Act.17 いつも私を、奮い立たせてくれるのは コンコン、とノックする音が聞こえた。 読んでいた洋書からほんの少しだけ目線を上げる。 「なんじゃ?」 1番ドアに近い場所にいた門脇が、音の方向へ向かって声を放つ。 その声に反応するように、カチャリと開かれたドアから覗いたのは……青学の不二だった。 不二は部屋を見渡して、俺を見つけると、 「跡部。……ちょっといいかな」 静かな声で、そう言った。 「なんだ不二、珍しいな。何の用だ?」 「ここじゃちょっと。……外で話そう」 ……なんの話だ、いったい。 不二の意図を汲めなかったが、アイツの顔がいつもの微笑をたたえたものではなく、プレイの時のような真面目なものだったので、その言葉に従った。 わざわざ人のいない廊下、さらにその突き当りまで行って、ようやく不二は口を開いた。 「……話したいのは、ちゃんのことなんだ」 その言葉に、俺は少し肩をすくめた。 「……あーん?なんだ、またその話か……何度も言っているが、はやらねぇよ」 「いや、今日はその話じゃないんだ。……さっき、ちょっとちゃんが高校生とトラブルになってるのを、偶然見ちゃってね」 不二の言葉に、頭より先にぴくりと体が反応した。 「…………なんだと?」 「結構、きついこと言われてたから、気になって」 「……なんて言われてた?」 「たかがマネージャーのくせにテニスの何がわかるんだ、とか。テニスのことに口出すな、とか……お前は黙って見てるだけでいい、いらないから帰れ、とまで言われてたよ」 「……酷い言われようだな、それはまた」 眉間にシワが寄っていくのが自分でもわかる。 ……の仕事を一日でもしっかり見たら、絶対にそんなセリフ吐けやしねぇだろうに。 「ちゃんも何か謝っていたから、きっとそれより前に―――多分、練習中にでもちょっとしたトラブルがあったんだと思うけど……」 「ったく……結構頭に血が昇りやすいからな、アイツは。……だが、それにしても」 「ね。ちょっと、放っておけないよね。……本当はその場で僕が出て行っても良かったんだけど、逆にこじれてしまうかな、と思って見ていたんだ。悪かったね」 「いや、お前の判断は的確だ。気に病むことじゃねぇ」 不二の読みは、おそらく当たっている。 たとえ不二が出て行っても、事態が収まるわけではない。逆に、難癖をつける材料となって、悪化させていた可能性すらある。 「………報告感謝する。はこういうことは言わないからな」 「そうだと思ったから、君には伝えないといけないかなって」 「あぁ。助かった。……追って、結果は伝える」 「うん、跡部も気をつけて。……どうしても僕らが目をつけられるのは仕方ないからね」 「無論承知の上だ。……そろそろ、実力で示す時かもな」 「何かあれば、協力するから」 「あぁ。……青学の天才さんよ、その時は頼むぜ」 ニヤリと笑みを浮かべて、俺はその場を後にした。 はぁ……やっちゃったなぁ……。 私は一人、合宿所の屋上で膝を抱えていた。 久々に、ちょっと堪えた……確かに、口出ししすぎてたよな、最近。 みんなと一緒にいたから、つい忘れがちだけど……私はまだ、テニスに関しては始めたばっかりのド素人と変わらなくて、マネージャー業でさえ、続けて1年にも満たない。 そんな私に、テニスとかそれ以外のことも含めて、何か言う資格があるのだろうか。 「あぁ……ヘコむー……」 でも、だとしたら。 …………私が、この合宿に参加している意味が、よくわからなくなってしまう。 存在意義を見いだせなくなってしまう。それこそ……いらないのではないかと思ってしまう。 本当は、黙って見ていたほうがいいのだろうか。私が言っている言葉が、実は選手たちの邪魔になっていたりするとしたら……。 「………………」 あ〜〜〜、駄目だ。これ以上考えてもキリがないし……行き着きたくない答えにしか、行き着かない気がする。 とりあえず、ヘコむだけヘコんで、後は切り替えてやっていこう。口出しすぎてたのなら、明日から改善していけばいい。 だから今は……ちょっとだけ、ヘコもう。 「おい」 「うわぁ!?」 ヘコもうと決心した矢先に声がかかって、思わずヘコむのも忘れる。……なんかおかしいけど。 ……って、この声は。 「け、景吾!?」 「なにやってんだよ、こんなところで。まったく……俺様をこんな探しまわらせる人間なんて、お前ぐらいだぜ」 景吾が、髪の毛をかきあげながら近づいてくる。 「え、あ、探してたの?どしたの?何か用?」 何か報告事項でもあっただろうか、とスケジュールを頭の中に呼び起こす。 景吾は私の質問に答えず、体育座りをしていた私の隣に腰を下ろす。片方の足だけあぐらをかくようなスタイルで背中を壁に預ける姿は……なんか、一枚の絵のようだ。 「……えーと、景吾さん?」 「…………お前、高校生の奴らに何か言われたんだって?」 景吾が前を見たまま、言った。 「うっ……な、なんでそのことを……!」 「俺様にはいろんな情報が上がってくるんだよ」 怖っ!景吾さんの情報網怖っ!! 「…………で?何が原因なんだ」 静かに聞いてくる景吾。 その姿を見ていたら、自分の行動が一層恥ずかしく思えた。 「………………ちょっとカッコ悪すぎるから」 『言いたくない』 その言葉を暗に示して、私はうつむいた。 「……ったく。……どーせお前、また頭に血ィ昇ってなんか言ったんだろ?」 「…………………お見通しじゃないですか」 「なんだ、やっぱりそうだったのか」 「…………うん」 「で?言い返されて、ヘコんでる、と?」 「…………まったくもって、そのとおりです」 見透かされてる……。スケスケにされてる……。跡部王国だ……。 仕方ない。 私は、景吾から視線を逸らして、口を開いた。 「……高校生にさ、思い知らされちゃって。……私は、ここにいる誰よりもテニスについて言う資格はないんだってこと……」 言葉にすればするほど、ズーン……と落ち込んでいく。 そんな私を見て、景吾はひとつ深い息を吐いた。 「……まぁ、お前が何か原因を作ったことに関しては、俺は何も言わねぇよ。お前はお前なりの信念があったんだろうからな」 「……はい」 「だが、一つ言っておく。……たとえ何が原因であろうと、お前が言われた言葉は、間違っている」 「…………え?」 「お前はマネージャーだ。だが、マネージャーだからといって、俺たちよりもテニスを語る資格なんかないなんて、そんなことはねぇ。零式ドロップが出来なきゃ、零式ドロップについて語っちゃいけねぇのか?そんなことねぇだろ?」 景吾の言葉に、私はコクン、と頷いた。 「テレビの解説者だって、世界最高のプレイヤーではないのに、自分にできないプレイを解説せねばならない。だが、プレイできなくても客観的に見て正当な評価を下すことができるだろう。……お前は俺たち氷帝を見てきて―――そして今、きっと誰よりも俺たち中学生を見ている。俺は、お前の評価も、お前のやり方も―――お前の行動すべて、疑ったことはねぇ」 静かな声が、心に染みていく。 紡がれた言葉から伝わってくるのは―――絶対の信頼。 「……景吾」 小さく名前をつぶやくと、柔らかな視線を返された。 「お前が氷帝で経験してきたことに、何一つ無駄なことはない。たとえ失敗したことでさえ、お前の糧となっているはずだ。……もっと自分を信じろ」 ぽん、と頭に手が乗った。 私自身よりも、私を信じてくれる。 ―――この人の信頼に、応えられる人間でありたい。 泣くまい、と思っていたのに、じわりと目に涙が浮かぶ。 「……泣くんじゃねぇよ。ここで襲うぞ」 「……泣、いてないも……んっ」 「そーかよ。……ったく、世話のやけるヤツだぜ」 ふっ、と息を吐いて微笑した景吾は―――ぎゅう、と抱きしめてくれた。 「ほら……気づかないフリしてやるから、さっさと涙拭け。ぁん?」 耳元で低くささやく声は、ひどく優しい。 届いた声は、心の重みをすっと溶かしていった。 NEXT |