目が覚めて、まず確認したのは、今日の日付と時間。

ベッドサイドのテーブルに置いてあった携帯を手に取り、開く。

『7/14 Mon. 4:23』

無常にも現実を知らせる『時』が、

昨日の出来事を夢ではないと語っていた。






時間を見たとたん、携帯を投げつけたい衝動に駆られた。

夢じゃない―――。

氷帝は、負けたんだ―――。

のしかかってきた現実に、愕然とする。
これが夢だったら、どんなによかっただろう。
関東大会初戦の日に見た、悪夢だったらどれだけよかっただろう。
笑って 『今朝、氷帝が負ける夢を見た』 そう言ったら、きっとレギュラー全員が『そんなことあるわけない』って否定してくれる。
縁起が悪くても、悪夢でも。それは、ただの夢。

夢だったら―――どんなによかっただろう。

そんな愚かな考えを打ち消す、手の中の小さな物。

小さな機械の塊は、昨日の出来事が夢ではないことを物語っていた。
日付は変わり、確実に昨日から時は経っている。

携帯を握り締めた手が、小刻みに震えた。

……さすがに、携帯を投げつけることは出来なかった。
その代わりに、昨日泣いたことで箍が外れてしまったのか―――涙が、ボロリと溢れてきた。

「ふっ……うっ……」

きっと、あれからそばにいてくれたのだろう。隣には、景吾が寝ていた。
起こしたくはなかったのだけど―――妙な嗚咽のせいで、ふと、景吾が目を開けた。

「…………?」

「……っ……ご、め……」

「………………」

ふわり、と景吾が長い腕を背中に回してくれて。
ぽんぽん、とリズムをつけて叩いてくれる。まるで、小さな子供をあやすように。

そのまましばらく、景吾の腕の中で泣き続け―――。

私はまた、疲れて眠った。





次に目を覚ましたときには、すでにカーテンから光が入ってきていた。
目が重い。散々泣いて寝たんだ、人相が変わってるかもしれない。

ぼんやりと目を開け、あたりを見回す。

すると、窓際でネクタイを締めている途中の景吾がいた。
体を起こしたので、景吾もこちらを向いた。

微かな笑みを、浮かべてくれる。

「……目ェ覚めたか。そろそろ起こそうと思ってた」

「……ん。…………おはよう」

「あぁ。……そろそろ支度しねぇと、朝食食えねぇぞ」

シュルリ、と音を立ててネクタイを締め終わった景吾。
それを見ながら、しばらく迷って……結局、ぼそり、とつぶやいた。

「…………ガッコ、行きたく、ない……」

おそらく、学校に言ったらかけられるであろう言葉。

『お疲れさま』

『残念だったね』

その言葉を笑顔で受け止められるくらいの、心の準備は出来ていなかった。

景吾が支度をやめて、小さく息を吐いた。
ゆっくりとこちらに近寄ってきて、ベッドに腰をかける。

「…………何言ってんだ。生徒会の仕事もあるし、夏休み前で色々とやることがあるんだぜ?…………と言いたいところだが」

景吾の手が、頭の上に乗っかった。
ゆるやかに、撫でられる。

「…………今日だけは特別だ。疲れてんだろ?ゆっくり寝てろ」

「…………ごめ、ん……」

「ただし、約束だ。……1人でこれ以上泣くな。泣くんだったら、強引にでも学校に連れて行く。……約束、出来るな?」

「…………うん」

「……よし。俺はどうしてもやらなきゃならねぇことがあるから、行ってくる」

「ごめんね……忙しいのに」

「気にするな。1日くらい構わねぇよ。……じゃあ、行ってくる」

「……行ってらっしゃい」

―――軽いキスを交わして、景吾が部屋を出て行った。
少しだけそのまま前を見つめ、ぼんやりと時を過ごす。

そして再びベッドに倒れこんだ。

泣き疲れているからか、それとも現実逃避をしたいからか―――。
私はまた、いとも簡単に意識を手放した。





今度は、ブーブー……という頭に伝わる振動で、目が覚めた。
鳴っているのは携帯のバイブ音。
時間を見たときに、枕のあたりに放置してしまったらしい。それが鳴っているのだ。
5秒ほどでバイブ音がなくなった、ということは、メールの受信を知らせている。

無視しようかとも思ったが、起きてしまっただけに、なんとなく気になってしまう。

もぞもぞと手だけを動かし、携帯を開いた。

『新着メール、3件あります』

来ていたのは1通だけじゃなかった。
誰だろ……と思っているうちに、また受信画面に切り替わる。

受信するのを待ってから、メールフォルダを開いた。
そこに並んだ名前に―――目を見開く。


7/14  9:43
From:侑士

ちゃん、起きとるか?
数学のノートは取ってあるで。気にせんとき。
でも、もし来れるんやったら…学校おいで。
ちゃんおらんと、寂しいわ




7/14  9:44
From:亮

大丈夫か?無理すんなよ
岳人やジローがうるせぇ
お前じゃなきゃ止めらんねぇよ




7/14  9:45
From:がっくん

ジローと一緒に送ってみた!
教室行ったら、休みだっていうじゃん!
学校来いよ〜!つまんねぇよ〜(><)




7/14  9:45
From:ジローちゃん

岳人と一緒に送った!
、一緒にお弁当食べようよ〜。
今日は、母さん特製から揚げ、入ってるんだよ。
絶対おいしいから!




みんなのメールに、胸が熱くなった。
そして―――また、画面は『受信中』に変わる。


7/14  9:48
From:景吾

お前が休みだって言ったらこのザマだ。
っていうか、コイツら暇すぎだろ。わざわざA組まで来てんだぜ?
無理しなくていい。寝てるなら寝ててかまわねぇ。
だが―――もしも、来れるんだったら、来い。



みんな、待ってる





『待ってる』

その言葉に、堪えてた涙が零れ落ちた。

……仲間だと。

私を、昨日一緒に戦った仲間だと言ってくれてるのだ。
辛いのは私だけじゃない。むしろ、辛いのは―――みんなだと言うのに。
こうして、励ましてくれる。
一緒にいよう、そう言ってくれる。

この悲しみは共有のもの。
みんなでそれぞれ分かち合っているもの。

……みんなに、会いたい。

「…………行かなきゃ」

みんなが、待ってる。

ぐっ、と涙を拭いた。
立ち上がって、洗面所に向かう。

バシャバシャと音を立てて顔を洗って、鏡を見た。
目の腫れは、思ったよりも酷くない。昨夜のうちに、景吾が何かをしてくれたのだろうか。
タオルを絞って、目に当ててしばらくすると、大分マシになった。

もう1度顔を洗って、気合いを入れなおす。

すぐに制服に袖を通し、着替え終わってから、カバンを準備する。
今日の時間割を思い起こしながら、教科書類を入れた。……ジャージは、入れなかった。
でも、一瞬迷い―――部活ノートだけは、カバンに入れた。

最終確認をしてから、部屋を出て。
階段を降りたところで、宮田さんに会った。
宮田さんは、私が制服であることに気づくと、微笑んだ。

「おはようございます、様。…………すぐに車を、用意させます」

「おはようございます、宮田さん。……よろしく、お願いします」

車はすぐに玄関前に来てくれた。
シェフたちが車の中で食べられるように、急いでサンドイッチを作ってくれた。
―――ハンスは、私が学校に行くのがわかっていたかのように、お弁当を作って待っていてくれた。

いろんな人の優しさで、私は今ここに立っていた。




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