「ありがとうございましたっ」

「いえいえ、お役に立てて光栄です。……お互い、応援頑張ろうね」

コート外での素敵な出会いは、コートにつくとともに『敵校』という関係に変わる。

それでも、応援する気持ちは両校一緒なんだ。






桜乃と別れてから、すぐに氷帝ベンチへ向かった。

「お待たせ。ハイ、ポカリ。お疲れ様!」

「サンキュ」

「ありがとうございます」

チョタと亮にボトルを渡して、後は1つのところにボトルをまとめて置いておく。
雑用を終えてからフェンス際に近づけば、スコアボードに『2−2』という文字を認めることが出来た。

「……、戻ったか。遅かったな」

コートを凝視していると、景吾がふっ、と隣に来ていた。

「あー、ちょっと人を案内しててね……」

「案内?………………男じゃねぇだろうな」

「可愛い女の子だったよ……!(軽く興奮)……って、そんなことより!……試合だよ試合!樺地くんの調子、どう?」

「普段通りだ。青学の河村……少々やっかいなショットを打ってきやがったが、樺地のヤツ、もう吸収しやがった」

「…………さすが」

樺地くんは、心の純粋さとその身体能力の高さで、ほとんど一目見ただけで、相手の技を吸収できる。
今回も、タカさんのパワーショットを、早々に習得したのだろう。

「……ほら、あれだ」

景吾が優雅に指先をコートに向ける。
イチイチこの人のやることは、どうして様になるのだろう……。

…………って、違うぅぅぅぅ!!!

「あっ……やっぱり波動球……!」

「あぁ……あれか、お前が試合前に言ってたヤツは」

試合前に、青学のデータは覚えてる限り伝えてある。
でもこれは―――。

「……ごめ……データ以上だ……」

「確かに強烈なフラットショットだが―――」

景吾が不自然に途中で言葉を切った。
何を見つめているのかと、私もコートに目を向ける。
視線の先には、タカさん。

だけど、今までの波動球とは違う。
決意の表情で、片手波動球の構えをしているタカさんがいた。

「グレイトォー!」

ドッ、と今までのよりも、重い音が響く。
片手になった分、振り抜きやすくなったために威力が増した波動球。
だけど、片腕で打つことは、それだけ負担も増す―――。

「……樺地くんっ」

樺地くんも片手で構え出す。
ざわっ、と観客がざわめいた。『まさかあれもコピーするのか!?』そんなざわめき。

「当然だろ、なぁ樺地」

「ダメ、景吾!あれは、腕に負担がかかりすぎる……!やめさせなきゃ!」

「あーん?……やめさせろっつったって……言ったってやめるわけねぇだろ」

樺地くんは、純粋だ。だからこそ、自分の心にも忠実。
樺地くんのスイッチが入ってる。『勝つのは氷帝』というスイッチが。

「ばぁう!!!」

ドォオ、と低い音を立てて、打球が返っていく。
だけど、それをさらに待ち構えているタカさん。
連続波動球は、あまりにも危険だ。タカさんはもちろん、樺地くんはあの身長だけれども、未だ成長し続けている。2人とも骨格はまだ完全形成されてない。その時点であのショットを打ち続けるのは、手首を傷めるだけでなく、最悪、骨に影響を及ぼして今後のテニス人生にも支障をきたす可能性がある。

「ダメ!2人ともやめて!」

「……っ…いぃ〜〜〜!!」

「構うもんか、ヒィート!」

ドンッ、ドンッ、と重い球が地面に触れる音が何度も響く。
波動球の打ち合いなんて、無茶苦茶だ。

止めなきゃいけない。
だけど、止めるだけの術を、この場にいる誰も、持っていなかった。

バシ……ッ……!

激しい音が鳴って、ネットが揺れた。
ネットの揺れと同じくらいの速度で、ゆっくりボールが地面に落ちる。
コロコロと転がったボールが静止すると共に、樺地くんの手からラケットが音を立てて滑り落ちた。

「もう……打てません」

遠目に見ても、樺地くんの掌から、赤い雫が垂れているのがわかった。
同時に、私の額を一滴汗が垂れていく。
……マメが潰れてるだけならいい―――。だけど、外傷よりも骨やじん帯に損傷があったら―――。

「景吾、もうこれ以上は許さないからね……!」

「おい、

「――――――1年生、救急箱取って!」

「は、はいっ!」

景吾が何か言おうとしたのを遮って、呆然と試合を眺めていた1年生を急かした。
救急箱を渡してもらおうと、コートから目を離したとき。

またもや、カラン、とラケットが地面に落ちる音が聞こえた。

時が止まったような静寂の中で、救急箱を取るのも忘れ、ゆっくりと振り返る。


―――そこには、樺地くんと同じく、ラケットを握ることが出来なくなったタカさんがいた。


「……両者試合続行不可能により……シングルス3、無効試合!」

審判の宣言に、ドォォォオ、と場が湧いた。
無効試合なんて、滅多にないことだからだろう。

両者がゆっくりとコート中央まで歩み寄り、痛めていない左手で握手を交わす。

挨拶が終わったのを見届けてすぐ、私は救急箱を掴みながら叫んだ。

「樺地くんっ!こっち来て!」

「……ウス」

相当痛いはずなのに、樺地くんはいつものとおり、顔色1つ変えることなく、ゆっくりとフェンス際に近寄ってくる。

「手、見せて!」

「ウス」

血まみれの手を取り、ゆっくりとその状態を見る。
重いものを持ったときのように、硬直して動かない樺地くんの指を、ゆっくりとほぐしていった。

「……樺地くん、無理しない程度に曲げ伸ばししてみて。マメの潰れ以外に酷い痛みはある?」

フルフル、と樺地くんが微かに首を振る。
それを聞いて、再度手の状態を確認し―――どうやら、外傷だけで済んだみたいで、安心した。
でも、今はそれほど痛くないと言っても、後で酷く痛みが出てくることもある。これだけの負担をかけたんだ、早く病院に行った方がいい。

きっとそれは、タカさんも同じだろう。

私と同じように、タカさんの手を見ていたスミレちゃんが、こちらを向いた。

「これから病院に行くんだが…………樺地くんも連れて行くが、よいかな?」

スミレちゃんの申し出に、樺地くんが黙る。
景吾の返答を待ってるみたいだ。

「…………行ってこい、樺地」

「……ウス」

樺地くんが、ペコリと頭を下げた。

「よろしくお願いします」

近くで聞いていた太郎ちゃんが、立ち上がってスミレちゃんに礼をする。
スミレちゃんが1つ頷いた。

「そんじゃ、連れてくよ!」

「……あ、じゃ、じゃあ私も行きます!こういう時のためのマネージャーだし……樺地くん1人には出来な……樺地くん?」

救急箱を持ち、支度しかけた私を、樺地くんが痛めていない左手で留めた。
『大丈夫だ』とでも言うように、フルフル、と小さく首を振っている。

「え……で、でも」

こういうとき動くための、マネージャーだ。
…………もちろん、この後の試合を見届けたいという気持ちは、大いにあるけども、マネージャーとしての責務を全うするためならば、仕方がない。

「…………さんは……跡部さんの、側に」

途切れながらも、しっかりと聞こえた声。
私に向かって樺地くんはそういうと、そのまま、じっと隣に立っていた景吾に目線を向けた。

景吾が何も言わずに、私の手に触れ―――グッと握った。

手のひら越しに伝わってくるのは、『ここにいろ』という言葉。

氷帝テニス部マネージャーという責任と、『』としての気持ちの狭間で揺らいでいると……立っていたスミレちゃんが、ポン、と肩に手を置いてきた。

「……アンタはここで選手たちを見てな」

「え、でも……あの……」

「心配しなさんな、すぐに帰ってくるよ。なぁに、こっから病院まで、車で飛ばせば5分もかからない。この子らは私が引き受けたから、アンタはここにいてくれ」

スミレちゃんの申し出に、それでもどうしようか迷っていると、スミレちゃんが笑みを向けてくれる。

「その代わり、もしまたケガ人が出たら、ウチの学校の子でも手当てしてやっとくれよ?」

「………………はいっ、もちろんです!」

私の返答に、頷くスミレちゃん。
私の心が、わかっているかのようだ。

「…………すみません、じゃあ、お願いします」

「あぁ。……ほら、何グズグズしてんだい!さっさと病院行かないと、試合終わっちまうかもしれんよ!?怪我してんのは手なんだから、足はキリキリ動かしな!」

スミレちゃんの声と共に、タカさんと樺地くんが言われたとおり、足を動かし出す。
姿が見えなくなったところで、止まったままだった試合は再び動き出す。

だけど、景吾の手は、未だ私と繋がったまま。

「…………けーご、手」

試合が再び動き出すということは、私の仕事も再開、ということ。
次のシングルス2の試合に向けて、準備しなくては。……ジローちゃんはまだ、半分寝たままだし。

「…………もう少しだ」

「………へ?」

景吾から出た言葉を最初理解できなくて、変な声を出してしまう。

「後、少しだけ、こうしてろ」

「えっ、あの……………………………了解」

景吾の真剣な視線に抗えなくて、結局そのまま待つこと数秒。
ふ、と景吾の手が離れた。

「…………OK?」

「……あぁ」

小さく頷いた景吾。
なぜかはわからないけれど、体が勝手にもう1度、景吾の手を握り締めた。

「??」

「あ、や…………な、なんとなく!」

自分でも行動の意味がわからなかったので、返答できない。
さらに恥ずかしさがこみ上げてきたので、一瞬でパッと手を離してしまった。い、意味な……!(泣)
最近、自分の行動に責任が取れなくなってきて、さ……(遠い目)

「……………………ったく……」

クッ、と小さく喉の奥で笑い、髪をかきあげる景吾。
その瞳がいつにもまして光を持っている上に、先の行動で色気は倍増、私の心臓はみそジャンプよりも高く跳ね上がった。
だ、ダメだ、これ以上ここにいたら、本気で景吾さんの瞳の虜になってしまう……!まだ試合半ばで戦闘不能にはなれないのよー!(絶叫)

「ジ、ジローちゃん起こしてくるね!」

誘惑の視線から逃げ切るように、高速の速さで走り出す。
これで、どちらにしろ景吾が試合に出ることが決まった。

願わくばそれが、2対1の氷帝王手での場面でありますように。




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