HR前。

今日は水曜日だ、部活がない。
さっさと帰って、家でゆっくり過ごすことにするか……。

いや、それともとどこかに寄って帰るか―――。

に話しかけようと、振り返ったらそこにアイツはいなかった。

いつの間にいなくなったのだろう?ついさっきまでは、カリカリとノートを取る音が聞こえていたのに。

「……おい、忍足。、どこに行った?」

「ん?……あー、そいやさっき、出て行ったなぁ……どこに行ったかは知らんで。トイレやないん?」

忍足の言うことも最もだ。
……だが、なんだか妙な胸騒ぎがする。
それでも、何もすることが出来ず、俺はただが帰ってくるのを待つことにした。

キーンコーンカーンコーン、と鐘が鳴った。

鐘が鳴ったというのに……は、帰ってこない。

――――――また、なにかあったのか?

がいないまま、HRが始まる。
まず、クラスのそれぞれの係や委員が連絡事項を述べる。
その後、担任が事務的なことを伝えた。

「……今日のHRは以上だ。今、教室にいない者には、周りの者が伝えておくように。以上、解散」

バラバラと生徒が散って行く。
結局は帰ってこなかった。

さすがに、忍足も眉を寄せている。

「……どこ行ったんかな、ちゃん」

「…………電話してみる」

のナンバーを呼び出すと、通話ボタンを押す。
何度かコールが鳴って……留守番電話に切り替わった。

プチ、とボタンを押して、通話を切る。

「……出ねぇ」

「おかしいな……でも、絶対学校内やろ?……探してみるか?手伝うで」

「あぁ……それじゃ、屋上行ってみる」

「俺は部室やな……レギュラーにも会ったら、探すように言っておくわ」

「あぁ」

忍足の言葉を聞きながら、俺は走り出した。
何度、俺はを探し回っていることだろう。
冷泉院の時も、この間の時だって、こうして探し回った。

だが、その時は、事前に、なにか素振りがあった。

今回はなんの前触れもなく、は、フラッとどこかへ消えた。
携帯のコールは鳴っている。少なくとも、電波がなくて物理的に出れない状況じゃない。
今のは、敢えて出ないのか、電話に気づかないのか、それとも―――気付いていても、出ることが出来ないのか。その3つだ。

屋上の扉を開け、ざっとあたりを見回すが、の姿はない。バタン、と苛立ちまぎれに乱暴に扉を閉めて、今度は生徒会室へ向かう。……やはり、そこにも姿はない。
特別校舎内を歩きながら―――ふと、社会科室が気になって、覗いてみた。
以前、と2人この教室で色々あって以来―――なぜだかは酷くこの教室を気に入っていた。なんでも、この狭さが心地いいらしい。
扉を開けて入ると。

体育座りをして、うずくまってるがいた。

――――――泣いてるのか?

「…………?」

ビク、との肩が揺れ、ゆっくりと顔が上げられる。
驚かれたように見開かれた瞳。
今は涙こそ流れていなかったが―――ほんの少し、赤みが差している。泣いていた後の顔だ。

「……け、景吾!?どうしたの!?」

「……どうしたのじゃねぇだろ。もうHR終わったぞ」

「えっ!?……あー、この部屋、放送入らないからうっかりしてたー。……もしかして、探してた?」

「あぁ。……ちょっと待ってろ、忍足たちに連絡する。………………あぁ、忍足か?、見つけた。……あぁ。……社会科室だ、でも―――クソ、切りやがった、アイツ」

携帯のボタンを押して、ポケットにねじ込む。
改めて、の顔を見つめた。……やはり、目が赤い。

「ご、ごめんね?お騒がせしました。ちょっと1人で考えることがあって」

見られたくないように目線を逸らして、はペコリ、と頭を下げる。
そして、何もなかったかのように、ゆっくりと立ち上がって……少し、笑った。
また―――あの笑顔だ。

「……?」

「ん?何、景吾?」

「……どうした?なにかあったのか?」

「……なんでもないよ?平気だよ」

そう言って、また、笑う。
何度となく、この笑顔に騙されてきた。

だが―――今度は、ぎゅっ、と胸が締め付けられるような、痛みがする。

明らかに、無理している笑顔だ。

「……っ、なんでもねぇわけ、ねぇだろ!お前、自分がどんな顔してるか、わかるか!?……なんで泣いてたんだよ、なんで、そんな泣きそうな顔で……笑うんだ!?」

「……景吾……?」

「頼れって言っただろうが。甘えろって言っただろ!?」

の顔が、ゆっくりと歪んでいく。
目が、潤んでいく。

それでも、堪えるようにぱちぱちと数回瞬きをする。

自分に言い聞かせるように、俯いて、小さく呟いた。

「……ダメだ……ッ……言ったら、景吾に……」

「俺が関係することなのか?……なら、なおさら言え」

「……だ、め……ッ……ごめんっ!」

ダッ、とが走り出した。
虚を突かれた俺は、一瞬反応が遅れたが、を追って動く。

が扉を開けようとしたところで、その手を捕らえた。

ボロッ、と溢れだしている、の涙。

……やはり、は泣きたかったんだ。

掴んだ俺の腕を振り払おうと、の手に力が込められる。本当に離れたいのだろう。いつも以上に力が込められていて、少しでも力を緩めたら、逃げられそうだ。
だが、この手は、絶対離さねぇッ……。

が痛がるのは承知で、ぎゅっと手首を握り締めて、強引に体を抱き寄せた。
抱き寄せても尚、腕の中で暴れる

「けい、ご……っ、離して…ッ、お願い……ッ!」

「……ッ……お前が泣いてるのに、離すわけねぇだろ……ッ」

「お願い……っ……ホントに、離して……ッ!」

「絶対離さねぇ……ッ……何が、あったんだ……お前、この間のパーティーの時から、なんか変だぞ……ッ?」

俺の質問には答えず、は強く頭を振る。涙がパッと宙へ散っていった。

「離して……っ……私、景吾を傷つけるかもしれないから……ッ」

「……俺が傷つく?……上等だ、それでお前が少しでも悲しくなくなるなら、いくらだって傷ついてやるよ……お前が傷つくのを見るより、断然マシだ……ッ」

もう2度と、を傷つけないと誓った、あの夜。
泣きながら眠るを見て、もう2度とこんな風に泣かせなくない、そう思ったのに。
また、は泣いている。

「……言えよ……言ってみろ、なにがあったか……」

「――――――ッ」

ボロボロッ、との目から、涙が零れ落ちる。
抵抗が、なくなった。
その代わりに、くたりと弛緩する体。

俺は扉に背を預けて、を抱きかかえたまま、ズルズルと床へ座り込んだ。
しゃくり上げるの背中を、ゆっくりと叩く。

「……言ってみろよ。……まず、パーティーの時、何があった……?」

「……っ、あの時……っ、景吾がいない時……聞かれ、たの……ッ」

途切れ途切れの言葉。
の頬を、幾筋もの涙が零れ落ちていく。

「……なにをだ?」

「……ご両親は、何をなさっているんですか?どこの、ご出身ですか?ご兄弟は?…………っ、全部、答えられなかった……ッ……」

の涙が、俺のシャツに小さなシミを作っていく。
それはどんどん広がっていくが―――が心に受けた、鋭い傷に比べれば、ずっとずっと小さいものに違いない。

「頭では、ちゃんとわかってる……ッ。私の両親は、私が小さいころに亡くなった、ってことになってるんだって……この世界には、存在しないんだもん……わかってる、はずなんだけど…………だけど、どうしても、それを他の人に言うことが出来なかった……ッ」

が失ったもの―――それは、俺がから奪ったものだ。
両親も、出身地も、兄弟も―――全て、俺がから奪った。
―――俺が奪ったから、はこの質問に答えることが出来なかった。その事実に、俺が責任を感じる、そう思ったのだろう。だから、言わなかった。

「すまねぇ……」

小さく呟いた俺の言葉に、が反応してバッと顔を上げた。

「違う!景吾は、全然悪くない……ッ!……私は、景吾に会えて嬉しいっ……この世界に来れて、良かったと思う……っ……失ったものは多いけれど……それでも、得たものも多いもん……ッ……この世界に来れて、良かった……!だけど……だけどね……ッ」

固く握り締められたの拳を、ゆっくりと開いて指を絡めた。これ以上、の手が傷つかないように。もしも傷つけるなら、俺の手の甲を傷つけるように、手を、絡めあう。

「……時々……隠していることの大きさに、耐え切れなくなる……!家族とか、出身地とか……お父さんの職業とか!全部全部、どうやって答えたらいいかわからなくって……結局、私は『異世界』が出身の、『天涯孤独』の身だって、思い知らされる……ッ!」

一気に言い切ると、荒い息を吐き、今度は、涙を堪えるように、大きく息を吸って吐き出した。……吐き出すときの吐息が、小刻みに震えながら、俺の頬を掠めていく。
ぎゅっ、とは、手に力が込めて、俯いた。

「……ごめ、……こんなこと、言っても仕方ないってわかってる……ただ、今後……他の人に聞かれたら、ちゃんと答えられるのかな、って思ってたら……なんか色々、ぐるぐる考えちゃって……ごめん、ね……ッ。もう、大丈夫……悩んだって、仕方ないしね……」

離れようとするを……強く強く、抱きしめた。
またこいつは、1人で何もかも抱え込もうとする。

この後、また1人で泣くのだろう。
俺の見ていないところで、また、同じように悩んで、悲しんで―――1人で泣くのだろう。

……もう、そんなのはたくさんだ。

きゅ、と指の腹での涙を拭い、1度、キスをした。

涙で濡れた唇は、ほんの少し塩味がする。

ゆっくり離れて―――を、じっと見つめた。

「…………もし今後、両親のことや出身地のことを聞かれたら、正直に元の世界でのことを答えろ。……俺が全てフォローする。お前は、お前を育ててきた環境を、正直に言えばいい。俺が、その環境を、書類上だけでも作り上げてやる」

の目が、大きく見開かれた。
涙で潤んだ瞳に、俺が映っているのが見えた。

「……だが、それでも……どうしても、お前の両親は、『死亡』となってしまうことになる。……すまない、それだけは、どうしようもない」

今まで、の両親のことなどについて、きちんと考えてはいなかった。
だが、今後のことも考えると、それが良くないことだと……以前から気付いていた。
早急に対処しなかったのは、俺のミスだ。

が育ってきた背景を、きちんと確認して、2人でよく話し合うべきだったのに。

そうすれば、だってすんなりと、質問に答えることが出来ただろう。

の目に、また、涙が膨れ上がっていく。

「ご、めん……いろいろ迷惑……ッ」

「……バーカ、お前のせいじゃねぇ。……俺と、親父とおふくろのせいだ。…………今後、両親のことを聞かれたら、お前を育ててくれた両親のことを、ありのままに言えばいい」

「……本当に、……いいの……っ?」

「当たり前だ。もっと早く、言っておくべきだったな……お前の両親が、お前をこんな風に育ててくれたんだ。お前にとっての両親は、たとえ世界が違おうが、たった2人だけだろ?……それを、嘘で固める必要はない」

「…………うぅぅ〜…………ッ」

ぎゅうっと抱きついてきたの頭を抱え込み、ぽんぽんと背中を叩く。

「……孤独になんか、させねぇ。俺様がついてる」

「…………う、ん……ッ……」

しゃくりあげる声だけが、静かな部屋の中に、響いた。

やがて―――微かな寝息が聞こえてきた。……泣き疲れて眠ったらしい。
腕にかかる重みに、俺は小さく息を吐く。

……確かに、あれだけ泣けば、相当疲れるだろう。
未だ流れたままの涙を、そっと拭った。

の体を抱え直しながら、ゆっくりと俺は上を見る。

…………もっと早く、両親のことなどは対処してやるべきだった。
思えば、あんなパーティーの場で、両親のことを聞かれないわけがなかったのだ。

もしかしたら、あの場以外でも、誰かに両親のことなどを聞かれていたかもしれない。俺の知らないところで、そんなことがあってもちっとも不思議じゃない。
…………俺の、配慮が足りなかった。

涙で濡れているの目元を拭い、そのまま頭を撫でようとしたら、背にしたドアが少し押された。
誰かが、ドアを開けようとしている。

放課後に、社会科室に用がある生徒なんていない。
尋ねて来る生徒なんて―――


…………まさか。


俺はを抱えたまま、少し場所を移動した。
開かれる扉。

―――入ってきたのは。

「…………お前ら……まさか、聞いてたのか……?」

テニス部の、レギュラーたち。
みな、固い表情をしている。

忍足が、眠るをちらりと見て、ゆっくりと口を開いた。

「……どういうことなん、跡部?……この世界とか、元の世界とか…………『存在しない者』って、一体なんなん!?」

「……前から、気にはなってたんです……さんは、ご両親の話もしませんし、なぜ跡部さんが、さんのすべてを援助しているかも、気になっていました……だけど、さんも、跡部さんも何も言わなかったから、今までずっと聞きませんでした」

「だけどよ……ここまで聞いたら、もう、我慢できねぇ……どういうことだ、跡部!」

…………どうやら、全てを聞かれていたらしい。
誰もが、真剣な目つき。

……これは、誤魔化しようがないだろう。

小さく息を吐き出して、を1度、強く抱きしめた。

「……………………わかった。……全てを話す。俺の家に来い」

そろそろ、限界だとは思っていた。
……テニス部とは深い付き合いがあるから、家の事情も筒抜けだ。それでも、ここまで何も聞かれずにいられたのは―――こいつらなりの、優しさだろう。

だが、それも限界だ。

眠るの顔を見ながら、俺はコイツらに全てを話す決心を固めた。




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