ふっ、と目覚めたとき、まず目に入ってきたのは、景吾の顔だった。
そして、景吾の後ろに見えるのは、青い空。

…………あれ、私、今どこに―――。

「……起きたか」

景吾の声と共に、少し私の頭が揺れる。
……なんか、頭に感じるのは、地面の感触じゃなくて―――。

「!?」

頭が乗っかっているのは。
け、けけけ、景吾さんの膝ですか!?

「わっ!?」

少し動いたので、額からタオルが落ちる。

「動くな、バカ」

起き上がろうとした私を、景吾が押しとどめる。
また私は、景吾さんの膝に頭を預ける形になって―――。

って!!!

「ちょ、け、景吾!いや―――!は、恥ずかしすぎる……ッ!は、離して……!」

「いいから。もう少し寝てろ」

そんなこと言われても!(絶叫)
タオルが乗っていた額に手をやって、前髪を少し上げられた。

「……顔色も、大分戻ってきたな」

「う、ううううん!だ、だから……!」

「だが、まだ体は起こすなよ?」

有無を言わさないその口調。
極限の恥ずかしさの中で、そろそろ脳が爆発しそうです……!
でも、ここで動いたら、一体何をされるかわかったものじゃないので……仕方なしに、私は目だけをキョロキョロと動かした。状況把握のためにね!誰かここにいたら、恥ずかしすぎて死んじゃうからね!(泣)

幸い、周りに人はいない。
少し安心。こんな恥ずかしい場面見られた日には、もう……!

「……景吾1人?樺地くんは?」

「樺地なら……あぁ、戻ってきたな。飲み物買って来させた」

向こうの方から、樺地くんがのそのそ歩いてくる。

手には―――…………トマトジュース???

景吾が呆れたように立ち上がる。

「おい、樺地。なんでトマトジュースなんだよ」

「これは、体力が回復してから、で…………まずは、こっち、です」

もう片方の手に持ってるのは、トマトジュースじゃなくて、スポーツドリンク。
……どうやら、スポーツドリンクで体力を回復させたところで、トマトジュースを飲めということらしい。……このトマトジュース、セロリと玉ねぎ入りで、頭痛などの各種痛みに効くんだって。

って…………なんで樺地くんまで知ってるんだー…………恥ずかしすぎるぞ……ッ!

「えーっと……ありがと」

とりあえず、スポーツドリンクの方を受け取ると。

「た、大変です、跡部さーん!」

部員の声が聞こえた。

その声で、私はバッと景吾の膝から起き上がる。
うぉっ……クラクラする……けど、膝枕のところなんて見られるよりマシ……ッ!

「バッ……、起きるなっつっただろ!」

「だ、大丈夫……!」

「あ、跡部さん、大変なんです!」

部員の切羽詰った声。
そうだよっ!ここでトマトジュース飲んでる場合じゃないよ!
部員の説明に、ちっと景吾が舌打ちをした。

「……仕方ねぇな、ちょっと行ってくる」

「わ、私も行く!もう大丈夫!」

景吾がちらっと私を見てため息を吐いた。
う……なにさ、その呆れたようなため息は。

「……お前はそう言ったら、聞かねぇからな……樺地、手伝ってやれ。お前たちは、ゆっくり来ればいい」

「ウス」

「俺は先に行ってる」

景吾がコートに向かって歩きだした。
私も、樺地くんに手伝ってもらいながら、なんとか立って歩き出す。

何度か樺地くんが、抱えてくれようとしたけど丁重にお断りをしておいた。そ、そんな、いくら力がある樺地くんでも、重いものを持たせたくないしね……ッ!

歩き出すと、冷えた汗が一筋背中を伝っていった。
この後起こることを、予感させるような、冷たい汗が。





私がコートについたときには、すでに6−0。
決着が……ついていた。
思わず、フェンスをがしゃん、と掴んだ。
―――変えられない未来が、ここにはあるのか。

亮だって、ずっと頑張ってきたのに。
本来なら、たとえ橘さん相手でも6−0なんて負け方をする選手じゃないのに。

私が、もっと早く不動峰のことを言っていれば。
橘さんのことを、亮に伝えていれば。

きっと、亮は6−0なんて負け方をしなかった。

――――――私のせいだ。

私が、ちゃんとマネージャーの仕事を果たさなかったから。
相手校の調査を、部員に伝えなかったから。

コートにいる亮に、聞こえていないとは知りつつも謝罪の言葉が口をついて出てきた。

「ごめん……ごめん、亮……ごめ……」

、お前が謝る必要はねぇ」

いつの間にか隣に来た景吾が、ぽん、といつものように頭に手を乗せる。
その手が、優しすぎて。
…………いっそう、私の心に申し訳なさが広がる。

「だって、私、不動峰の橘さんのこと、知ってた……!気をつけなきゃいけない相手だって、知ってたのに……亮に、伝えられなかった……!」

「バカ。……そんなのはお前の所為じゃねぇよ」

「でも……!」

「でもも何もねぇよ。……だから、フェンスから手ェ離せ。指、痛めるぞ」

景吾はそう言うけど、伝えられなかった悔しさと、負けてしまった悲しさで、指はフェンスに張り付いたみたいだ。

「……ったく」

景吾が1つ息をつくと、フェンスを握り締めた私の指を、1本1本剥がしていく。
その形のまま固まってしまった私の指を、元に戻してくれた。

「……挨拶してくる、そこで待ってろ」

2人が私から離れて、コートに整列しにいく。

「不動峰中3勝0敗により、準決勝進出!」

ざわざわとしていた場内が、一瞬だけシーンと静まり返り、アナウンスがよく響く。
その後、部員たちが巻き起こす、ブーイング。

それすら耳に入らず、私はコートから出てくるプレイヤーたちを見ていた。

「…………亮」

1番最後に、うなだれた亮が、コートから出てきた。
光が消えかけた目が、私を捉える。

「……

「ごめん、亮、私がちゃんと言わなかったから……ごめん……ッ」

謝っても、どうにもならない事実だとはわかってる。
それでも、謝ることしかできなかった。
……亮が、ゆっくりと頭を振った。

「……お前のせいじゃねぇ。俺の力不足だ」

「違……っ」

景吾が、ぽん、と私の頭に手を乗せ、発言を止めさせた。

「その通りだ。それは、お前自身が1番よくわかっているだろう。……お前は正レギュラーから外す」

景吾の通告に、亮が静かに頷いた。
あまりにも素直なその頷き。
…………亮らしくない、行動だった。

「…………亮、ここで終わらないよね……?」

「……

景吾が諌めるように、声を発した。
亮が俯きながら、小さく呟いた。

「…………1度レギュラー落ちしたら、2度と使われることはねぇ。も、知ってるだろ……?」

「……ッ……亮は、こんなところで終わるプレイヤーじゃないっ……!」

亮がライジングをするために必要な筋力を付けるための、過酷な下半身強化トレーニングを組んだのは私だ。
どんなに辛いトレーニングでも、亮はいつも率先して行っていた。どんな辛いことでも、テニスのためなら頑張れるっていうくらいの、筋金入りのテニス馬鹿。
生まれ持った能力が少ないながらも、努力でそれをカバーして、レギュラーの地位をずっと保ってきたのを、知ってる。

「亮は、もっともっと強くなれる………」

だから、そんなに素直に『レギュラー落ち』を受け入れないで欲しい。

「……諦め、ないで……?」

訪れる静寂。
泣き出さないようにするのが、精一杯だった。
私は、今、泣く資格はないから。

やるべきことも果たさなかった私に、泣く資格は無い。

―――長い長い沈黙の後。

「………………

亮が小さく呟いた。

ふっと顔を見上げたら。
亮の目に、強い光。

「……待ってろ。必ず這い上がってやる」

亮が私とすれ違いざまに、そう言って去っていった。
振り返ったら、まっすぐ前を向いて歩いていく亮。

ぽん、と景吾の手が頭の上に乗った。

「………………後は、アイツ次第だ」

景吾だって、亮のレギュラー落ちを望んでるわけじゃない。

うん、と頷いて、私は景吾の手を握り締めた。



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