仕事で疲れきった金曜日。

愛しの家族が待っている家には。

「おー、跡部ー。お帰り〜」

殴り飛ばしたくなるくらいの笑顔を浮かべた、伊達眼鏡がなぜかいた。






寒さも厳しい1月のこと。
年始の挨拶やらなにやらで、様々な場所を駆けずり回っていた俺は、ここ1週間怒涛の忙しさだった。
今日は誰がなんと言おうと、絶対に早く帰る―――そう言って、強引に定時で上がってきた。
夕方の混んでいる時間にも関わらず車も快調に進み、予想よりも早く屋敷に着いたことに満足していた。

これなら、たちと一緒に夕食もとることが出来そうだ。
そう考えただけで、1週間の疲れを忘れることができる。ずっと硬直しっぱなしだった頬が、久しぶりに緩んだ。

「おかえりなさいませ、景吾様。今日は―――」

たちは2階か?食事は一緒に取る。準備しておいてくれ」

何か言おうとしている宮田の言葉をさえぎり、用件を言うのももどかしく階段を上る。
ネクタイを少しだけ緩めて、完全にオフモードにスイッチを切り替え、部屋のドアを開けた。

、景士、今帰っ―――あ?」

「おー、跡部ー。お帰りー」

なぜかそこには、愛息子を抱いている、笑顔全開の忍足がいた。
………………いや、そんなはずはない。ここに忍足なんかがいるわけがない。いてたまるか

「…………1週間働きすぎたか……まぁ、家族のためだ。今日は早く寝れば、こんな幻覚も消えるだろ」

「コラコラ、現実逃避すなって。幻覚とちゃうで。俺はちゃーんとここにおるでー。なー、景士ー?」

「……だー?」

呼応するような景士の声が聞こえ……俺は、目を見開いて大またで部屋の中に入った。
部屋の真ん中で、景士をあやしながら抱いている人間―――忍足を睨み付けた。

「な・ん・で、テメェがここにいるんだ!?」

「そないデカイ声出さんでも聞こえるっちゅーねん。景士がビビってまうやん」

「テメェ……ッ……はどこだ!?」

ちゃんなら、ちょお電話出とるで。なんや、テニス協会の方かららしいわ」

「…………あぁん?」

「せやからその間、俺が景士の面倒見とるっちゅーわけや」

「あぁ、そうか……って納得するわけねーだろ!流れ的には、お前が家に来てる最中に電話があったんだろうが!」

「おぉ、跡部、ノリツッコミうまくなったなぁ〜」

「嬉しくねぇ……!」

ガクッと力が抜けた。
なんなんだこいつは……1週間分の疲れに、さらに疲れを上乗せするようなことをしやがって……。

そんな俺に伸ばされる、小さな手。

「あー……」

景士の手、だ。

ようやく3ヶ月に入ったところだが、かなり発達が早いらしい。小さな声を出し始めたし、首も安定、とまでは行かないが、大分しっかりしてきた。もうそろそろ、ちゃんと座るだろう。

小さな手の平を、握ったり開いたりを繰り返し、その瞳を俺に向けている。

「…………ムサくて胡散臭い伊達眼鏡より、俺様の方がいいよな、景士」

「ちょお待ち、これまた酷い言い様やな」

忍足の腕から、半ば奪い取るようにして景士を受け取る。景士の手が、またきゅっ、と動いた。

「……くっ……まだ跡部のことを父親やと思っとるんやな……!」

「何バカなことを言ってるんだ……ったく……で?お前、なんでうちにいるんだよ?」

俺の言葉に、忍足がふっ、と自嘲の笑みを浮かべる。

「最近な、オペ見学とか実習とかばっかやねん……正月だって、それってナニ?くらいの勢いやったわ……医者に正月も休日もあらへんってホンマでな……ここ1週間ろくに家にも帰られへんかった。……そんで、ここにちょお癒しを求めに来たんや。あー、ちゃんと景士で癒されたわー……」

よく言えば悟ったような、悪く言えば―――投げやりに、忍足は呟く。なるほど、服装こそ小奇麗だが、よくよく見れば疲れきった表情だ。
ろくに寝てもいないのだろう、目の下にはクマも出来ている。

「………………大変そうだな」

「しゃーないねん……ま、それ承知で入ったしな。……今日も、夜のオペ見学行かなあかんから、もうそろそろお暇するわ……」

忍足が時計をちらりと見ると、キィ、とドアが開く音がした。

「侑士、ごめんごめん。協会の人、話長くってさー……っとあれ?景吾?おかえりー!!」



パタパタ、と笑顔で部屋に入ってくる
そのに対してか、腕の中の景士が、反応した。

「早かったね!」

「あぁ。ここんとこずっと遅かったからな。今日はなんとかして定時に上がった」

「お疲れ様でした。あ、じゃあ4人揃ってご飯食べられるじゃん!侑士もご飯食べてってよ!」

がそう言うと、忍足がすまなさそうに頭をかいた。

「お誘いは嬉しいんやけどなー。これからまた、オペ見学あるし、ちょお行かなあかんねん。ホンマは食べて行きたいんやけどな〜。すまんなぁ」

「えっ……これからオペ見学!?」

「けったいやろ?せやけど、これ見てレポート書かなあかんねん……」

「うわ、レポートかー……そっか〜、大変だね……じゃ、また今度、一緒に食べよ?」

「あぁ、今度はバッチリ予定空けて来るわ。跡部がおらんときに、2人っきりで食事でもしよ」

さっさと自分の星へ帰れ、伊達眼鏡

ゲシ、と忍足の足を蹴った。

「……景士、また来るからなー」

「来なくていい」

「(無視)えぇ子でおるんやで〜。そしたら、俺がご褒美買ってきたるからなー。……ほなちゃん」

「あ、うん、ホントお構いしませんで……あ、玄関まで送るよー」

「えーってえーって。そこの不機嫌男の相手、してやっといて。……ほな、またな〜」

ヒラヒラ、と手を振りながら、いつもの笑みを浮かべて忍足が扉から出て行った。

俺は、扉を少し睨み付けた後、に向き直った。

「まったく、アイツは……」

「侑士、忙しいのに寄ってくれたんだね〜……あ、景吾、代わるよ。着替えるでしょ?」

「あぁ、サンキュ」

に景士を渡し、ネクタイを緩ませただけで止めていた着替えを再開する。
の腕に抱かれている景士は、満足げな顔をしていた。
それは、忍足が抱いていたとき、そして俺が抱いていたときとは、全然違う表情で。

視線が合うと、景士がちょっと勝ち誇ったような笑みを浮かべた……気がした。

「………………忍足の野郎に感化されてきてんのか………………?」

「え?景吾、何か言った?」

ぼそり、と呟いた言葉を聞き取れなかったのか、が聞いてくる。

「いや……なんでもねぇ。飯、食いに行こうぜ。……ほら、景士。こっち来い」

の腕から、再度景士を抱き取る。
……とやはり、少し不満げな表情。

子供の教育によろしくない影響を与えるということで。

………………忍足は当分出入り禁止。

心に、誓いを立てた。




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