車の中では、終始無言だった。 ただ、景吾が黙って手を繋いできた。 私は、それを握り返すことしかできない。下手に口を開いたら、涙が溢れそうだった。 何時間とも思えるほどの、長い帰り道。 ようやく屋敷について、のろのろと車から降りた。 お屋敷では、宮田さんを始めとする、お屋敷の人全員が出迎えてくれて。 「…………御2人とも、お疲れ様でした」 静かな労いの言葉に、また涙腺が弛みそうになるのを、かろうじて堪えた。 部屋の前で、景吾からゆっくり手を離す。 景吾と1回顔を見合わせて……なんとか、小さく笑った。 景吾が何か言いかけたのが見えたけど、それ以上景吾の顔を見ていたら、いい加減本当に泣いてしまいそうだったので、すぐに部屋に入る。 夕方―――まだ、お風呂に入るには早すぎる。 だから、シャワーを浴びて。 1日のホコリや汗などを、全て洗い流す。 ―――それでも、心の中の悲しみは、洗い流せないけれど。 濡れた髪の毛を乾かす気なんて、起こらなかった。 電気をつけるのも、面倒くさい。 ポタポタと雫が髪の毛から落ちてくるのも構わずに、ベッドにドサリと座り込んだ。 夢を見てるような、浮遊感。 今日起こったことが、現実なのかなんなのか、わからなくなってきた。 さっき起こったような、1週間前に起こったような―――不思議な時間感覚。 ただ、左手に強く刻まれた、景吾の爪の痕。 この爪の痕が―――景吾の悔しさを、今日起こったことを確かに物語っていて。 これがある間は、泣けない―――。 そう、思った。 右手で、その爪の痕を撫でる。 悔しかったよね……あんな試合をした後だもん……もっと、たくさん試合したかったよね。 全国―――行きたかったよね。 紅く刻み込まれた、爪痕。景吾の左手にも、今、これと同じものがあるのだろう。 ガチャリ。 ノックもなしに、いきなりドアが開く。 「……なんだよ、電気もつけねぇで」 勝手に部屋に入ってくる人なんて、たった1人しかいない。 そのたった1人の人物―――景吾もシャワーを浴びたらしい。髪が湿っていて、服を着替えていた。 「あ、ごめ……」 手を叩こうとしたところで、景吾が大股に近づいてきて、私を止める。 じっと私の左手を見て、そっと傷を撫でた。ピリ、とした微かな痛みに、少しだけ、眉をひそめた。 「……悪い」 「ううん、平気」 結局電気をつけずに、景吾が、私の隣に腰掛けた。 しばらくの無言。 何か言いたいのに、言葉が見つからない。 声にならない吐息が、宙に霧散した。 ―――不意にぐいっと肩を引き寄せられた。 ポス、と景吾の肩に頭が乗っかる。 「…………お前……泣かなかったな」 「………………」 「………………絶対、お前なら泣くと思ってた」 静かな景吾の声に、ようやく……ようやく、声を、絞り出した。 「……景吾が、泣いてないから……」 「……あーん?」 「……1番悔しいのは、マネージャーの私じゃなくて、プレイヤーの景吾たちだもん……景吾が泣いてないのに、私だけ、泣けないよ……」 勝って嬉しくて泣くのは、私だってしていいけれど。 ……負けて悔しくて泣くのは、プレイヤーだけのものじゃないかな。 「……バカ」 「……酷いなぁ」 いつもの言い方に、私は少し苦笑しながら答えた。 景吾の頭が、コツンと私の頭の上に乗っかる。 泣くのを堪えて、目を瞑った。 何も見えない状況で、ポツリと上から降ってきた声。 「…………じゃあ、俺の代わりに、泣いてくれよ」 信じられない言葉に、閉じていた目を、再び開いた。 「……え?」 「…………我慢してたんだろ?泣くの。……ずっと、唇噛み締めてる」 景吾の魔法の指が、私の唇を撫でた。 ずっと噛み締めてた、唇。 時々切れて、血の味が広がることもあった。 「……俺は絶対に泣かねぇ。……だから」 小さな、微笑み。 その微笑みは―――泣いているような、悲しい笑顔で。 「……だから、俺の代わりに、泣いてくれねぇか……?」 「……ッ……なんで……ッ……そんなこと、言うのさ……ッ」 折角我慢してたのに。 泣かないように、必死に必死に頑張ってたのに。 そんなことを言われたら、一瞬で脆く崩れ去っていってしまう。 「そん、なこと……言われたら……ッ」 ダメだ。泣いちゃいけない。 泣いちゃいけないのに―――ボロ、と涙が一筋溢れて。 それを封切りに、後から後から涙が湧いてきた。 景吾が、ぎゅっと抱きしめてくれる。 「……うっ……ううぅ〜……」 溢れてくる涙と一緒に、嗚咽まで。 せめて、声を殺そうと、もう1度唇を噛み締めようとしたら、「やめろ」と、景吾が掠めるようなキスをしてきた。 「……すまない、全国を見せてやれなくて」 景吾の目が、切ない。 そんな顔で、そんなことを言われたら、最後の制御まで壊れてしまう。 「う、うわぁぁぁ……っ……」 結局、声すら殺せずに、私は景吾に抱きついた。 ぽんぽん、と景吾が一定のリズムで背中を叩いてくれる。 その手が優しくて、切なくて。 また、涙がボロボロ零れてきた。 泣き疲れて寝てしまったの顔を、じっと見つめた。 赤くなっている目元に手をやる。 少しだけ火照ったそこ。 一体、どれだけ我慢してたんだか。 ずっとずっと声を上げて泣いていた。 泣き疲れて眠るまで、ずっと泣き続けて。 「…………すまない」 今日の手塚との試合は、俺にとって唯一無二の試合だった。 この試合が、中学最後の試合になるのなら―――それはそれでいいとさえ、思えた。 こんな試合は、全国でも出来るかどうかわからないのだから。 ただ。 ただ、に全国を見せてやれなかったことだけが、悔しかった。 に、全国で勝つ姿を見せたかった。 もっともっと、勝って喜ぶが、見たかった。 「…………すまない」 全国を見せてやれなくて。 もっと勝ってやれなくて。 ―――こんなに泣かせて。 終わってしまったことを悔いても、仕方が無いことはわかってる。 それでも、今日だけは―――悔いずにいられなかった。 明日から、高校に向けての調整に入ろう。 高校テニスでは、絶対に頂点を極めて。 …………お前に今度こそ、頂上からの景色を見せてやる。 もう2度と、俺の力を信じてくれるに、無様な姿は見せねぇ。 俺は、もっともっと強くなる。 ……お前を、今度は勝利の涙で飾れるように。 NEXT |