニュースは飛び交っていたからな。帰国したら、まずは、と思っていた」

「おいおい、性別まで報道されてんのかよ?……ったく……まぁ、折角来たんだし、顔くらい見てけよ」

「あぁ……でもいいのか?……と一緒に寝てる、もしくは寝かしつけてる最中なんじゃないか?」

さすが手塚だ。察しがいい。
まぁ、最初にが俺と一緒に来ない時点で、あらかた検討はつけていたんだろうが。

「大丈夫だ。悪いが、2階に来てもらうことになるが」

「構わない。では、折角だ、拝見させてもらおう」

「あぁ。ついて来い」

立ち上がって、応接間を出た。
階段を上り、娯楽室の扉を開ける。

そこには、俺が出ていったときとまったく同じ格好で寝ている、と景士がいた。

「……おい、、手塚が―――」

「いや、起こさなくていい。疲れているのだろう?」

の肩に手を掛けようとしたところで、手塚がそれを制止した。
少し迷った末に―――手塚の言葉に甘えることにする。が疲れているのは本当だ。

「……悪いな。……こっちだ」

オーダーメイドのベビーベッド。親父とおふくろがわざわざ海外のデザイナーに作らせた、特注品だ。その中に、景士は寝ている。

「……おっと、目ェ覚ましてんのか……珍しいな、泣いてねェなんて」

ひょい、とベビーベッドを覗き込んでみれば、景士がぱっちりと双眸を開いて俺を見ていた。同じく、覗き込んだ手塚に気付いたのか、そちらにも視線を向ける。

「…………跡部にそっくりだな」

「見るヤツ全員にそう言われるぜ」

「名前は?」

「景士」

「……いい名だ」

手塚が少し景士に近づく。景士は、きょとんとした表情で、手塚を見つめていた。泣き出す気配はない。

「ちょっと待ってろ」

時計を外して机に置き、まだ座っていない首を支えるようにして、景士の体の下に手を差し入れる。
そして、ゆっくりと抱き上げた。

「……ほら、抱いてけよ」

「……いいのか?」

「構わねぇって。首だけは気をつけてくれ」

そっと手塚に景士を渡す。
大分俺は慣れてきたが―――手塚はぎこちなく、景士を受け取った。

「……軽いな」

「まだ4キロちょっとだからな」

「…………だが、本当によく跡部に似て―――……!?」

手塚の言葉が止まった。
どうかしたか、と思って景士の顔を覗き込んだら―――ふぇ……と景士の顔が歪み―――。

「ふぇぇぇぇぇっ!!!」

大きな声で泣き出した。

「わっ!?け、景士!?」

それと同時に、ソファで寝ていたが跳ね起きた。
景士が泣き出すと起きるのは、もはや感覚らしい。いつも寝起きが悪いだが、景士が泣いたときだけは、かなりのスピードで跳ね起きる。

おぼつかない足取りで立ち上がったのを見て、泣き出した景士の対処に困っている手塚に悪いと思いつつも、景士を預けたまま、俺はの元へと向かった。

「おい、大丈夫か?」

「わ、だ、大丈夫……それより、景吾、景士が……って……えぇっ!?な、なんで手塚くんがここに……!?」

、邪魔し「ふえぇぇぇぇぇっ!!!」

手塚の声が、景士の泣き声にかき消された。
その声にハッとしてが近づく。

、すまない」

「ううん、寝てても泣くんだから、手塚くんの所為じゃないよ。赤ちゃんは泣くのが仕事らしいからね」

ニコッと笑って、が手塚から景士を受け取る。
の腕に移って数秒。

たったその数秒で、景士は泣き止み、すぅすぅと小さな寝息を立てるようになった。
もう起こさないように、ベビーベッドに用心深く寝かせ、俺たちはそっと部屋を出る。

パタン、と静かに扉を閉めてから、がはぁ〜、と大きなため息をついた。

「手塚くん、来てくれたんだ〜」

「出産祝い、届けに来てくれたぜ」

「わ、ありがと!……景吾、起こしてくれればよかったのに〜……」

「いや、俺が寝かしておいていいと言ったんだ。……しかし、流石だな、母親は」

の手に渡って数秒で景士が泣き止んだことを言っているのだろう。
ニコ、とが微笑んだ。

「あはは、ようやく慣れてきたかな?」

「最初の2日、3日が大変だったな」

退院して、屋敷へ戻ってきたときのことを思い出す。
…………数日間は、大変だったな……今思い起こしても、どっと疲れが押し寄せてくる。

「……とりあえず、応接間に戻るか」

1つ頷いて、と手塚がついてくる。

「手塚くん、元気そうでよかった〜。あ、この間やってた試合、テレビで見てたよ〜!すごかったね、結局1セットも落とさずに、世界ランク3位に勝っちゃうなんて!」

「見てたのか。……あの時は相手の調子が悪かっただけだ。目に見えて本来の動きができていなかった」

「うん。でも、それもテニスだからね……それがわかってるんだもん、まだまだ上に行けるよ、手塚くん」

「あぁ、油断せずに行く。……だが、早く跡部と手合わせしたいものだな。お前はまだ、世界には出ないのか?いち早く、お前が世界の舞台を踏むと思っていたが」

「そろそろ出ようとは思ってるぜ。4月にはも仕事に復帰するしな。それまでは会社の方の仕事を片付ける」

「そうか。……楽しみにしてるぞ」

「首洗って待ってろよ。そろそろランキング、ひっくり返してやるぜ」

俺と手塚の会話を、ニコニコしながら聞いている
トントン、と階段を降りきった所で、また盛大な泣き声が響いてきた。
屋敷の防音設備は結構しっかりしてるんだが……それでも聞こえてくるなんて、相当でかい泣き声だ。

「わっ、ま、また!?」

「腹減ってんじゃねぇのか?」

「んー……ミルク上げてから、まだそんなに時間経ってないけど……ちょっとグズってるのかなぁ。ご、ごめん、手塚くん、また……」

「気にするな。側にいてやれ」

「あ、ありがと〜……!」

が、降りてきたばかりの階段を駆け上がって行く。
それを見送っていると、一瞬だけ、景士の泣き声が大きくなった。が部屋のドアを開けたので、大きく聞こえてきたのだろう。だが、それもまた、すぐに小さくなった。

「悪いな、手塚」

「いや。元気な証拠だ。ところで跡部……子供に、テニスはさせるのか?」

手塚の突然の質問。
だが、景士が生まれてきてからも、それ以前にも結構聞かれてきた質問だ。
大抵は黙って笑い、流してきたが―――。

「……さぁな。景士がやりたいって言ったらやらせるし、アイツがもし、サッカーとか野球とかがやりたんだったら、そっちをやらせるまでだ」

「ほぅ……てっきりお前は、子供にもテニスをやらせるものだと思っていた」

「……生まれてくるまでは、やらせようと思ってたけどな。……だが、いざ生まれてきたら、そんなの全部吹き飛んだ。……ただ、元気で育ってくれりゃ、それでいいさ」

生まれる前に考えていたこと、生まれた後に考えること。
それは必ずしも一致することばかりではないが―――絶対に一致していると言い切れるのは、『元気で育って欲しい』ということ。

「…………幸せそうだな、跡部」

小さく聞こえてきた、手塚の声。
その声に、ニヤリと笑みを浮かべて、視線を合わせる。

「あーん?……今更聞くまでもねぇだろうが。……家帰りゃ、と景士が待ってんだぜ?……これが幸せじゃねぇんなら、何が幸せなんだよ?」

「……そうか。……それでは、その幸せを邪魔しないように、そろそろお暇させてもらうことにしよう」

「もう帰るのか?夕食くらい食ってけよ。うちのシェフは、そこらのレストランよりよっぽど腕はいいぜ?」

「いや、まだこれから寄るところがある。帰国したばかりで、ゴタゴタしていてな……折角の誘いをすまない」

「そうか……また来いよ。しばらく日本にいるんだろ?」

「あぁ。一応、一昨日のツアーで一区切りつけたからな、しばらくはこっちで過ごすことになる」

「そうか。空いてる日は連絡くれ。ウチの奴ら、休日ごとにやってきては、うちのコートでテニスしてるからな。青学メンバーでも連れて来いよ」

「それは中々面白そうだ。また連絡させてもらおう」

「楽しみにしてるぜ。…………ちょっと待ってろ。呼んでくる」

心持ち駆け足で階段を上り、娯楽室へ。
ゆっくりと扉を開ければ、ようやく景士を寝かしつけたらしい。が少し疲れた様子でこちらを向いた。

、手塚が帰るってよ」

「えっ、もう!?夕食は一緒に、と思ってたのに〜」

「帰国したばかりで、色々用事があるんだと」

「そっかぁ〜……じゃ、しょうがないね……」

景士をもう1度覗き込んで、が早足でドアをくぐりぬける。パタン、と扉を閉めて、2人揃って少し早足に階段を降りた。

「手塚くん、全然お構いできなくて……時間空いたら、いつでも来てね?」

「あぁ。今度はもっと時間のあるときに会おう」

「うん!……今日は、本当にどうもありがとう!」

「わざわざすまなかったな。……おい、宮田!手塚が帰るぞ、車で送れ。……乗ってけ、手塚」

「……うむ、それではお言葉に甘えさせていただこう」

「手塚様、こちらでございます」

宮田が手塚を玄関へと案内する。
それを追って、と俺も歩きだす。

「じゃあね、手塚くん。また〜!」

「あぁ、またな」

「いつでも連絡しろ、手塚」

「あぁ」

パタン、と玄関の扉が閉まった。





余談だが。

手塚からの出産祝いは、アメリカ土産だろうか、外国製の玩具だった。
……ますますもって、アイツがどんな顔をして玩具屋に行ったのか、気になるところだ。




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