ジローちゃんのまさかの敗北で、沈んでいたのは私だけじゃなかった。 しかも、次に出てくるのは、高校のみならず、プロまでが注目している、あの手塚くんだ。 いつもは無駄にやかましい氷帝ベンチが、今は、最初にダブルス2が負けてしまったときのように、静かだった。 それでも。 たった1人の存在で。 すぐにその静けさは、覆る。 景吾がコートに現れたとたん、焦ったり怯えたりしていた部員たちに、いつもの余裕が戻った。 「……そうだ。ウチには跡部部長がいる」 部員同士が頷きあい、今か今かとあの『コール』に備えて、息を呑むのがわかった。 景吾の一挙一動を見逃すまいと、部員達の目がいつも以上に景吾に向けられる。 コートに入った景吾の腕が、スッと動いた。 タイミングを計ったような少しの間の後、ピタリと揃った歓声。 「勝つのは氷帝!」 「負けるの青学!」 「勝つのは氷帝!」 「負けるの青学!」 誰が決めたのかはわからないが、この歓声にはパートがある。『勝つ』パートと『負け』パート。どちらかのパートに属して、お互いが競い合うようにして声を出す。それが、ウチのコールの特徴。……まぁ、人数が多いから出来ることだとは思うけど。 段々と、2つのパート共に、声の量が多くなってきた。 燦々と降り注ぐ太陽の光全てが、まるで景吾だけを照らしているかのような感覚。 堂々たる風格で、景吾はそこに存在していた。 バッと景吾が両手を広げると共に、2つのパートの声が一気に揃った。 「「勝者は跡部!敗者は手塚!」」 単純計算で先ほどの倍の声量だが、高まったテンションが声をさらに大きくしたみたいだ。 みんな、喉を痛めてしまうんじゃないか、と言うぐらいの声で応援している。 「勝者は跡部っ!敗者は手塚っ!!勝者は……」 パチンッ。 高々と上げられた左手が、優雅に鳴らされた。 「俺だ!」 うわぁぁぁ!と大歓声が部員から上がる。 わかってはいるけども……景吾……パフォーマンス、派手……。 バサッと跳んできたジャージを上手くキャッチして、畳みながら思った。 景吾はこちらに一度目を向けてから、コート中央に歩み寄って行った。 ゴツゴツ、と拳をぶつけ合う2人。 それが、試合開始の挨拶。 ――――――今、頂上決戦の火蓋が、切って落とされた。 「ザ・ベスト・オブ・1セットマッチ!氷帝、サービスプレイ!」 「……お前とは、初対決だな」 「バーカ。俺を避けてきたんだろ」 トントン、と景吾が2度、ボールを地面についた。 「行くぜ!」 ふわり、と上がったボールは、メーカーの字がまったく動かないくらい、無回転だった。 サーブにはこれ以上ない、理想的なトス。 ドシュッ!と音を立てて、抉るように決まるサーブは、キッチリ手塚くんのバックハンド側だった。 普通のプレイヤーなら、そのスピードと角度に手も足も出ないに違いない。 だけど、手塚くんは違う。ザッとすぐにボールに追いつき、ほぼ完璧な体勢でリターンを返してくる。返ってきた球は、コーナーギリギリ。しかも、回転がかかっているから、外へ逃げていく球だ。外へ逃げていく分、余計に1歩、多く動かなくてはならない。 だけど、景吾はなんなくそれに追いつき、もう1度強烈なストローク。 さらにそれが返ってきて―――先に景吾が、仕掛けた。 狙いはネット。コードボール。 狙ってできるものじゃないなんて、少しでもテニスをかじればわかること。 だけど、狙ってできるのが『跡部景吾』だ。 バシッ、と音が鳴って、ネットに当たり、山なりになったボールは手塚くんのコートへ落ちていく。 これで決まりか―――と思ったけど、手塚くんのダッシュ力は半端じゃなかった。 ツーバウンドする直前、地面スレスレのところで、なんとかボールを拾う。 上から下にラケットが入ったから、少しスライス気味のボールは、浮いている。 そこを見逃す景吾じゃない―――! 左足で踏み切り、軽くジャンプした形でのドライブボレー。 まるで挑発するように、手塚くんのラケット目掛けて放たれたボールは、ガシィッ……とラケットの表面を擦り―――もろとも、吹っ飛ばした。 カシャーン……という高い音は、異様に静まり返ったコートに、これでもかというほど響き渡った。 景吾の左手が、静かにきれいな顔と合わさる。 来る…………絶対に、来る……。 「俺様の美技に、酔いな」 ほら来たァァァアアア!!!(絶叫) 「……いつも思うけどよ……跡部って、羞恥心とかそーゆーの、絶対ないよな」 「「(コクコク)」」 亮の呆れたセリフに、私とがっくんはコクコクと頷いた。 景吾が唯一持って生まれてこなかったもの……それは、羞恥心とか恥じらいの心とかだよね……他のもの(キレイな顔とか運動神経とか素場らしい頭とか)は完璧なのに、ね……! 「キャアァァァ!跡部様、ステキー!!跡部様っ!跡部様ーっ!」 おぉっと……一般の女子生徒だけかと思ってたけど、跡部様親衛隊の方々も来てたんだ……! 最近、あんまり見かけないなーと思ってたけど、やっぱりキッチリ応援に来てるんだ……でも、応援は大いに越したことないからOKOK!…………行き過ぎた応援はどうかと思うけど。そして、私に被害がない程度に……!(ここ重要) 「次、行くぜ!」 ドッと景吾が強烈なサーブを繰り出す。 手塚くんは素早くリターンの体勢に入り、見本にしたいくらいの綺麗なフォームでリターンを返してくる。 しかも、相変わらずコーナーギリギリのボール。左右に打ち分けるのは、練習さえしていれば出来ることだけど、その打球全てをコーナーギリギリに打ち分けるには、相当な習練と技術が必要だ。 でも、景吾だって負けてない。 コーナーギリギリに入ってくるボール全てを、ほぼ完璧な体勢で打ち返している。 ダンッ……! 何度かのラリーの後、今度は手塚くんがネットに当ててのコードボール。 まるで先ほどの再現のように、ふわりと山なりになったボールは、景吾のコートに落ちていく。 ベースラインでストロークをしていた景吾は、ちっと舌打ちをしながら、前へダッシュし、どうにかボールを拾った。 だけど、拾った体勢が悪い。今から体勢を立て直すには遅い―――それに、手塚くんはもう、ドライブボレーの形に入っている。 「さっきのお返しかよ、手塚のヤツ……!」 がっくんが言うとおりだ。 手塚くんは、先ほどの景吾のプレイを、そっくりそのまま返すつもりだ。 バシッと手塚くんの強烈なボレー。 でもその前に起き上がった景吾が、右足で地面を蹴っていた。 「オラよっ!」 打ち込まれた強烈なボレーを、バックハンドなのに力負けせず、打ち返した。 ひゅぅっ、と亮が口笛を吹いた。 「…………しょっぱなから、すげぇもん見せてくれるぜ。さすが、跡部だな」 「ホンマやな……でも、敵さん見てみぃ」 侑士の声に、ハッと気付く。 手塚くんの動きは、右足を軸にしたもの。回りの砂が、綺麗な円を描いていた。 それはつまり―――。 「……手塚ゾーンだ……!」 「うわ、一歩もあの位置から動いてねぇ……!」 特殊な回転をかけられた球は、手塚くんのいる位置に引き寄せられるように、全てが返っていく。それが、手塚ゾーン。 つまり、常に完璧な体勢で打てるというわけで――― バスッ! ついに、景吾がポイントを取られた。 「……あの跡部が、奴のいる位置に打たされてたとでも言うのか?」 がっくんの声に、メンバー全員がゴクリと息を呑んだ。 景吾が相手をしているのは、そんなことをやってのけるプレイヤー。 その実力はもう、頭では理解不能の世界。 知らぬ間に、手が震えていた。 「ゲーム!青学!3−2!」 その後、お互いゲームを取りあう、接戦となっていた。 景吾の狙いは、持久戦。 …………景吾の狙いはわかる。 勝つためには仕方がないことだとは思うけど……正直、こういった戦い方は好きじゃないない。 それでも。 それでも、景吾が『勝ちたい』と強く願っているのを知っているから。 止めることなど、出来ない。 そして、対する手塚くんもあえて持久戦を受けて立った。 きっと、景吾もそれに気付いてる。 精神的には五分五分となった今、後は本当の意味で実力勝負。 「ゲーム!氷帝跡部!3−3!」 「よしっ、追いついた……!」 「跡部、いけぇ〜!」 「頼むぜ、跡部!」 これが真剣勝負。 ぶわっと鳥肌が立って、目に何かが盛り上がるのがわかった。 ぐっと唇を噛み締めて、緩みかかった涙腺を引き締める。 大きな声も出せやしない。 呟くように、それでも力いっぱい思いを込めて。 「頑張れ、景吾……!」 呟くようなこの声は、コートには届いてはいないと思うけど。 景吾が、小さく微笑んだ気がした。 NEXT |