「ご両親はなにをなさってるんですか?」

頭の中で、そんな言葉がぐるぐると回っていた。

先日のパーティーで、そんなことを色々な人に聞かれた。
……それでも、私は答えることが出来なくて。
曖昧な笑みを返すだけ。

この世界に、私の両親はいない。

……戸籍を作るとき、私の両親は『死亡』ということにした、と聞かされた。
それ自体は、仕方のないことだと思ってる。だって、現実に……両親は、いないから。

だから、言えばよかったんだ。聞かれた時だって。

『両親は、小さいときに亡くなりました。なので、よく覚えていません』

そう言えば、よかったのに……どうしても、言うことが出来なかった。

私を育ててくれた2人を……消したくなかった。
お父さんが、お仕事に誇りを持っていたのを知っている。
「よくわからない」そんな一言で、終わらせたく、なかった。

だけど、今後、こういう状況はいくらでもあるだろう。
…………答えなきゃいけないんだ、景吾の隣にいる為には。

でも、それを答えることによって、思い知る。

私は、異世界が出身の……天涯孤独の身なのだと。



ノートを取ってはいるものの、全然集中できていない。

…………あまつさえ、思わず、泣き出しそうになってしまった。

放っておいたら、涙が勝手に零れ出てきそうだ。
私は景吾や侑士に気づかれないよう、そっと立ち上がって、教室を出た。





早く。もっともっと早く。

出来る限りの力を使って、特別校舎へ走る。

バンッ、と音を立てて乱暴に扉を開け、社会科室へ飛び込んだ。

狭くて誰も来ないこの教室は、密かにお気にいり。放送も何も入らないこの教室は、妙に落ち着く。
扉を閉めて、1番奥まで行くと同時に、ボロリ、と涙が出てきた。
そのまましばらく、感情が命じるままに涙を流す。

色々考えることがあって、頭はぐちゃぐちゃだ。

……両親のコトは、諦めようと思ってた。
ないものねだりをしても、仕方がないってわかってる。

忘れないようにしながらも、少しずつ……少しずつ記憶の扉の奥に、仕舞っていくつもりだったのに。

…………やはり、人間と言うものは、人を見るときに、育てられた環境が気になるみたいだ。
だからこそ、私の親のことを聞くのだろう。

静かなこの教室は、聴覚をある程度閉ざしている。さらに体育座りで頭を伏せて、視界も閉ざした。

余計な雑音は、いらなかった。

今度、両親のことを聞かれたら、ちゃんと答えられるだろうか?
お母さんとお父さんのコトを、泣かずに他の人に言えるだろうか。

―――私の存在に関することは、私が一生抱えて行かないといけない秘密で。
…………だけど、その秘密を隠すための嘘は、もうたくさんだ。

仲がいいテニス部員たちに、色々と隠しているだけで、結構辛い。

一生、この秘密を抱えて―――お母さんやお父さんのコトについて、嘘を言わなければならない。
それはイヤだけど、でも、景吾の隣にいるには必要なこと。
……でも、それによって思い知るんだ、失ったものの多さに。

「――――――ッ」

たくさんの考えることが、怒涛のように押し寄せてきて、ただ、涙を流すことしかできなくなった。





「…………?」

不意に聞こえてきた声に、ビクリと体が震えた。
今、1番聞きたくて―――聞きたくない声。
涙を制服にしみこませてから、ゆっくりと、顔を上げた。

「……け、景吾!?どうしたの!?」

「……どうしたのじゃねぇだろ。もうHR終わったぞ」

後ろ手に景吾が扉を閉めて、近づいてくる。

「えっ!?……あー、この部屋、放送入らないからうっかりしてたー。……もしかして、探してた?」

「あぁ。……ちょっと待ってろ、忍足たちに連絡する。………………あぁ、忍足か?、見つけた。……あぁ。……社会科室だ、でも―――クソ、切りやがった、アイツ」

「ご、ごめんね?お騒がせしました。ちょっと1人で考えることがあって」

景吾には話せない。もうちょっと、自分の中で考えることだ。
目線を合わせてきた景吾に、全てを見抜かれるのが怖くて、視線を逸らす。
ごめんね、という意味を込めて、ペコリと頭を下げる。なんとか誤魔化そうと、必死に笑った。

「……?」

「ん?何、景吾?」

「……どうした?なにかあったのか?」

「……なんでもないよ?平気だよ」

景吾は、なんでも見抜いてしまう。
だけど、これだけは見抜かれたくない。

必死に。本当に必死に、笑顔を作った。

だけど、それとは対照的に…………景吾の綺麗な顔は、歪んでいった。

「……っ、なんでもねぇわけ、ねぇだろ!お前、自分がどんな顔してるか、わかるか!?……なんで泣いてたんだよ、なんで、そんな泣きそうな顔で……笑うんだ!?」

「……景吾……?」

「頼れって言っただろうが。甘えろって言っただろ!?」

景吾の言葉に、また、泣き出しそうになった。
だけど……ダメだ、まだ、言えない。

「……ダメだ……ッ……言ったら、景吾に……」

「俺が関係することなのか?……なら、なおさら言え」

「……だ、め……ッ……ごめんっ!」

これ以上一緒に居たら、全部ぶちまけてしまいそうだ。
耐え切れずに、臆病な心が逃げることを選んだ。

扉を開けようとしたところで、素早く動いてきた景吾に掴まる。

それと同時に――――――ボロリ、とまた涙が溢れてきた。

見られたくない……言いたくない、これだけは!
なんとか放してもらおうと思い、腕を振りきろうと渾身の力を込める。

だけど、景吾は痛いくらいの力で手首を握って、放してくれなかった。
ぐいっと引き寄せられて、抱きしめられる。

温かい腕が、更に涙を加速させた。

「けい、ご……っ、離して…ッ、お願い……ッ!」

「……ッ……お前が泣いてるのに、離すわけねぇだろ……ッ」

「お願い……っ……ホントに、離して……ッ!」

「絶対離さねぇ……ッ……何が、あったんだ……お前、この間のパーティーの時から、なんか変だぞ……ッ?」

ダメだ、ダメだ!
言えない、言いたくない!

景吾を、傷つけたくない……ッ!

私が、『失ったもの』のことで色々悩んでるなんて知ったら、景吾は自分を責めてしまうかもしれない。

「離して……っ……私、景吾を傷つけるかもしれないから……ッ」

「……俺が傷つく?……上等だ、それでお前が少しでも悲しくなくなるなら、いくらだって傷ついてやるよ……お前が傷つくのを見るより、断然マシだ……ッ」

景吾の声が、喉の奥から絞り出されるように、小さく耳に届く。
こんな声を、前にも聞いたことがある。

―――あの時。景吾が、ただ1度……一滴だけ、涙を流したときの、声だ。

「……言えよ……言ってみろ、なにがあったか……」

「――――――ッ」

景吾の声に、『自制』という最後の砦が崩された。
ボロボロッ、と涙が後から後から溢れ出てくる。
景吾が、私を抱きしめたまま床に座りこんだ。

それでも、私を抱きしめる強い力は、座り込んでも変わることはなかった。

「……言ってみろよ。……まず、パーティーの時、何があった……?」

「……っ、あの時……っ、景吾がいない時……聞かれ、たの……ッ」

「……なにをだ?」

「……ご両親は、何をなさっているんですか?どこの、ご出身ですか?ご兄弟は?…………全部、答えられなかった……ッ」

この世界でのお父さんとお母さんのことなんて、知らない。
この世界での出身地なんて知らない。
この世界での兄弟なんて、知らない!!

結局、何1つ答えることが出来ない、私。

失ったもの。得たもの。

ぎゅっ、と拳を握り締めた。

「頭では、ちゃんとわかってる……ッ。私の両親は、私が小さいころに亡くなった、ってことになってるんだって……この世界には、存在しないんだもん……わかってる、はずなんだけど…………だけど、どうしても、それを他の人に言うことが出来なかった……ッ」

こんなことを言ったら、景吾が責任を感じないわけがないのに。
わかっているのに……言ってしまった。

「すまねぇ……」

小さく聞こえてきた声に、バッと顔を上げた。

「違う!景吾は、全然悪くない……ッ!……私は、景吾に会えて嬉しいっ……この世界に来れて、良かったと思う……っ……失ったものは多いけれど……それでも、得たものも多いもん……ッ……この世界に来れて、良かった……!だけど……だけどね……ッ」

景吾の手が、ゆっくりと私の手に絡まる。
握り締めた拳は、いつの間にか景吾の手を握っていた。

その温かさに、心の中のモノが、ボロボロと現れる。

「……時々……隠していることの大きさに、耐え切れなくなる……!家族とか、出身地とか……お父さんの職業とか!全部全部、どうやって答えたらいいかわからなくって……結局、私は『異世界』が出身の、『天涯孤独』の身だって、思い知らされる……ッ!」

……言ってしまった。
後悔やらなにやらがごちゃまぜになる。息が切れて、また涙が溢れそうになるのを、大きく息を吸って吐き出すことによって、止めようとした。
『泣くな』と、言い聞かせるように、手に力を込めて……それでも、景吾の目を見る勇気はなくて、俯いた。

「……ごめ、……こんなこと、言っても仕方ないってわかってる……ただ、今後……他の人に聞かれたら、ちゃんと答えられるのかな、って思ってたら……なんか色々、ぐるぐる考えちゃって……ごめん、ね……ッ。もう、大丈夫……悩んだって、仕方ないしね……」

もうこれ以上、景吾を苦しめたくない。
景吾は何も、悪くないのだから。

……離れようとしたら、体を包む……温かい、腕。
景吾の熱い吐息が、耳にかかった。

思わず顔を上げると……絡み合う、視線。

景吾の綺麗な瞳が、私の目を捉える。

そろり、と景吾の長い指が伸びてきた。
目元にまた、いつの間にか溢れてきた涙を、拭われ……キスを、される。

少しだけ乾いた唇が、いつもとは違って。

ゆっくり離れて―――景吾の瞳が、私を射抜く。

「…………もし今後、両親のことや出身地のことを聞かれたら、正直に元の世界でのことを答えろ。……俺が全てフォローする。お前は、お前を育ててきた環境を、正直に言えばいい。俺が、その環境を、書類上だけでも作り上げてやる」

……言われたことが、最初、理解出来なかった。
………………正直に、答える?
元の世界でのことを?

…………お父さんが勤めていた場所なんて、ないかもしれないのに。

それでも……作り上げて、くれるの……?

景吾の目が、悲しそうな藍に曇った。

「……だが、それでも……どうしても、お前の両親は、『死亡』となってしまうことになる。……すまない、それだけは、どうしようもない」

……景吾の切ない声に、申し訳なさと涙が膨れ上がる。

「ご、めん……いろいろ迷惑……ッ」

「……バーカ、お前のせいじゃねぇ。……俺と、親父とおふくろのせいだ。…………今後、両親のことを聞かれたら、お前を育ててくれた両親のことを、ありのままに言えばいい」

「……本当に、……いいの……っ?」

「当たり前だ。もっと早く、言っておくべきだったな……お前の両親が、お前をこんな風に育ててくれたんだ。お前にとっての両親は、たとえ世界が違おうが、たった2人だけだろ?……それを、嘘で固める必要はない」

「…………うぅぅ〜…………ッ」

嬉しくて。
……私のお父さんとお母さんの存在を、尊重してくれる景吾。

それが、嬉しくて、ぎゅっ、と抱きついた。

「……孤独になんか、させねぇ。俺様がついてる」

「…………う、ん……ッ……」

あったかい景吾の言葉と、腕に、もうこれ以上流れないと思っていた涙が、更に頬を伝って落ちていく。

うめき声を上げながら、私は必死で目の前の大切な存在に抱きついた。
失いたくない、この人を。

景吾の手が、ぽんぽん、と頭を撫でてくれる。

温かいその感触に、いつの間にか、また意識がなくなっていった。




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