今日1日の練習内容をまとめたノートを書きながら、喉の渇きを覚えた。 近くに置いてあったペットボトルを求めて、手だけを彷徨わせ―――捜し求めた物体の軽さに、思わずノートから目を離す。 「………………ない……………」 透明のボトルは、部屋の向こう側を映していた。 Act.7 意外な人からの、アドバイス 部屋に戻ってくるとき、買ってくればよかった……。 そう思ったけど、今更そんなことを考えても仕方ない。 私は小銭を手に、のそのそと部屋を出た。 静まり返っている廊下を歩き、1階にある自販機コーナーへ向かう。 薄暗い中でもちょっとした光を放っている自販機の前に、人影を発見した。 「?…………あ」 こちらを向いたその顔を見て、なんとなく背筋を伸ばす。 「お、お疲れ様です、徳川さん」 「……あぁ」 そこにいたのは、徳川カズヤ、その人。 ……どうしよう、まだ会話らしい会話、したことないよ!道譲るときとかの「どうぞ」くらいしか喋ってない……!見目麗しいから一方的に見てはいるけど! (変態) 徳川さんも飲み物を買いに来ていたらしく、ポチ、と自販機のボタンを押していた。 …………烏龍茶か。結構無難だ。 出てきた烏龍茶を取ると、つい、と目線をこちらに向けてきた。 言葉も動作もほぼないが、どうやら「どうぞ」の意味らしい。 ……私、この合宿所で段々と言葉になっていない声を聞きとる、っていう能力を向上させているんじゃなかろうか……! ペコ、と頭を下げたあと、自販機の前に立つ。 ……うむ。 悩む! 普通のお茶を買うつもりだったけど、徳川さんの見たら烏龍茶もいい気がしてきたし、いざ目の前に立つとジュースも飲みたくなってきた。 どれにしようか真剣に悩んでいたら。 「…………買わないのか?」 様子を見ていた徳川さん(まだいたのか!)に言われた。 「はいっ、買います!」 思わず、勢いでボタンをピッ。 ガコン、と落ちてきたのは…… コーンスープ。 ちらり、と徳川さんを見たら、予想外だったのだろう(私も予想外だったけど!)。ちょっと目を見開いて驚いていた。 私たちの間に、なんとも言えない微妙な空気が流れる。 …………うん、コーンスープが飲みたかったんだ!(泣き笑い) その空気に耐え切れず…そして何より恥ずかしさが一気に押し寄せてきたため、私は慌ただしく缶を取り出した。 あー……後でまた買いに来よう……! いそいそと歩き出そうとしたら、 「……本当は、どれが飲みたかったんだ?」 かけられた言葉に、今度はこちらが目を見開き、動きを止める番だった。 恥ずかしさから目線を外していたけれど、意を決してちらりと仰ぎ見る。 徳川さんがちょっと呆れたようにこちらを見ていた。 「あ、お、お茶を……」 そう言うと、近づいてきた徳川さんは、素早く小銭を入れてボタンを押す。 取り出したのは、烏龍茶。それをこちらに差し出してきた。 「……え?」 くれるんですか? 私の疑問を込めた目に、徳川さんが頷きながら言う。 「……お前には、どうやら高校生も世話になっているみたいだからな」 「いえ、そんな!」 「中学生とは思えないくらいよく動く。……まだ数日なのに、人の名前を覚えるのも早い。俺の名前も、よく覚えているな」 そりゃ元から知ってますから! ……とは当然言えないので。 「め、目立つので……!……徳川さんこそ、私のこと知っていてくださるとは思いませんでした……!」 「何を言っている。……この男所帯の中で唯一と言える例外的な存在を、覚えないわけがないだろう」 そ、そそそそそっかぁぁぁ!! 確かに、言われてみれば、私ってすっごい妙な存在だ……!目立ってる!確実に変な意味で目立ってる……! 私はひっそりこっそりみんなをサポートしながら、目の保養が出来ればそれで満足なのに……決して自分自身が目立ちたくはないのに!! ガーン、とショックを受けている私に対して、徳川さんは再度呆れたような瞳。 「むしろ、誰より目立っているのはお前だろう」 「え、あの……できるだけ目立ちたくないんですけど……」 「そのサイズで動いていたら無理だ」 「……デスヨネー……」 もうちょっと小さかったら、いろんな人に紛れ込めたのに……! こんなでっかいのが動きまわってたら、そりゃ目立ってしまいますよね……! 「……お前のことは、高校生の奴らも気になっている」 ポツリと呟かれた言葉に、耳を疑った。 「……え?」 「ここでは、自分が特異な存在であることを自覚したほうがいい。そしてここにいるメンバーは、純粋にテニスの技量だけで集められているから、中には血の気の多い奴らもいる。……気をつけろ」 最後の一言は、思いの外、柔らかい声音だった。 「……はい。……ありがとうございます」 忠告、だろう。 ま、確かに亜久津さんちの仁くんとかね……中学生の中にだってお世辞にも素行がいいとは言えない人も召集されている。高校生の中にもちらほらそう言う気配の人がいるのは、ここ数日間で薄々わかっていた。 それを見越した上での忠告。つまり、気にしてくれているということ。 純粋に、ありがたい。 中学生に関しては元々の知り合いもいるし、その関係であまり知らない子とも徐々に仲良くなってきているという状況だけど……高校生とは元の接点がまるでなかったために、数日経った今でも一定の距離感が存在していた。私が「中学生付きのマネージャー」というポジションであることを大目に見ても、壁は確かにある。 実際に私が高校生たちと関わる機会は、プレイヤーである中学生の子たちと比較したらそう多くはない。けれど、それでも少なくもない。 基本的に私が様子を見ているのは中学生だけど、同じコートにいたらそりゃ高校生のことだって目に入る。飲み物がなくなってたら高校生のだって補給しとくし、怪我をしたら処置をするのは当たり前だ。 そんな私をおもしろがって見たり、たまにからかいながら話しかけてくる人も、高校生の中で出てくるようになってきた。だけど中には露骨に「なんでこんな中学生がトレーナーまがいのことを」と敵視する人もいる。……そういう人にはなるべく近づかないようにしているけど。 私が知識として知っている人のほとんどは、そういった行動はしないが(徳川さんを含め)、中には私を含めた中学生全体を快く思っていない人が多いのも確かだ。 「プレイヤーにも伝えておけ。……だが、1番気をつけるのは、女であるお前だ」 そんな中で、この人が気にしてくれているということは、少なくともこの人は敵ではないということ。 実力者であるこの人が敵でない、という状況は、とてもありがたい。 「1軍が帰ってきたらまた雰囲気も変わるだろうが……それまでにもし、何かあったら俺に言え。それから……入江はわかるか?」 私がコクリ、と頷くと、 「アイツに相談してもいい。俺から入江に伝えておく」 「え、あ……ありがとうございます」 でも、なんで? その行動の意味がわからなくて、ものっすごい疑問の目で見たら、 「……プレイヤーだけで、世界は戦えない。俺としては、中学生にお前のような人材がいることは、今後のテニス界にとって良いことだと思っている」 どのスポーツにおいても、トップレベルになると、選手だけで戦い抜いていくのは厳しい。 プレイヤーの影には、常に、トレーナーであったり栄養士であったり、時にはスポーツメーカーであったり……様々な協力者がいる。上になればなるほど、プレイヤー個人ではなくて、それはもう「チーム」と呼ぶべきものになる。 なるほど。 ―――この人は、私に期待してくれているのか。 「……ありがとうございますっ」 嬉しかった。 少なくとも、私の仕事に期待してくれる人が、高校生の中にいること―――それが実力者の徳川さんで、なおさら嬉しかった。 ペコリ、と頭を下げると、面食らったように徳川さんが目を見開いた。 「……礼を言われることではない。……長く話しすぎたな」 「あ……お引止めしてすみません」 結構な時間をとらせてしまったことに気づく。 無口な徳川さんがこれだけ喋ってくれるとは、予想外だったけれど……話せてよかった。 「いや。……じゃあな」 ゆるく頭を振って立ち去る徳川さんの後ろ姿を見て―――ハッと気づく。 「徳川さん!」 「?」 振り返るのを見るか見ないかの素早さで、私は再度頭を下げた。 「烏龍茶、ごちそうさまです!」 ―――下げた頭を上げた時。 クールな表情が、一瞬崩れたのを、私は見た。 NEXT |