夜中にふっと目が覚めた。

一瞬、夢と現実がわからなくて―――自分が今、どこにいるのかわからなくなった。

慌てて、隣にいる景吾を見た。

まるで、景吾の存在で、自分の存在を確認するように。






この世界に来て、すでに5ヶ月。
もう5ヶ月、だけど、まだ、たった5ヶ月だ。

私が向こうで過ごしてきた18年間の記憶というものは、簡単には薄れない。

当然、夢に見ることも向こうの世界のことが多いわけで。
おそらく、もう会えないだろう人や、行けないだろう場所、そんなことが残酷にも、たくさん出てくる。

夢というのは本当に残酷だ。
リアルに目の前に現れたと思ったら、それが一瞬のうちに消えてなくなる。
内容はあまり覚えていないのに、ただ、誰が出てきたか、どんな場所にいたのか、そんなおぼろげな記憶だけが残って、私の心に刃を突き立てる。

もう会えない、もう行けない―――。

そんなことはわかっているのに、頭の中に焼きついた夢の記憶が、私を苛む。

今もそうだ。

夢の中で私は、元いた高校で、と話していた。
それはきっと、向こうの世界では当たり前だったこと。夢にすらみない、日常的なことだったのだろう。

向こうで生きてきた18年間の日常。
それが今は、こうして夢でしか、見ることが出来ない。

「…………っ……」

グス、と少し鼻をすすって、目に浮かんだ涙を拭った。
隣で眠る景吾は、静かに寝息を立てている。

その存在を確かめたくて、そっと頬に触れた。

温かい頬が、景吾の存在を確かにする。
そして、私が今ここにいるということも、確かにした。

少しだけ、安心した。

いつの間にかまた、腕枕をしてもらっていた。
起こさないようにゆっくりと離れて、ベッドを降りた。
洗面所まで行って、水をコップ1杯飲み干す。

ふと時間を確認してみれば、朝の4時前。まだ誰も起きていないし、世界も目覚めてはいない。
だけど、妙に冴えた目が、もう1度眠るという選択肢を消していた。

コップを置いて、スリッパを履く。
ふかふかの感触を確かめながら、足音を立てないように歩き、そっと部屋のドアを開けた。
部屋から出る直前、もう1度ベッドの方を見て、景吾が起きていないか確認するのを、忘れずに行って。





いつもは人が行き交うお屋敷の廊下も、今はシンとしている。
暗めに設定されているランプのような照明が、どこか異国のホテルめいた雰囲気を出していた。

――――――そういえば、このお屋敷に住んで5ヶ月になるけど、こんな人気がない時間帯に部屋の外に出たのは初めてだな―――。

見慣れた廊下の、いつもとは違う感じに、ふとそんなことを思った。

部屋には、トイレも洗面所もシャワーもついてるから、大抵の用は部屋の中で事足りてしまう。
日付が変わってすぐ位は、まだお屋敷の人も起きていてお仕事をしていたりする。けど、さすがに夜明け前の4時前後には、全員寝ているのだろう。

ふわふわスリッパの上、廊下は柔らかい絨毯が敷き詰められているから、意識しなくても今度は足音が立たなかった。
自分の部屋を出て右へ。主人が不在である、景吾の部屋の前を通って、さらに歩く。

長い廊下の突き当たりにあるのは、映画に出てきそうなバルコニー。
そこへと続く、大きなガラスのアンティークドアに手を這わせた。

手動の鍵を、なるべく音が鳴らないように開けて、ゆっくりとドアを開く。
微かに軋む音がするのは、アンティーク物の所為。

ふわっ、と入り込んでくる夜明け前の風で、白いレースのカーテンがひらめいた。

再度、音を立てないようにドアを閉め、バルコニーに手をかけた。

微かに白みがかっている空は、上空になるにつれて濃紺のグラデーションを奏でている。
目覚めようと世界は動き始めているのに、真上の空にはまだ星が瞬いていて、未だ夜を主張していた。

不思議な時間。

夕方にある、これと似た時間は『逢魔が刻』と言うけれど、それだったらこの時間帯はなんなんだろう?
夕方に魔物と会えるのだったら―――この時間に会えるのは、天使―――それとも。

それに似た、大切な人、なのだろうか。

そう思って、また前の世界のことを思い出す。

―――こっちの世界で生きる、そう決心したはずなのに、揺らいでばかりいる私の心は、とても弱い。

「…………不思議、だなぁ…………」

空を見上げていたら、ぽつり、と言葉が漏れた。

この世界は、私が生まれ育った世界と、こんなにもよく似ているのに、違う。
ここには、お父さんもお母さんも、も、学校も、家もない。
なのに、私が生まれ育った世界で見ていた、芸能人や場所は存在してたりする。

いっそ、まったく違う世界に飛ばされていたら、と思う。
全く違う世界に飛ばされていたら、きっとこんなにウジウジとしがみついていなかった。
この世界が、あまりにも似すぎているから―――俗に言う、パラレルワールドってヤツだから、私が『18歳』であったころに見ていたものも、ここには存在していたりするから。
なおさら、ふとした拍子に思い出してしまうのだろう。

思い出と現実を混同してはいけない。

この世界では『初めて』行く場所が、向こうの世界で行ったことがある場所で、それがどんなに似てようとも。
と行こうとしていたお店、それがこの世界にあったとしても、

それは、私の『以前の世界の思い出』だ。

「……あー……ダメだ」

本格的に、めげてきそう。

しばらく星を見つめて。

「…………景吾の顔見て、安心しよ……」

景吾はぐっすり寝てて、なんにも言わないけど。
顔を見れば安心する。
景吾は私の側にいる、って安心する。

そう思って部屋に戻ろうとしたら、体を反転させる前に、温かいものに包まれた。

「…………そう思ってくれてるとは、光栄だな」

背後から手が伸び、背中に感じる体。
耳元で聞こえる、微かに掠れた声で―――やっぱり、私の心は安定してきた。

「…………けーご?」

「………………勝手に抜け出すな。心配すんだろ、バーカ」

背後から、ちゅっと軽く頬にキスをされる。
いつもは恥ずかしいけど、今はなぜだかそれが酷く安心した。

体に回された手に、ゆっくりと手を重ねれば、握り返してくれた。

「…………白みがかった空か……久しぶりに見たな。星が綺麗だ」

「うん……」

「あぁ……向こうの空に、月が沈むぞ」

「…………うん」

「……最高の時間だな。朝と夜とが混同する時間。世界が目覚める瞬間だ」

「……世界が目覚める瞬間……」

「あぁ……そして、大切な人間としか、見られない瞬間だ」

大切な人間。

そうか、この素晴らしい景色は、大切な人とじゃなきゃ一緒に見られない。
こんな朝方まで一緒にいられる、大切な人とでなければ。

ぎゅっ、と景吾の手を握り締めた。

今度こそ、失わないようにと。

顔を後ろに向ければ見える、少し目を細めた笑顔。
私の不安を拭い去るように、景吾が1つキスをしてくれた。

「…………もうすぐ7月だからって、まだ朝は冷える。明日は……もう今日か……抽選会だし、もう一眠りするぞ」

「……うん」

握った手はそのままに。
私達は2人、歩き出した。




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