1度家に戻ると。
真っ青な顔で、宮田たちがの状況を聞いてきた。

『なんとか、持ちこたえた―――』

その言葉に、泣いて喜ぶ者たち。
と仲の良いハンスは、空に向かって十字を切っていた。

―――それだけ、この屋敷で、は愛されている。

は、何年経とうとこの屋敷の人間に感謝を忘れない。
何をしてもらうにも『ありがとう』と必ず言う。

あいつらにとっては、仕事だから当然なのだが、それでも感謝の言葉を言われると嬉しいのだろう。
の笑顔が、屋敷を明るくする。
加えて、もうすぐ生まれる俺たちの子供。
みなが心待ちにしている存在。

それらが救われたということの、嬉しさのあまりに流す涙だろう。

1度部屋に戻ってシャワーを浴び、ウェアから私服に着替える。

簡単な食事を済ませた後、再度病院へ向かった。

どこから嗅ぎつけてきたのか、病院の前にはたくさんの報道陣。
それを避けるために、裏口へ回った。
シン、と静まり返った夜の病院。
とうに面会時間は過ぎているが、特別に許可をもらっていたので、がガラス越しに見える椅子に座っていた。
動かないの体には、色々と管がついている。

今晩が峠。

医者の言葉をもう1度思い返す。
両手を固く組んだ。

…………頑張ってくれ、…………ッ。





どれくらい時間が経ったのだろうか。
とりあえず、朝になったということはわかる。ナースたちの動きが著しいし、朝特有のざわざわとした雰囲気が病院内に溢れていた。

まだ、は目覚めない。

1度、ナースが来たが、まだ予断を許さない状態だと言う。
お休みになられてはいかがですか、と言われたが、ここから離れる気はなかった。

そのままずっとを見続けて。

お昼前になったとき、ピク、との手がかすかに動いた気がした。

思わず腰を上げて、ガラスに近づく。

をより近くで見たが―――それ以降、手が動く様子もない。
……見間違いか、と思って、もう1度椅子に戻ろうとしたら。

ふっ……との目が開いた。

バンッ。

思わず、ガラスを拳で叩いた。

……ッ」

防音設備が整っている中で、俺の声など聞こえないだろう。
だが、それに答えるように、ゆっくりとが視線を俺のほうへ向ける。

俺に気づいて……微かに、目を細めた。
微笑んだ。

たったそれだけのことなのに、なぜだか酷く泣きそうになっている俺がいて。

それでもなんとか堪えると、医者を呼びにいく。

医者はすぐにに駆けつけると、2,3言葉を交わし始めた。
なんと言ってるのかはわからないが、はきちんと応対しているらしい。
の口が小さく動くたびに、心臓がぎゅっと掴まれたように胸が詰まった。

しばらく医者はと話して、やがてそこから出てきて、俺のところへやってくる。

「大丈夫のようですね……いや、あの体力には感服いたしました。…………これから、病室に移したいと思うのですが」

「あぁ……VIPの方で頼む」

一般病室には入れられない。
報道陣の数もすごい。
静かに療養させるためには、VIP専用の最上階の病室しかないだろう。

「ではそちらに準備をいたしますので。……準備が整い次第、移しましょう」

「そんなに早く、平気なのか?」

「えぇ。こちらの呼びかけにもきちんと答えてくれますし、意識もはっきりしてますので、すぐに病室に移っても問題はないでしょう」

医者の言葉どおり、は体こそ動かないものの、視線を動かして自分の周りの状況を把握しようとしているらしい。
なんだか、好奇心旺盛ならしい。

しばらくして、準備が整った。

台に乗せられて、が出てきた。
ようやく、に触れられる。

台に乗せられたは、病室を出て廊下へ。
それに付き添うために近寄ってきた俺に気づくと、小さく笑った。

「景吾……」

いつも呼ばれているはずの名前だが、そのときだけはどんな愛の言葉よりも嬉しかった。

「なんだ……?」

「…………試合、勝った?」

目覚めて、最初の会話がこれだ。
……自分のことより、俺の試合結果を心配するところが、なんともらしい。

「お前……他に言うことはねぇのかよ……」

「え……まさか……」

「俺様が負けるわけねぇだろうが。ストレート勝ちだ」

俺の言葉で、の顔に笑みが広がる。
その笑顔に、ようやく俺も忘れかけていた笑顔を見せることが出来た。

「……もう少し、寝とけ……」

が、ふっと目を閉じた。





その後、眠り続けたが目覚めたのは夕方。
ぱちっと目が開き、その目が俺を捕らえると、先ほどよりもさらに元気な微笑を見せて、口を開いた。

「う〜……ビックリしたよ〜……」

「バカ。……驚いたのは俺だ」

ゆっくりとの頬に触れる。
少し冷えているの頬。ぬくもりを移すかのように、両手で包んだ。

「試合後に連絡来て……心臓、止まるかと思った…………」

「あ、侑士ちゃんと約束守ってくれたんだ……私がね、言ったんだよ?景吾には試合後に伝えて、って……だから、侑士怒らないでね?」

「バカ。そういう時は、試合後もなにもあるか」

「だって……大事な試合だし……」

「お前以上に大事なものなんて、あるわけねぇだろ」

が、うっとつまって少し頬を染める。
幾分血色が良くなってきた肌。

「本当に……生きてて、よかった……」

「うん……おなかの子、守んなきゃーって、頑張った」

へへ、と笑うにキスをする。
少し乾いた唇を、舐めて潤してやった。

「……景吾……ここ、病院だからね?」

「VIPの病室だ、誰も入ってこねぇよ」

「び、VIP……!なんでそんなとこに……!」

「報道陣がすげぇ。新聞は見てねぇが、一面らしいぜ」

「うそ〜……そんなことで有名になっても、嬉しくない……ッ」

嘆くの頭を少し撫でる。

「痛く……ねぇのか?」

「なんか、麻酔が効いてるんだって……切れ始めたら、痛くなりますよ、って脅された」

「……そうか…………、すまない」

「?なんで景吾が謝るのさ」

「……犯人、俺のファンの恋人だったらしい……俺のファンが、お前が妊娠したのを聞いて、殺意が芽生えて……で、恋人の男に頼んだらしい」

「……うげ、なにその意味わかんない理由。……日本も怖くなったね……でも、景吾が謝る必要ないよ?恨むんだったら、めいっぱいその犯人を恨むから」

笑いながら言うは、強い。
本当にその笑顔だけで、救われる。

この笑顔を失ってたのかもしれない―――。

ゾクリ、と背筋がこわばった。

「もし……もし、お前がいなくなってたら……俺は、誰が止めようとその男を殺しに行ってたな……」

「ちょ、景吾……まぁ、私も子供がどうにかなってたら、その男の所乗り込んでたかもしれないけどね。まぁ、なんとか無事でよかったよかった」

「……ったく、能天気だな、お前は」

くしゃり、と髪の毛を撫でると、は不思議そうな顔で見つめてきた。

「……景吾、寝てない?」

「お前が大変なときに寝れるか」

「……睡眠はスポーツマンにとって、大事なんだよ?だから、寝なきゃ」

「あぁ……お前が寝たら寝る」

「な、なにそれ……それ、早く寝ろって言ってる?」

「そういうことだ。……寝て……早く良くなれ」

「…………うん」

素直には頷いて。
また、瞳を閉じた。

すぐに聞こえる寝息。
体が休養を必要としているのだろう。

穏やかなの寝顔を見たら、ようやく張り詰めていた緊張がほぐれて。

俺もそのまま、眠りに落ちた。



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