一昨日、卒業式も無事に終わった。
卒業記念パーティーは、つわりのせいで最後までいることは出来なかったけど、それでも十分楽しめたと思う。
そのままホテルに泊まって、帰ってきたのは昨日の昼。
具合があまりよくなくって、それからはずっと寝てた。

今日は定期健診の日。
具合が悪かろうと、病院に行かなくては。

、俺も今日は病院行く」

朝起きて、気持ち悪さにふらふらしてたら、景吾が『まだ寝てろ』と言ってくれた。
その後の、この言葉。

「……え?」

気持ち悪さを飛び越えて驚いてしまった。
景吾は卒業前から、景吾パパのお仕事の手伝いをしてる。
相変わらず海外を飛び回ってる景吾パパの代わりに、国内の取引先の人と通じたりしてるんだって。…………でも、なんだかそれって、中学生時代からやってたことのような気も……。
まぁ、プロテニスプレイヤーとしての活動もあるから、あまりデスクワークとかはしないらしいんだけど……時々家に書類を持ち帰ってきて、夜遅くまでパソコンを動かしてる姿も見かける。こーしてみると、社会人だぁ、と自覚してみたり。

それに加えて、テニスのトレーニングなどもしてるから、中々ハードな日常なんだけど。

「今日、健診の日だろ?俺も行く」

「え、それは嬉しいんだけど……お仕事は?」

「午前中で全部終わらせる」

キッパリ言い切った景吾。
……景吾ならやれちゃうところが、すごいんだよな……。

「午前中はゆっくり寝てろ。帰ってきたら起こすから」

ぽん、と景吾が頭の上に手を乗っけた。そのまま軽く撫でてくれる。

「……行ってらっしゃい」

「あぁ、行ってくる」

景吾が、部屋を出て行く。
私は、やっぱり気分がすぐれなかったから。
景吾の言葉に甘えて、午前中は寝ることに決めた。






本社ビルに入り、俺専用の部屋に入る。
セキュリティーが強固なこの部屋は、設定したナンバーの入力でしか、扉が開かない。

ピッピッピッ……と8桁の番号……俺とが出会った日、0202と、アイツと恋人同士になった日、0329を続けて入力。
『認証完了しました』
画面が変わり、ガチャリと鍵が開く音がする。

部屋に入ってまず、今日のスケジュールの確認。

……今日出向いてくるはずの会社は……午前中に1件。それしか入れていない。
後は、取引の詳細をまとめたり、親父に送るための資料を作成するだけでいいだろう。

これなら、2時までには家に帰れるな……。

パソコンを立ち上げながら、俺は頭の中で算段した。


予定通り、午前中で全て仕事を終えた俺は、さっさと会社を後にした。
車に乗り込み、屋敷へ戻る。
部屋へ行けば、は俺の言葉どおり、寝ていた。
起こさないように、そっと着替えてに近づいた。

顔色があまりよくない。

つわりのせいで、あまり物を食べられなくなっているからだろうか。
ピークは超えたらしいのだが、まだまだ辛そうだ。

起こすのは可哀相だが、病院に行かなくてはならない。12週目というのは、大事な検査もあるらしい。……それに、違う用事もある。
ゆっくりとの肩を揺さぶった。

……おい、起きろ」

眠りが浅かったのか、存外早く、の目は開いた。

「ん、景吾……おかえり……」

「あぁ。……お前、何か食べたか?顔色悪いぞ」

「えーっとね、お昼ごろに宮田さんがトマト持ってきてくれたから、それ食べた……」

「それだけか……他に食わねぇのか?」

「うん……えーと、病院行くから……診察券……あぁ、今日から母子手帳いるんだ」

「俺が出す。……どこだ?」

「えっと、タンスの一番上の引き出し」

言われたとおり、タンスの最上部にある小さな引き出しを開ける。
大事なものがしまってあるその場所には、印鑑や通帳などが入っている。少し探すと、透明なポーチに、母子手帳と診察券が入っていた。

「これだけでいいか?」

「うん。あ、それからタオル……」

「あぁ、わかってる」

気分が悪くなったりするときに、口を押さえたりするタオルは、必需品。
それもタンスから出して、がいつも使っている鞄に入れた。

「ありがとー」

がベッドから起き上がって、それを受け取ろうとやってきた。

もちろん、鞄は持たせるつもりはない。

「俺が持つ。……掴まるか?」

腕を差し出すと、きょとん、とした後、はふっと笑った。

「あはは、景吾、心配性〜。……でもありがと、じゃ、お言葉に甘えて」

きゅっと絡み付いてくる腕。
頭をポンポン、と撫でて、部屋を出た。

玄関で待たせておいた車に乗り込んだ。
つわりとの相乗効果で、乗り物に乗るのも辛いらしい。
少し肩を落とし、の頭を引き寄せた。俺の肩に、の頭がちょうど乗っかるように。

「……大丈夫か?」

「うん、いつもより大分マシだよ」

かすかに笑う
……辛いときでも笑うのは、中学のときから変わっていない。

家から病院までは車で5分程度。
この近さも、は有難がっていた。歩いていくには少々遠かったが、車だとあっという間につく。

今日は信号がスムーズに流れていたので、5分もかからずついた。

車から降り、受付を済ませると、一緒に待合室の椅子に座る。
……父親が一緒に健診に来るのは、結構珍しいらしく、大きな病院にも関わらず、俺のほかには2、3人しかいない。
しかも、俺ほど若い父親と言うのはいないから、座っている妊婦のほとんどが、興味津々で俺のほうを見てくる。
がクスリと笑った。

「…………なんだよ」

「ううん、景吾注目されてるな、と思って」

「父親ってあんまり来ないものなのか?お前の健康状態とか、把握してたほうがいいと思うんだが」

どうしたらつわりが軽くなるのか、とか。
日常生活で気をつけること、とか。
これからの生活のこと、とか。
そういうのは、父親こそ聞いて協力するべきだと思うんだが。

そう言うと、が嬉しそうに笑った。

「……私の旦那さんは、いい旦那さん」

「当たり前だろ」

ぽん、と頭に手を乗っける。
そして改めて、俺はあたりを見回した。

……注目されてるのは別として、やはりここにいるのはお腹の大きな妊婦が多い。
は、まだ体型的には変化が見られないから、『妊婦』と言わない限りはそう見えない。

だが、周りにはバスケットボールでも腹に仕込んでるんじゃねぇかと思うほど、はちきれんばかりに大きなお腹をした人もいる。
他にも、膨らんでいるお腹を持った人は多い。
子供づれの母親もいる。

「……あら、さん?こんにちは」

不意に掛けられた声。
俺は周りに向けていた視線を、に戻した。
の前に立つ、1人の妊婦。
その手には、3歳くらいの息子の手が繋がっていた。

「あ、こんにちは、香川さん。……翔くんも、こんにちは」

「こんにちは!」

翔、と呼ばれた子供が、元気よくに挨拶をする。

「景吾、この間知り合った、先輩ママさんの香川さん。それと、息子さんの翔くん」

「跡部景吾です」

の知り合いか。軽く頭を下げた。

「……あら?もしかして……テニスプレイヤーの」

「えぇ、まぁ。……がお世話になってます」

「いえいえ。さんには翔が迷子になったときに、助けていただいて、こちらこそお世話になってます」

母親特有の、柔らかな雰囲気。
2人目を妊娠してるらしく、少し膨れた腹部。

「一緒に健診に来てくださるなんて、いい旦那様ね。うちの人は、今日も仕事よ」

「でも、ご主人がよく翔くんを連れて歩いていらっしゃるの、見かけますよ?」

が母親と話していると、じぃっと俺を見てくる視線。
息子が、俺を凝視していた。

「……なんだ?」

「お姉ちゃんの、パパ?」

…………なんだか少し違う気もするが、言いたいことはわかる。

「まぁな。……お前は、もうすぐ兄貴になるんだな」

「うん!僕、お兄ちゃんになるんだ。妹なんだって!」

「そうか。じゃあたくさんお母さんを助けないとな」

にっこり笑って頷く子供。
隣でがぷっ、と噴出した。

「……なんだよ」

「なんだか景吾、いつもと違うから。……子供には優しいんだね」

「……いつも俺は優しいだろうが」

「あはは。早く育児に奮闘する景吾の姿が見たいよ」

の言葉に、ちっと舌打ちをしつつも、俺の視線は子供に向いてしまう。
俺たちの子供も、こうして元気に育ってくれればいい。

さん、診察室へお入りください」

「あ、はい」

名前が呼ばれた。
…………さっきから気になってたんだが、やっぱりは旧姓をそのまま名乗ってるらしい。
…………今日、行くしな。診察券の名字変更は、今度の時になるだろう。





診察が終わった。
とりあえずは、元気に育っているらしい。
超音波写真、というのを見せてもらったが……よくわからねぇ。でもまぁ、元気に育ってるのならいい。

「景吾?」

「ん、あぁ、悪い……」

受付にいって、支払いを済ませる。

、寄りたいところがあるんだが……体調は平気か?」

「ん?今日は平気だよ。あんまり遠いところは勘弁だけど」

「そんなに時間はかからねぇ。……じゃ、行くか」

車に乗り込む。
運転手にはすでに行き先を告げてある。運転手がこっちを見て、にこりと笑った。

「景吾、どこ行くの?」

「……まぁ、着いてからのお楽しみだ」

が何かと聞いてきたが、そ知らぬ顔で答える。
その場所には、すぐに着いた。

車を降りると、がぽかん、と建物を見つめた。

、ほら、来い」

「え……ちょ、景吾……ここって」

「区役所だが?」

「…………もしかして」

何も答えず、の手を握って歩き出す。
自動ドアをくぐり、椅子があるところまで。
俺は、鞄の中から1枚の紙を出した。

「…………婚姻、届…………」

「宮田に取って来てもらった」

俺たちが記入する以外のところは、すべて埋めてある。
証人は、これだけの為にわざわざ海外から日本に、10分ほど帰ってきた、親父とおふくろ。

「…………後は、俺たちが名前を記入して……印鑑押すだけだ」

「私、印鑑……」

「持ってる」

「…………景吾、計画的過ぎだよ……」

くしゃり、との頭を撫でて。
まずは俺が記入した。

名前、住所、生年月日……記入し終えて、『跡部』の印鑑を押す。

「……お前の番だ」

持っていたペンをに渡す。

「うぅ……手が震える……」

「間違えるなよ?」

「うわー、プレッシャーかけないで〜」

カタカタと震えているの手を握って。

「バーカ」

そう言ってやると、ようやく震えが収まったらしい。
の手をそっと離す。

ゆっくりと記入を始めた

「景吾……本籍、一緒でいいんだよね?」

「あぁ。……父母の名前は、お前の本当の両親の名前で平気だ(そういう風に、戸籍を作ってある)」

「う、うん…………」

が記入を終えたのを見て、俺はさらに必要事項を記入して。
出来上がった書類を持って、立ち上がった。

「行くぞ」

「うん……」

の手を握って、窓口までいく。
係りの者に届けを提出し、しばらく待っていると声がかかった。

「婚姻届、受理いたしました。おめでとうございます」

事務的な口調だったが、繋がったの手が、俺の手をぎゅっと握り締めた。
それに反応するように、俺もの手を先ほどより強く握り締める。

婚姻届受理証明書をもらって、区役所の外へ出た。

外へ出たとたん、がぎゅっと抱きついてくる。
人前で、がこういう風にするのは珍しい。

ぽんぽん、とその背中を叩いた。

「…………これで、お前は正式に『跡部』だ。病院の診察券やらなにやら、ちゃんと変更しておけよ?」

「……うん。……跡部、かぁ……」

ゆっくりと体を離したは、満面の笑み。

「嬉しい。気持ち悪いの、吹っ飛んだ」

「帰ったら、多分屋敷中が、祝いの準備してるからな。少しでもいい、料理食え」

「うん、今日は幸せでつわりも吹っ飛びそう。食べるともさ!」

の頭にぽん、と手を乗っけて。

今日、は『』から、『跡部』になった。




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