入籍して、1週間。 俺は、親父の仕事を手伝いながら、プロテニスプレイヤーとしても活動をし始めていた。 本来なら、も卒業後は俺のトレーナーとして働く予定だったが、妊娠したアイツに仕事なんてさせられない。 それでも仕事をしたがったを、無理やり言いくるめた。 なんとか納得したは、屋敷でのんびりとした生活を送っている。 俺も仕事を詰めたり、自宅にトレーニング機材を購入したりして、といる時間を増やした。 ……は、誰かが見張ってないと、時々とんでもないことをするからだ。 この間も、平気で重いものを持ちそうになったのを、すんでのところでとどめた。 俺が帰ってきたときに、こっちに寄ってくる途中でコケそうになったし(俺が至上最高速度で走って抱きとめた)、なんでも、すごく眠いらしく、ソファで何もかけずに寝てるなんてしょっちゅうだ。 だから、俺が傍にいてやらねぇと。 今日も家に帰ってくるなり、階段の上から駆け下りてきそうだったよりも早く階段を駆け上がった。 まだあまり変化のない体を、そっと抱きしめる。 「……、頼むから大人しくしててくれ。寝てるなら寝てて構わない」 「お医者さんが、適度に運動してくださいって言ってたよ?」 「散歩なら、俺がいくらでも付き合ってやる。だから、1人でどっか行ったりは絶対するな」 「…………はーい」 「本当にわかってんのか、あーん?」 「う、うん……努力…する」 「努力じゃねぇよ、バカ」 本当に、俺がついていないと何をするかわからねぇ。 ……こんなんで、子供が生まれたらどうなることだか。 「景吾様」 宮田が俺の後に続いて階段を上ってきた。 上着を脱ぐ間もなく、の為に階段を駆け上がってきた俺。 少し苦笑しながら、上着を脱いで宮田に渡した。 「景吾様、さきほど芝関商事の社長様からお電話がありまして……」 「芝関?……あぁ……後で俺から連絡しておく。……今度、うちに来るかもしれねぇ」 「承知いたしました」 芝関商事……跡部財閥の取引相手だ。 特殊なものを扱っていて、芝関商事と他数社でしか取引できないものだから、こちらとしても慎重に対応しなければならない。 社長は俺の大嫌いな人物だが、これも仕事だ、仕方がない。 ようやく取引がまとまって、注文の発注をするのみになった今。 今後のためにも、1度、うちにでも呼んでもてなした方がいいだろう。 ソファやテレビが置いてある部屋(元の部屋)に入り、ゆっくりソファに腰を下ろす。 ネクタイを少し緩めて、1日が終わった充実感と、が隣にいる幸福感に身を任せた。 の肩を引き寄せる。 「今度、お客さん来るの?」 「あぁ……商談相手だ。……お前は無理しなくてもいいぞ?」 いくらつわりが落ち着いてきたからと言っても、まだまだ本調子とまで行かない。 今日もやはり顔色が悪い。 「え?でも……一応家に来るんだったら、私、挨拶した方がいいよね?」 「………………それはそうなんだが……相手の社長に、少し問題がある。……仕事は出来ても人格的には出来てねぇヤツだな」 「…………あは、はは…………でもまぁ、一応挨拶には来るよ……」 「挨拶だけでいいからな。…………あぁ、そういえば」 ネクタイを抜き取りつつ、の頭に手を乗せる。 「試合が決定したぞ、来月だが」 俺の言葉に、がものすごい速度で反応した。 こういう反応は、すこぶるいい。 「ホント!?どこでどこで!?」 「東京都立アリーナテニスコート。中学の時に全国大会やったとこだ」 「あそこかぁ〜……じゃあ応援行けるね!」 「…………お前、1人で来るなよ?来るなら、誰か呼べ」 「……信用ないなぁ〜……」 「信用できるか。…………忍足あたりにでも連絡しておくか、身軽な学生だしな」 「侑士?……でも侑士、医学部だし、お休み取れないんじゃ……」 「取らせる」 「………………………………強引」 の言葉を、キスで封じ込める。 強引だろうとなんだろうと、の安全のためならなんでもやらせる。 「風呂入ってくる。…………先に寝てていいからな」 「待ってるよ〜。……いってらっしゃ〜い」 ヒラヒラと手を振る。 はたして、俺が出てくるまで、眠気に耐えられるか。 …………なるべく早く出てきて、眠気に勝てなかったをベッドに移すか。 数日後。 発注の確認後、俺は芝関商事の社長を屋敷へ招待した。 事前に連絡は入れてある。家に帰れば料理が待っているだろう。 …………それよりも心配なのは、だ。 今日は無茶をしていないだろうか。 家に帰ると、出迎える使用人。 社長は、メイドを上から下まで舐めるように見る。 …………女癖も悪いと言っていたな。 「いらっしゃいませ、芝関様。どうぞこちらへ」 宮田が芝関を応接間に連れて行ったのを見てから、近くにいるメイドに声をかける。 「は?」 メイドは、くすりと笑った。 「先ほどまで、景吾様のお帰りをお待ちになる、と粘っておられたのですが……玄関のソファでお休みになられてしまいましたので、大友が」 …………大友が、を運んだというわけか。 しかし玄関で寝るとは……また少し、説教してやらねぇと。 「景吾様」 「あぁ、今いく。…………が目覚めたら、応接間だと言ってくれ。……別に無理に起こす必要はねぇからな」 「かしこまりました」 メイドに言い残して、俺は応接間へ急ぐ。 出てきた料理を食べ、しばらく談笑。 こちらの腹の内を探る質問も多かった。 あまり人に詮索されるのは好きじゃねぇが、適当にかわしつつ答えておく。 しばらく話していると、パタパタ、という足音が聞こえた。 …………どうやら、が起きたらしい。 ったく……走らなくていいのに……。 キィ、と小さな音が鳴って、応接間の扉が開いた。 伺い見るように顔を出してきた。 「」 俺が声をかけると、ぱっと笑って……そして慌てて表情を引き締めて、入ってくる。 ぺこり、と社長に向かってお辞儀をした。 社長の目が、を捕らえる。……嫌な目つきだ。 「跡部さん、こちらのお嬢さんは……」 「妻のです。……」 「は、はじめまして。いつも……主人が、お世話になっております。ご挨拶が遅れて、申し訳ありません」 が躊躇いながらも、『主人』と言ったことに、少しだけ笑いが漏れる。 ……の顔が赤い。言い慣れていないからだろう。 「……ほぅ、跡部さんがご結婚されていたとは、知りませんでした」 「籍だけで、式はまだ挙げていませんから。結婚も、ごく内輪のものにしか知らせてないんですよ」 「奥さんはおいくつで?」 「あ、はい。主人と同い年の22です」 ……本当なら、紹介だけ済まして帰そうと思ったが、この社長はに目をつけたらしい。 強引に話を途切れさすことも出来ずに、とりあえず、に座るように目で促す。 おずおずとが腰を下ろした。 「いや、美しい奥さんですね。…………どこでお知り合いに?」 「あ、中学のときに部活動のマネージャーで……」 「なるほど、テニスつながりというわけですな。ということは、奥様も名門氷帝学園出身で?」 「一応、大学まで……」 のことを根掘り葉掘り聞いてくる。 俺は少し顔をしかめた。 「ほう……いいですな。……跡部さんは、若いのに大変仕事が出来ると、評判なんですよ」 「そんな……社長こそ、お仕事が良くお出来になると、主人から聞かされております」 おいおい、そこまでおだてる必要はないだろう。 ちらっとを見たら、わかってるような笑みを返される。……わかってて言ってるのか。 「嬉しいことを言っていただけますな」 スッと社長が懐に手をやった。 取り出したのはタバコ。 の表情が曇った。 ……ちっ、商談中は吸わなかったから、てっきり嫌煙家なんだと思っていたが―――。 「……、悪いが厨房に明日のことを伝えて来てくれるか?」 へ?とが俺に顔を向ける。 それはそうだ。明日は特に何もない。厨房にいく用事だってない。 …………だが、一刻も早くをここから出さなければ。 俺の意図を感じ取ったのか、が、うん、と頷いた。 「申し訳ありません、途中ですが……」 「いえ、いいんですよ。奥様もお屋敷でのお仕事があるでしょうから」 ぺこり、とお辞儀をしてが部屋を出て行った。 ふぅ、と少し息を吐く。 …………妊婦のに、タバコの煙は良くない。 俺はタバコの煙に少し眉をひそめながら、この男との会話に意識を集中させた。 「……いや、明るくて良い奥さんですな」 「ありがとうございます」 「…………しかし、こういってはなんですが……跡部さんほどの男となれば、もっと名門のお嬢様と結婚なさると思っていましたが」 「…………私は、あいつ以外を妻にする気はないので」 ほ、とタバコの煙を吐く男。 ……後で宮田に言って、掃除させるか。 「愛妻家のようですな、跡部さんは。……あなたはまだお若い。他の女の魅力も、試してみる気はないんですか?」 「生憎、あいつ以外に魅力を感じないもので」 「まぁ、そう言わずに。…………きれいな女の子がたくさんいる店を今度紹介しましょう」 「お気持ちだけで、十分ですよ」 間髪を入れない俺の答えに、少々社長は気を悪くしたらしい。 小さな下卑た笑みを浮かべた。 「では、今度……奥さんもご一緒に、食事でもいかがですか?私の秘書も連れて」 結局行き着く先はソコか。 つまりは、と食事をさせろ、と言いたいのか。 「申し訳ないが……をもう1度あなたに会わせるくらいなら……俺はあいつをこの屋敷に閉じ込めますよ」 スッと立ち上がって、パチンと指を鳴らす。 執事やメイドが勢ぞろいで、これから帰る客を見送る姿勢になる。 くっ、と社長が息を呑んだ。 「お帰りはこちらです」 宮田の声に、芝関が顔を歪めた。 「……失礼するッ」 宮田からジャケットをひったくるように奪い、歩調も荒く玄関へ向かう芝関。 その背中に向かって、俺は言った。 「ついでに……この屋敷は禁煙だ。次にタバコを吸ったら、容赦なく追い出す。……もっとも、もう1度来るかはわからねぇが」 芝関がこちらを見て睨む。 こんなやつに、もはや丁寧語など使う価値もねぇ。 「妊婦がいるんでな。言わなかった俺も悪いが……他人に、タバコが及ぼす悪影響を考えろ」 ぐっと口を噤んだ芝関。 「…………それは、すまなかった。まぁ……商談相手として、跡部は捨てがたいからな……切ることはせんよ」 苦笑して去っていく芝関。 性格は最悪だが、やはり仕事にかけては頭が回る。 屋敷から出て行ったのを見て、俺は宮田に言った。 「応接間、掃除しとけ」 「承知いたしました」 「…………は部屋か?」 「いえ、お食事がまだでしたので、食堂かと」 そういえば、あいつは寝てたんだっけか……。 タバコの匂いが染み付いたスーツを着替え、食堂へ降りる。 「あ、景吾。……社長さんは、帰ったの?」 「あぁ。…………なんだ、また食ってねぇのか」 ほんの少しの量の食事。 まだ食欲は戻っていないらしい。 いつもなんでも、パクパクと美味そうに食っていたは、いつ戻るのだろうか? 「ん……ちょっとね……シェフもたくさん研究してくれてるみたいなんだけど……」 苦笑する。 他の妊婦に比べたら、そんなに重いほうではないとは言っていたが、それでも体調はよくなさそうだ。 今日は、来客の為になんとか頑張っていたのだろう。 の前の席に腰をかける。 「景吾、ご飯食べたの?」 「あぁ、お前が寝てる間にな」 「…………起きてようとがんばったんだけど」 「バカ。だからって玄関で寝るな。無理しなくていいっていつも言ってるだろう」 「…………はーい」 は返事をして、少しだけ料理をつまむ。 米の匂いがダメらしく、白いパンが主な主食。 匂いのきつい肉類なども一切取れないから、野菜やフルーツのみだ。今日は、それすらもあまり手をつけていない。 唯一、小さく切ったトマトだけは、なくなっていた。 「……いつごろから、つわりってなくなるんだ?」 「えーっと……大体15週目くらいには終わるって……後、2週間くらいかな」 2週間。 ……つわりが始まって、もう1ヶ月が経過している。 「……そんなに続いたら、お前、餓死するんじゃねぇのか」 「やだなぁ、しないよ。これでも、大分よくなったんだけどなぁ。昼間は平気だし」 トマトがなくなったので、イチゴを一口食べる。 だが、あまり食は進んでいなさそうだ。 はぁ……と俺は小さく息をついた。 心配だ。 こういうとき、男はなにも出来ない。 「景吾ってば、心配性だよね……」 「心配にもなる」 完全に、の手が止まった。 食事を残すのは、にとって辛いことのはずだ。 以前に風邪を引いた時だって、残すのが嫌で頑張っていたのだから。 あのときよりも、全然食欲がない。 「…………、イチゴ」 「うん?」 「イチゴ、食わねぇなら俺が食う」 フォークに刺さってるイチゴは、さきほどから動いていない。 顔を少し近づけたら、がフォークを差し出してきた。 ぱくり、とそのイチゴを捕まえて食べる。 ……一口で食べれる量のイチゴを、はちょっとずつしか食べない。 「……早く、もっと食えるようになれよ」 の残したフルーツを、次々と食べながら、俺はに言った。 は小さく微笑むと。 「うん。……安定期に入ったら、いっぱい食べるんだー」 「そのときは、お前のお気に入りのレストランに連れてってやる」 「やった、楽しみにしてるからね!」 の笑顔を見ながら、俺はのイチゴを食べ終えた。 NEXT(MIDI鳴ります) |