考えないようにしていた。 原作のことなんて。 気付かないフリをしていた。 ―――頭の底にある記憶と、寸分の狂いもないこと。 「若、頑張れ……ッ!」 私がこの世界に来た頃。 ちょうどそのころから、若は演舞テニスの練習を始めていた。 最初の頃は、自分の型まで持っていくのに四苦八苦していたのを覚えている。 試合中、相手は構える時間なんて与えてくれない。どのような状況でも、演舞テニスの構えに入れるように、若は他の部員の何倍も素振りをしていた。 でも、最初はそれが上手く行かなくて―――異様にピリピリしていた。 それでも辛抱強く、自分の形に持っていけるように、また素振りを繰り返して。 何度も何度もマメの処置もしたし、素振りのやりすぎで痛めた手首にテーピングを施したこともある。 急成長した裏側には、限りない努力があったんだ。 若こそ、この氷帝の部長になれる素質を持った人。 だけど―――。 「ゲームセット!ウォンバイ青春学園越前!ゲームカウント6−4!」 審判の声を聞いたとき―――景吾が、ぎゅっと1度、私の手を力強く握り締めた。 演舞テニスよりもすごい、テニスをする人がいた。 越前リョーマ……まさしく『テニスの王子様』と言う名前にふさわしい少年。その強烈な印象を与えるテニスに、目を離さずにはいられなかった。 「選手はコート中央に整列してください」 終わって、しまった。 私たちの中学最後の大会は―――関東大会初戦、という結果で終わった。 じわり、と零れそうになった涙をギリギリで抑える。 ……ダメだ、今だけは、泣けない。 私よりも、もっともっと悔しいのは、試合をした景吾たちだ。 だけど、景吾は泣いてない。 私の手を握り締める力は、いつもより数倍強いけれど。 景吾が立ち上がった。 私も一緒に立ち上がって……泣いている若の元へ行く。 「……すみ、ませ……ッ……すみません……ッ」 謝罪の言葉を繰り返す若。 亮が、ぽんとその肩に手を当てていた。 チョタの目から、ポロリと涙が溢れた。 がっくんやジローちゃんが、微かな笑みを浮かべて、慰めていた。 ぐっ、と景吾の手を強く握った。 泣き出しそうになるけれど、堪えなきゃ。 ……落ち着け。 息を吐け。 前を見るんだ。 ―――まだ、終わってはいない。 「……挨拶に、行ってこい」 太郎ちゃんの言葉に、みんながゾロゾロとネットに向かう。 氷帝の部員はみんな、時が止まったかのように動かない。 いつもの、あの騒がしさが嘘のように、静まり返っていた。 いっそのこと……嘘と、言って欲しかった。 「以上により、3勝2敗1ノーゲーム……青学の勝利です!」 その放送が、頭の中にぐわんぐわんと響いた。 …………青学の、勝利。 ……氷帝の、負け。 「礼!」 ペコリ、とみんなが頭を下げる。それと同時に、ベンチ際にいた私と太郎ちゃんも頭を下げた。 静かにコートを去るレギュラー。 ベンチから、微かに嗚咽の声だけが、聞こえる。 景吾が、ちらりと後ろを振り返った。 ……パチン……ッ。 いつもと全く同じ動作。 ―――少し、物悲しい音だったけれど。 そのたった1つの動作で―――静まり返っていた部員に……声が、戻った。 「…………帝……氷帝っ!氷帝!氷帝!」 泣き声交じりだけど、この試合で一番大きなコール。 200人の部員の声が、会場を揺らした。 声を発さずとも、部員を導く。 これが、氷帝学園テニス部部長、跡部景吾の力。 盛大な『氷帝』コールの中、私たちは大会を、終えた。 試合が終わっても、やることはある。 横断幕を片付けて、救急箱などの備品を確認。 その間に、部員たちには着替えてもらっていた。 「先輩……」 1年生が、なにか雑用を求めて声をかけてきた。 フルフル、と小さく首を振る。 最後くらいは、私が全部やりたい。 「大丈夫だよ」 「でも……」 「本当に大丈夫。……最後は、全部やらせて?」 「……は、い……ッ」 小さく頷いた1年生。 そのうちの1人が、ぽろり、と一筋涙を流しているのが見えた。みんな、一礼をして去っていく。 油断したら、それこそ溢れそうになる涙を必死の思いで堪えて、震える手で救急箱を整理した。 笛やストップウォッチの数を確認し、テーピングも何度も確認して―――ぱこん、と蓋を閉じる。 横断幕を丁寧にたたみ直して、専用の袋に入れた。 ボトルも1本1本綺麗に洗って、カゴにキチンと揃える。 全て仕事を終えてから、ジャージから制服に着替えた。 ジャージを、今までに無いくらい丁寧にたたんだ。 バッグの中にジャージをしまって、備品を持ち。 やってきた用具係の1年生に、それを渡した。 切なそうな顔で、それを受け取る1年生。 小さく笑いながら―――手渡した。 手渡したのは、備品と―――氷帝テニス部だ。 「…………」 制服に着替えた景吾。 肩には、テニスバッグ。いつも樺地くんに持たせてる景吾だけど……今日だけは、自分で持っていた。 「……帰るぞ」 「うん……」 景吾が先に歩き出す。 私も、その後を追いかけた。 「……お、お疲れ様でした……ッ」 後ろから、後輩の震える声が、聞こえた。 今出来るだけの、最大限の笑みを浮かべて、軽く手を振る。 車の外で、運転手さんが待っていてくれた。 「…………お疲れ様でした」 穏やかな笑みで、ドアを開けてくれる。 いつものように車に乗ると、静かに動き出した。 窓から、今までいたコートを見た。 …………ゆっくりと離れて行くコートが、やけに切なかった。 NEXT |