「んがー……」

「あぁぁぁ、また寝てるー!ジローちゃん、起きて!試合だよー!」

シングルス2は、ボレーの天才対魔王素敵な天才の、『天才』対決。





「それでは、氷帝vs青学、シングルス2を始めます!ザ・ベスト・オブ・1セットマッチ!青学サービスプレイ!」

審判の声が響いた後、何気ない仕草で、不二くんはひゅっと優雅に、ボールを持った手首を回転させた。
意表をついた、アンダーサーブ。

―――来た!

一見、ただのアンダーサーブに見える。
だけど、よくよく見れば、ボールには強力な回転がかかっていて―――

「!」

普通にリターンを返そうと思っていたジローちゃんが、驚愕の表情でラケットを見る。
急激に変化したボールは、ジローちゃんの手元で、まるでその姿を消すように外側へ逃げていった。

不二くんのテニスは、2度、この目で実際に見たことがある。
1度目は青学の偵察時、2度目は青学対ルドルフ戦で。
だけど、その中でも、こんなに攻めるテニスをする不二くんは、見たことがない。元々のタイプがカウンターパンチャー。三種の返し技からもわかるように、相手の力を利用してポイントを取るタイプの不二くんが、最初から攻めるテニスをするなんて―――。

ゾクリ、と背中があわ立った。

嫌な予感。

もう1度サイドチェンジをした不二くんが、強烈なカットサーブを繰り出す。
スカッ、と再び空を切るジローちゃんのラケット。

結局、1ゲームの間、ボールに触らせてもらえなかったジローちゃん。

―――この嫌な予感は、予感で終わることはなかった。






「ゲームセット、ウォンバイ青学不二!ゲームカウント、6−1!」

あのジローちゃんが、1ゲームしか取らせてもらえなかった。
立海との合同合宿の後、毎日、必ずボールカゴ2つ空けるまで練習した、スライスサーブ&ボレーも、ほとんどやらせてもらえず、わずか20分ほどのスピードゲーム。
ジローちゃんがこれだけの完敗なんて、見たことがない。

「…………天才、不二周助……か……」

今、身を持って、『天才』の本当の意味を知った。

「あのジローが手も足も出ぇへんかった」

「流石のアイツも、これだけの完敗じゃ、落ち込んでんだろーな」

がっくんの言葉に、ハッとする。
しょんぼりしてるジローちゃん……そ、それはそれで可愛いとは思うけど!(コラ)
でも、でもでもでもぉおおおお!!

「ジ、ジローちゃ「くっそー!くやC―――!!



………………えーと…………。

しょんぼりしてるジローちゃんなんて、どこにも見当たらない……んですけど?

「……全然落ち込んでませんね」

「ヤローが落ち込むタマかよ」

亮の言葉に、『あぁ……』と、思わず納得してしまった。
そだよね……ジローちゃんだもんね!テニスを楽しんでるんだもんね!

「マジマジ、すっげー!また今度、ぜってーやろうな!」

「うん、楽しみにしてるよ」

無理やり自分自身を納得させ、私はジローちゃんの楽しそうな笑顔にほんわーとする。
いつの間にか目を閉じておられた魔王様は、またいつもの笑みを浮かべていた。

敵校同士とは思えないくらいの、和やかな雰囲気。

それを打ち消すかのごとく、隣でゴソゴソ、と動く音がした。

緩んでいた表情が、知らず知らずのうちに、引き締まった。

「………………景吾」

シューズの紐を結びなおしてるのは、下のジャージを脱いだ景吾。
…………そうだった、シングルス2が終わったんだから、当然次はシングルス1。

しかも、王手をかけられている、後のない試合だ。

万が一……万が一、景吾が負けたら―――氷帝は、ここで終わり。
中学校3年間の部活に、終止符を打つことになる。

シューズの紐を結び終え、立ち上がった景吾が私の顔を見て、1つ息を吐いた。

「……なんてツラしてやがる」

ぽん、と頭に感じるのは、温かい景吾の手。
両手が顔を支え、否応なしに景吾の顔を真正面から見させられる。

「折角の顔が、台無しだぜ?」

「……顔が悪いのは元からですよー…………」

顔を振って景吾の手から離れ、視線を廻らして、ラケットバッグを探した。
いつもは樺地くんがラケットを持ってきてくれるのだけど、今は樺地くんがいない。
だから代わりに、私がラケットを渡す。

「……はい、景吾」

「あぁ」

ラケットを受け取り、少しばかりガットの調子を確かめる景吾。
ガットを均等に整えると、ゆっくりと歩き出す。

言いたい言葉はたくさんあるのだけれど、どれを言えばいいのかわからない。もう、下手な言葉をかけるくらいなら、最初からかけないほうがいいんじゃないのか。そんなふうに、思いはじめた時だった。

景吾が足を止め、ゆっくり振り返った。
行動の意味がわからず、思わず疑問符を浮かべてしまう。

疑問符だらけの私の顔を、覗き込むように景吾の顔が近づいてきた。

あ、あまり近いのはちょっと……景吾さん見たさに、集まってきてる女子生徒もいるんだから……ね……ただでさえさっき、うっかり手なんか繋いじゃったから、視線が痛くて痛くて……!



「……うん?」

「…………お前、自分の男が試合に出るってのに、激励のキス1つねぇのか?」

最初、その言葉の意味が全くもって理解できなくて、頭の中が真っ白になった。

「………………はい?

「なんなら、俺様が―――」

「うわぁっ!?……ちょ、ちょちょちょっ、何考えてんのさ!」

さらに近づいてきた顔を、ぐっと手を当ててなんとか押し留めた。
こ、ここここここんな公衆の面前でそんなことされた日には、自ら穴掘って入りたくなってしまうよ……!っていうか、むしろ、この辺にいる女子生徒に埋められる!確実に
普通の人なら『またまたぁ〜』と冗談で流せることでも、この人は本気なのだから、困る!
まだ埋められたくはないぃぃぃぃい!!!

「別にいいだろ?ギャラリーも集まって来たし、他の奴らを威嚇するにはちょうどいい」

「威嚇ってナニ!ちょうどいいってナニ!(滝汗)」

ぐぐぐ、と腕を突っ張っていると、景吾が視線を観客席に向けた。観客席にいるのは……立海の人たちと……あぁぁ、女子生徒が注目しておられる―――!!(叫)

「……そろそろ、アイツらにもわからせておかねぇとな。お前が誰のモンなのか」

「うわぁぁぁ、私はまだ埋められたくないんだってばぁぁぁ!何考えてんのさ、バカ景吾―――!」

「オイオイ……バカとは随分だな?…………フン、でもまぁ、沈んでるよりは、そうやって怒ってる方がマシだ」

いつの間にか景吾のペースに乗せられてたことに気付いて、口に出そうとしてた言葉を飲み込んだ。
……まったく……いつだってこの人は、1枚も2枚も上手なんだ…………。

大きな声を出したことで、沈みかけていた気持ちが一気に浮上した。
顔を上げて前を見る。

いつもの笑みを浮かべた、景吾がそこにいた。

「そこで見逃さずに俺を見てろ。……俺だけを見てろ」

美しい瞳は、揺るがない。

「しばらくお前の側を離れるが……帰ってくるときは、勝利の二文字を引っさげて帰ってきてやるぜ」

相変わらず、過剰とも言えるぐらいの自信満々な態度。
それでも、言ったコトは必ず実行する、有言実行の人間、それが景吾だ。

なんか言えよ、と景吾が片眉を上げて促した。
しばらく考えて、

「…………勝たなかったら、クリスティーヌと駆け落ちしてやる」

悩んだ末に出てきた言葉に、相当驚いたのか、景吾のキレイな目が大きく見開かれた。
一瞬の空白の後に、クッと言う笑い声。

「………………そりゃ、何がなんでも勝たねぇとな。うちの犬に、大事な女取られちゃ、たまんねぇ」

ぽん、と頭に乗る手は、どこまでも優しくて―――強い。

頭を駆巡るたくさんの言葉の中。
言いたいことを、たった1つの単語に凝縮して。

「………………頑張れ、景吾」

しっかり見つめてそう言えば、満足そうに笑う彼。

「あぁ、行ってくる」

太陽を背にした景吾が、振り返りながらコートへ降りていく。



勝負は、最終決戦を迎えようとしていた。




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