ちゃんが足りひん」

そろそろ帰るか、伊達メガネ



Act.9   鬱の原因、メインはどちら


俺は跡部の言葉を完全にスルーして、はぁぁ、とため息をついた。

「コート広いから、ちゃんの姿も遠いし、氷帝ん時みたいに、授業中隣に座ることもない。すれ違うときに話すこともあるんやけど、笑顔だけで終わることもある……いや、あの笑顔がまた元気をくれるんやけど」

今は近くに、その笑顔はない。

「決定的にちゃん足りひんくて寂しい……ついでに俺だけ入れ替え戦がないのもまた寂しい」

入れ替え戦はついでか。……そりゃ、は中学生全体のマネージャーだし、他のトレーナーからも指示を受けて、様々な仕事を行なっている。部活の時とは幾分違うだろう」

「あー、部活ん時はコートのどこにいても、ちゃんが視界に入ってたのになー……ここのコート、広すぎやねん。ちゃんまでの距離が遠い……」

それでも、ふと気付いたときにちゃんは傍におって、きちんとケアしてくれたり、たまに元気でるような話が出来るから……おらんよりはえぇねんけど。特別マネとしてここに呼ばれてるのは嬉しいねん。

「親を視界に入れておかないと不安になるような子供じゃねぇんだ。我慢しろ」

馬鹿にしくさった表現に多少ムッとして、俺はぽつりと言い返す。

「……跡部やって、目線でちゃん探しとるくせに」

跡部がぴくり、と肩を震わせた。
少し驚いた表情。……はいはい、無意識なんはわかっとるわ。

「見えへんとこで、ちゃんが誰かに掴まってたり、色目使われたりしてたらかなわんもんなー……やっぱ、見えるとこにいててほしいわ」

「……まぁ、否定はしねぇ」

「見えるとこ……あー、やっぱ足りひん。決定的に足りひん」

「で、そこに戻るわけか」

「……俺、思たわ。ちゃんが唯一の癒しやねん……ここには俺の好きなラブロマ映画もサゴシキズシもないねんけど、唯一ちゃんだけおるやん。……なのに、一緒におるのに遠いとか……あー……」

はぁぁ、と再度大きなため息をつく。

「寂しいわー……」

「何が寂しいのさ、侑士!」

…………?
!!!

聞こえた元気な声に、バッと振り返る。
そこで待っていたのは、いつもの元気が出る笑顔。

「二人揃ってるの見かけたから、思わず来ちゃったよ!」

」 「ちゃん!」

「いやー、やっぱり知ってる顔2人が揃ってると安心するなー……」

あっけらかんと笑いながら、ちゃんが俺と跡部の傍に。
3人……見慣れた顔が揃う。
……なんや、やっとしっくり来た気がするわ。

「で?侑士くん、どーして寂しいの?ホームシック?確かに、あのお母さんだと、いないと寂しいよねー」

「おかんちゃうわ!」

「えー?ホントー?」

からかうような声を出して、あはは、と笑うちゃん。
いつもどおりの笑顔、いつもどおりの会話に、肩の力がいい意味で抜けていく。

「……ちゃんに会えて、色々吹っ飛んだわ」

一気に、沈んでいた気持ちは盛り上がる。
視界が俄然クリアになって、明るい。

「あれ。そーなの?」

ちゃんが跡部に顔を向けると、跡部が半ば呆れた顔で笑う。

「……そうらしいぜ」

跡部の雰囲気も、変わる。
いつもの空気。常に緊張感に包まれている合宿の中で、少しだけ日常に戻る。

「なぁ、ちゃん、聞いてやー……俺ばっか入れ替え戦ないから、いつまで経っても上に上がれん」

「あ、確かに……でも、そろそろあるんじゃない?景吾は昨日だったもんね?」

「あぁ。当たった相手が5番だったから、一気に上がったな」

「俺もはよ上のコートのヤツとあたりたいわー……」

「今のところ、お前は見せ場ゼロだからな」

「否定したいけどできんとこがムカツク」

跡部を睨みつけるけど、跡部はニヤリといや〜な笑みを浮かべるだけ。
……クッソ、コイツちゃんの前やからってカッコつけすぎやねん。

「見とき、跡部より上のコートのヤツ倒して、上行ったるねん」

「その前に、俺様が上に行く」

「ならその上や」

「俺はもっと上に行く」

「俺の方がもっと上や」

「それだと二人とも1番コートに行っちゃうから一緒だねぇー」

ちゃんの声を聞いて俺らは黙るが、バチバチと視線だけかち合わせる。
考えてみれば、跡部とこんな会話をするのも久しぶりかもしれん。
日常の空気に、やっと心が落ち着いてきた。


ちゃーん!」

「はいはーい!」


遠くのコートから聞こえた声に、反射的にちゃんが返事をする。

「……呼ばれちゃった。じゃ、また!」

ほんの少し残念そうな顔をしたちゃんやけど、すぐに声が聞こえた方向に身体を向け、動き出す。
と、顔だけこちらに向けた。

「景吾、後で学校に送る部誌の件で話したいことがあるー!」

「あぁ、わかったから、前向け!」

「あっ、それから、侑士!後で化学の宿題教えて!勉強タイムで当たるんだけど、わかんないところがあってさー!」

「おー、まかしときー!また後でな!」

俺らの声に、ちゃんはブンブンと手を振ることで返答し、駆け足で遠く離れたコートへ向かっていった。
その姿を見送り、俺はグッとラケットを握りしめた。

「ほな、俺も頑張って打ってこよか。ホンマ、はよ入れ替え戦組んでもらわんと、ちゃんに見せる活躍の場がないわ」

「現金なヤツだな。誰だ、さっきまで沈んでたのは」

「誰やろなー?俺、今はヤル気も元気も売るほどあるで。それに、こない危険な野郎ばっかの閉鎖的な場所や。……元気出して俺がしっかり守ったらな!ちゃんと遠いなら、なおさらや」

その役目はお前じゃねぇ

跡部の言葉を今回もスルー。

「まずは、ちょちょいと上に上がらんとな。明日あたり入れ替え戦来たら、絶対負けへんわ」

「……そーかよ」

呆れたような目を向ける跡部に、ひょい、と手を上げて「ほな」と言うと、跡部はシッシッと追い払うような仕草を見せた。なんやねん、腹立つわー。

でも、心と裏腹に俺は自分の表情が少し和らいでいることを自覚しとった。
先程とは打って変わって、足が軽い。

「さて、と……実践意識して、練習しとこか」

それから、ラリーの最中にでも、化学の公式、もっかい思い出しとこ。



そして翌日、俺はついに組まれた入れ替え戦で無事に6番コートに昇格した。







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