今日、景吾は試合でいない。

妊娠してから、トレーナーを代わってもらってる私は、午後からの試合に間に合うように、行くつもりだ。

のんびり過ごした午前中。
昼食は、ポトフだった。
食欲もすっかり元に戻ったので、ご飯がおいしいことおいしいこと。
1度部屋に戻り……今日は寒いから、少し厚着をして。
景吾のために作った、学生時代から『試合といったらこれ』というくらい定番になってしまった差し入れ、レモンのはちみつ漬けもさっき冷蔵庫からとってきて、鞄に詰めた。

様、お車の用意が出来ました」

コンコン、というノック音と、宮田さんの声。
そろそろ目立ち始めたおなかに手を当てて、立ち上がった。

「じゃ、行ってきます!」

「お気をつけて」

宮田さんに挨拶をして、そのまま玄関を出た。
車に揺られること、数十分。

わいわいとにぎやかな会場に到着した。
会場まで、車は入ることが出来ないのですぐ傍で下ろしてもらう。

「ありがとうございました」

お礼を言って、車を見送り。
携帯で電話をする。

「…………あ、侑士?」

かける相手は、侑士。
……結局景吾が、侑士に強引にお休みを取らせたらしい。

ちゃん、着いたか?』

「うん、今会場の入り口にいる」

『入り口……あ、おった。ちゃん、右』

右の方を見ると、携帯を持ったまま手を振ってる人物が。
携帯を切って向こうへ駆け寄っていこうとすると、慌てて侑士が先に駆け寄ってきた。

「走らんでえーって」

「あ、つい……まだあんまりお腹に重み感じないから……よく景吾にも怒られる」

そらそうやろな、と侑士が苦笑した。

「でも侑士、大丈夫なの?勉強大変なんじゃ……」

ちゃんの為やったら、俺は平気や……!……でもきっと跡部……妊婦なら手ェ出せんからって、2人きりを許可したんやろな……どこまでも姑息なヤツや……!イヤ、待て、このままちゃんをお持ち帰りで……」

おーい、侑士ー……戻ってこーい。
なんだかどこかへ行ってしまわれた侑士。
ポリポリ、と頬をかいてると、侑士がちらっと私の腹部を見た。

「……でも、まだ実感わかん……ホンマにこん中に、もう1人入っとるんか?」

「入ってますよー。……侑士、お医者さんになるんだから、変化見分けてよ〜。誰もわかってくれなくて、ちょっと寂しいんだよ」

「産婦人科は専門とちゃう。ちらっと実習のときに見ただけや。……それにちゃん、全然変わらんもん。…………もうどっちか聞いたんか?」

どっち……赤ちゃんの性別のことだ。
私はその言葉に首を振る。

「結局、お楽しみにしとこうって。だから、買うものとかが全部黄色や白」

「ははっ、そらそうやな。……女の子がえぇなぁ。あぁ、そしたら俺がめっさ可愛がってやるで……!」

「…………侑士、言い方がやらしい。景吾にまた殴られても知らないよ?」

「やらしいって、酷いな……と。そろそろ時間ヤバイか。控え室、寄って行くん?」

「んー……どうしよっかな……」

差し入れもあるけど……侑士の言うとおり、時間も迫ってきてる。
大事な時間を邪魔するのもな……。

「……試合、終わってからにしようかな。景吾の集中、途切れちゃうとまずいし」

「そーか。……ほな、行こか」

先に歩き出した侑士。どうやら混雑している中で、道を作ってくれてるらしい。
侑士は何にも言わないけど、さりげな〜くこういうことをやってのけるんだよなぁ……相変わらず。

「……跡部、さんですか?」

未だに、『跡部』と呼ばれることに慣れない。
少し照れながらも、返事をした。

「はい、そうですけど、なにか……?」

振り返ろうとしたら。

唐突に、背中からわき腹にかけて、熱い金属を押し付けられたような感覚。
そこから派生して、ジクジクと広がる脈打つ痛み。

なんだかわからなかった。

「……?…………ッ」

ピチャ……。
小さな水音が鳴った。

振り返れば、見知らぬ男の人が、銀色の小さなナイフを持っていた。
そこから滴り落ちた、赤い雫。

呆然とそれを見る、私。

「う、うわぁぁぁ」

逃げる、男。
上がる、悲鳴。

――――――何が、起こった?

「ッ、ちゃん!?」

侑士が人を掻き分けて駆け寄ってきた。
なんでだろう。膝に力が入らなくて、突然カクン、と力が抜けたのを、ガシリと抱きとめてくれた。

なん、だろう……自分で何が起こったのかわからない。
腰がジクジクする。
逃げてく男は、なに?
この痛みは、なに?

なにが、起こったの?

「……っ、救急車!救急車、呼んでくれ!」

侑士の声に、慌てて周りの人が携帯電話を操作し始めた。
ぼーっとしてきた頭で、それを見る。

「……ちゃん!ちゃん、大丈夫か!?今、跡部を……ッ」

携帯電話を取り出そうとする侑士の手を、押しとどめる。
自分の腕じゃないみたいで、震えてた。

「ゆ、し……?だ、大丈夫……だから、景吾、呼ばなくて、だいじょぶ……」

「大丈夫なわけあるか!」

「試合前に……動揺は、禁物……でしょ?……試合の、後で……ね?」

「……ッ……救急車は……ッ……ちゃん、ちょお我慢し、止血する!」

侑士が私のセーターを捲り上げた。
傷はそんな深いものじゃない……と思う。

だけど、ズキン、とお腹が痛んだ。

「ゆ、し……お腹、痛い……」

「……ッ……大丈夫や……大丈夫やから、安心しぃ……ッ!頑張れ、頑張るんや―――…………」

あぁ、なんだか頭の芯がぼうっとしてきた。
侑士の呼びかけが、遠くで聞こえる。

侑士はお医者さんになるんだ、大丈夫だよ……ね?

ちゃん―――……!

ふっ、と世界が、暗転した。




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