キーンコーンカーンコーン。

授業終了を告げるチャイムが鳴った。
ガタガタ、と椅子を引く音。
俺も終了の挨拶をするために、立ち上がる。
そのときに、ちらりとを見れば。

手にはシャーペン、ノートは、2回ほど前に消された黒板の文字で止まっていた。

完全に熟睡している。
チャイムが鳴り終わったというのに、起きる気配は一向にない。

苦笑して、寝ているの姿が教師に見えないように、少し位置をずれて立った。

………………昨日は止められなくて、夜遅くまで付き合わせたからな。

礼が終わったが、やはりが起きる気配はない。
なるべく音を立てないように、静かに椅子に座る。

シャーペンを持ったままだから、襲ってくる眠気と最後まで格闘していたのだろう。
伏せられた睫毛を、じっと見ていると。

「…………跡部、セクハラやで」

ボソリ、と斜め後ろから聞こえる低い声。
声の主に、俺はジロリと目線を向けた。

「うるせぇ、忍足。……って、何の肩に自分のブレザーかけてんだよ。テメェこそセクハラだろうが」

バシッと忍足のブレザーを突っ返す。

ちゃんが風邪引いたらあかんから、かけてやっとるだけやないか。こんなんセクハラとは言わん。むしろ、ちゃんが起きたら、俺に大感謝や。『侑士、大好き』って言ってくれるで、きっと」

「妄想も大概にしろ、バカヤロウ。大体、何度も言ってるだろうが、は俺の―――」

「聞こえんし、万が一聞こえとっても認めん。何度も言ってるやろ」

「…………いい加減、認めろ」

「認めん。断固として認めん」

キッパリ言い切った忍足。
その口調に、少々呆れる。

「……お前な……どうしてそこまでに固執するんだよ」

コイツだって、が来る以前は、それなりに女と付き合っていたはずだ。
その時だって、こんな執着を見せることはなかった。基本的にドライなヤツだから、来るものは拒まず、去るものは追わず主義。

「そっくりそのまま跡部に返すわ。どしてそないにちゃんがえぇん?」

忍足がチラリ、とを見た。
が起きてないか確認したらしい。

俺はゆっくり立ち上がって、廊下を親指で指し示した。
休み時間が終わるまで、寝かせておいてもいいだろう。

忍足が1つ頷いて、立ち上がる。

廊下に出て、柱の影で話の続きを再開する。

「―――答えは簡単だろ、だからだ」

「アホ。答えになってへんわ。それやったら、俺だってそうや。ちゃんだから、ここまで固執すんねん」

………………だが、それ以外に理由なんてない。
だから、ここまで固執する。

だが、を気に入ったキッカケはなんだった?

記憶を掘り起こした。

気がついたら、に執着していたから、こんなことを考えるのは初めてだ。
遠藤グループ……冷泉院……違う、もっと前だ。

さかのぼる記憶は、とうとうがこの世界にやってきた日にたどり着いた。

この世界にやってきた時、俺をまっすぐ見つめた目。
俺ですら知りえない、俺の内面を見ているような目だった。

…………あぁ、あの目が最初のキッカケだったのか。

今でもそうだ。

は、『俺自身』をまっすぐ見てくる。
『跡部財閥の跡取り』、『中学テニスの全国プレーヤー』などの肩書きや、容姿だけでなく、俺の全てをひっくるめて見てくる。

「俺自身、を見てくるから、だな……」

俺の言葉に、忍足が少しだけ目を見開き……小さく苦笑した。

「なんやねん……結局、一緒か」

「あーん?」

「……俺も、ちゃんが『俺自身』を見てくれるから、気にいってん。…………ちゃんは、俺を『医者の息子』やら『氷帝の天才』やらで見てこんからな」

………………………そっくりそのまま、俺の心情と同じじゃねぇか。

「……ってなわけやからな、絶対ちゃんは諦めん」

「バーカ。俺様のモンだって言ってんだろうが」

「聞こえん。最近耳遠いねん」

…………ったく、コイツは……。
何が何でも、が俺のものだと言うことを認めたくないらしい。

「ま、あいつが俺のモンだって事実は変わらねぇからな、一生そうやって耳塞いでろ」

「くっ……きっといつか、跡部からちゃんを救い出して見せるで……」

「人聞きの悪い」

まだ何か言っている忍足を無視して、俺はさっさと教室へ戻った。
はまだ寝ている。
握られたシャーペンもそのまま。

すー、すー……という深い吐息。
少しだけ開かれた唇。

このまま抱きしめて、どこかに連れ去ってしまいたい。
口付けて、壊れるほど抱いて。
屋敷の中に閉じ込めて、俺だけにしか会わせず、俺のことだけしか考えられないようにしてやりたいとも思う。

だが、の部活での笑顔が好きなのも事実だ。

の肩をそっと揺らした。

……おい、起きろ」

2、3回揺らすと、の目がゆっくり開かれる。
1回瞬きをすると、ハッと目を見開いた。

「えっ、ど、どこまで進んだ!?何ページ!?」

「バーカ、もう授業終わってんだよ。次、英語だぞ」

が開こうとしている、数学の教科書を取り上げた。

「あぁぁ……寝ちゃった…………数学だから頑張ってたのに〜……」

「お前、ペン握ったまま寝てただろ。……ったく、チャイム鳴っても起きねぇなんて、どんだけ熟睡してんだよ」

「なっ……元はといえば、景吾がいけないんだよ……ッ」

少し睨みながら、が英語の教科書を取り出す。
数学の教科書を返しつつ、席に座った。
の頭に、ぽん、と手を乗せ。

「仕方ねぇだろ、俺様にも事情ってもんがあるんだ」

「なんの事情なのさっ」

「身体的事情……生理現象とでも言っとくか。……もっと聞きたいか?」

「わ―――!言わなくていいっ!」

慌てるの顔を見ると、くっくっと笑いが漏れる。
耳元まで口を近づけて。

「……今日、風呂入ったら、俺様の部屋な?」

バッ、とが俺が口を寄せた方の耳を押さえた。
顔が一気に真っ赤になっている。

「け、景吾ッ、ここ、教室……!」

「だから?」

「みんないるのに……なんてコトを言うのさ……ッ!」

「安心しろ、誰も聞いちゃいねぇよ」

休み時間特有のざわめきで、俺たちの会話など聞こえてはいないだろう。
忍足はまだ、廊下にいるみたいだし。

「で?返事は?」

「だっ……昨日あれだけ……ッ……」

「じゃあ、俺様が行ってやろうか?」

「〜〜〜〜〜〜結局、拒否権はないんじゃん……ッ」

「当たり前だ。…………まだ部屋に閉じ込めてねぇだけ、感謝してほしいくらいだぜ

最後の言葉は、小さく小さくつぶやいた。
は聞き取れなかったらしく、え?と聞き返してくる。

それにゆるく頭を振り、ぽん、とノートを頭に乗せた。

「数学のノート。お前寝てたんだろ?さっさと写せ」

ぱぁっ、との顔が明るくなった。
ノートを開いて、早速写し始める。



その姿を見て思うのは。
やはり に固執する1番の理由は、だからだと言う事。

ノートに書き加えられていくの文字でさえ、どうしようもなく愛しくなった。




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