「――――――ッ!」 声にならない叫び。 崩れ落ちる体。 激痛を堪えるように、食いしばられた歯。 その凄まじい光景に、全ての人間が凍りついた。 サーブを打とうとした瞬間。 もしかしたら、最後になったかもしれないサーブの場面で、手塚くんが声にならない叫びを上げて、崩れ落ちた。 左肩を押さえ、倒れこんだ手塚くんに、即座にベンチにいた青学メンバーがフェンスを越えて走り出した。 「……ッ……来るな―――ッ!」 手塚くんらしくない、感情的な怒鳴り声。 ビクリッ、と駆け寄ろうとしていたメンバーが立ち止まった。 激痛のためだろう、体が小刻みに震えていた。 ―――それでも、手塚くんはラケットに手を伸ばし、そのまま、握った。 「……アイツ、やる気だぜ……!」 亮の声が、少し掠れていた。 みんな、唖然とした表情でコートを見つめる。 手塚くんが、落としたボールを拾おうとしたところで、立ち尽くしたままだった審判が慌てて声を上げた。 「緊急事態だと判断し、プレイを中断します!手塚くん、ベンチへ!」 本来なら、顧問である先生がなにかを働きかける場面。だけど、肝心の顧問であるスミレちゃんは、病院に行ったまま、まだ帰ってきていない。 それを知っている審判も、判断に困っているのだろう。数人の審判が、集まって何かを話していた。 スミレちゃんがいないこの時に起こった出来事。 …………スミレちゃんとの、約束。 「…………ッ……」 「ちゃんっ?」 スコアを放り出して、ボトルカゴの近くへ行く。 ドリンクが温まらないように、今日は1年生がクーラーボックスを持って来ていたハズだ。 「……あった……っ!」 クーラーボックスの中に入っていた、大きな保冷剤を掴んだ。……大丈夫、まだ十分冷たい。ついでに、2、3個小さな保冷剤も掴んでおく。 意味があるかわからないけれど、救急箱の中に入っているバンテリンも―――いや、これだったら救急箱ごと持っていった方がいい。青学の救急箱にはないものが、うちの救急箱には入ってるかもしれない。無駄に物だけは多いから。 救急箱と保冷剤、ついでに薄めのタオルもその辺から奪い取って、両腕に抱えて青学サイドへ走った。 おろおろしている大石くんの肩を、掴むくらいの勢いで叩く。 「大石くん!」 「え、あ……さん!?」 「これ……とりあえず、冷やした方がいいと思うんだ。コールドスプレーかけて……それから、バンテリン。もし保冷剤使うんだったら、これ使っていいから……ごめん、勝手に来て……」 「……いや、ありがとう。すごく助かるよっ!」 「大石くん、ちょっと」 「あ、はいっ!……さん、これ借りるよ」 バンテリンやらとにかく使えそうなものを一式持って、大石くんがコートに入っていった。 後はもうできることは何もない。 そっと氷帝ベンチへ戻った。 ご苦労さん、とでも言うように、侑士がぽん、と頭に手を乗せてきた。 「……さすが跡部じゃん。狙ってたんだろ、あれを」 「土壇場で、大逆転……やな」 「……でも」 「…………あぁ。跡部のヤツ……ちっとも嬉しそうじゃねぇ」 景吾はベンチへ戻ってきていなかった。 ただ1点の場所を。 手塚くんがいた場所だけを見つめていた。 ―――手塚くんは、景吾とまともに戦える、数少ない人物。 そんな熱くなれる相手を潰して、嬉しいはずがない。 「…………そうでしょ、景吾……?」 「青学ぅ―――っ!ファイッオー!」 タカさんの声に後押しされるように。 手塚くんが、コートへと戻ってきた。 「……待たせたな、跡部。決着をつけようぜ」 勝負は、今―――最終局面を迎えようとしていた。 ドォンッ! 何度かのデュースの後、景吾のリターンエースで、長かった第12ゲームは決着が着いた。 「ゲーム!6−6!」 珍しく……本当に珍しく、景吾がガッツポーズをして、喜びを体で表した。 景吾は試合中いつもクールだから、ゲームを取っても、すぐに次のゲームに意識を移すのに。 それだけ、熱い戦いをしてるってことなんだ―――。 ペンを握り締めて、コート上を見つめた。 2人とも、この暑さで息が乱れ、汗だくだ。 この試合の凄まじさが、どれだけのものか見てわかる。 「……タイブレーク突入か……」 「でも、タイブレークなら、跡部のヤツが断然有利だ。……行けるぞ……!」 侑士と亮の声に、周りにいた部員が頷いた。 「ほらっ、みんな応援しよーぜっ!なっ!氷帝っ!氷帝っ!」 ジローちゃんが盛りあげ、さらに湧き上がる氷帝コール。 「12ポインツタイブレーク!跡部 トゥ サーブ!」 この試合の最初のサーバーは景吾だった。だから、今回もサーブは景吾から。 まるで、もう1度ゲームが始まるような錯覚。 景吾がふっとトスをあげ、サーブを放った。 いいサーブだった。 この試合中でもトップ3に入るくらいのいいサーブ。 だけど。 ドシュ……ッ! 「バカ……な……」 小さくがっくんが呟いたのが、聞こえた。 実際、私も同じような心境だった。 ―――景吾のサーブ以上に鋭いリターンが、コートを抉ったから。 手塚くんは、まだ―――。 「…………化け物か、アイツ……!」 いや―――そんなことない。 だって、手塚くんの表情が、歪んでる。 どんな局面でも、決して変わることのなかった表情が。 事実、手塚くんのサーブは、先ほどのリターンよりも威力がないサーブだった。 無理もない、1番肩を酷使するのはサーブだ。 先ほどの手塚くんのリターンエースと同等くらいの、渾身の力を込めたリターン。 今度は、景吾のリターンエースだった。 「…………っ……」 「…………?」 隣にいたジローちゃんが、そろりと顔を見上げてきた。 私の顔を見て、ゆっくりと頭を撫でてくれる。 知らないうちに、涙が流れてた。 ただの1試合。 全国で何万と行われているテニスの試合の中の、ほんの1試合。 だけど―――。 これほどまでに、心を突き動かされるような試合は、きっと、ないだろう。 「大丈夫。跡部がの前で、負けるわけないっしょ?」 「…………う、ん……っ」 ジローちゃんのあったかい声に、小さく頷いた。 ぐっ、と涙を拭って、コートを見る。 ほんの一瞬ですら、見逃さないように。 「…………頑張れ……ッ……!」 この、素晴らしい試合を、目に焼き付けるためには、涙なんて邪魔だった。 NEXT |