ちゃん、お疲れさん」

「ありがと、侑士」

結局勝てはしなかったけれど、3−6まで頑張ることが出来た。
あのタカさんと不二くんから3ゲーム取った……だけでもすごいんじゃなかろうか。

ゆっくり歩いてベンチへ戻れば、景吾が片手をあげていた。

パチン。

小さな音が鳴って、私たちの手は触れ合った。



Act.37  マネージャーの事が、本業です



「次、岳人と宍戸、入れ」

「待ってました!行くっぜー、宍戸!」

「よっしゃ、気合い入れてこーぜ!」

ピョンっ、と飛びあがってコートに入っていくがっくん。それにいつものようにラケットを指で立てた亮が続いた。
私は軽く弾んだ息を整えながら、ゆっくりとベンチに戻り―――

「あ、ドリンク作るの忘れてた」

唐突に思い出して立ち止まる。
パニックになって忘れてしまっていたけれど、準備体操なんかを手伝っていたのでドリンクを作っていなかった。
もちろん各自で飲み物は持ってきているけど、空調設備が完璧なインドアテニスコートでは温度も湿度も寒さを増してきた外よりある。ドリンクが足りなくなるのは簡単に予想できた。

「ちょっと行ってくる」

ベンチにいるメンバーたちに声をかけ、試合が始まる前にコートを駆け抜ける。
冷水機はコートのあるフロアにもあるけれど、もっと効率のいい浄水器つきの水道が1階にあるのを知っていたので、そちらに走った。

ボトルを落とさないように抱えながら、軽く走る。
角を曲がったところで、

トンっ。

何かに、ぶつかった。

「……おっと、失礼」

「……わっ、こちらこそすみません」

ぶつかったのが『物』ではなく『人』だったということに気づいて、慌てて謝る。白いスーツの裾を視界の端に入れつつ、衝撃で少しずれたボトルを持ち直して、再度私は走りだし―――途中で止まる。

「あ、あの……今日はテニスコート貸切なので、一般の方は使えないと思います。すみません」

別にそう悪いことはしていないけれど、どうしても申し訳ない気持ちが先行して謝ってしまうのは、日本人だからだろうか。
振り返りながら言うと、さっき私がぶつかった人も、同じように振り返った。

「あぁ。ありがとう」

でも返ってきたのは、まるで貸切であることを知っているかのような返事。
それに驚いた私は、思わずしっかりその人の顔を見た。

「…………え?」

私の小さな疑問の声が聞こえなかったようで、その人はそのままスタッフ以外立ち入り禁止の部屋へ向かっていった。

白スーツにちらりと見えた、柄シャツ。
肩より下まで伸びた黒い髪。

「なんであの人がここに…………あ」

そこでハッとこの間の景吾と手塚くんの会話を思い出した。
……もしかしたら、これも全部必然なのかもしれない。

「……それなら今日は、しっかり両校のサポートさせてもらいますかね」

遠くない未来で、今度は『同志』として戦うことになるかもしれない2つの学校。
少しでも良い状態で、その未来が迎えられるように。

私はボトルを握りなおして再び走り出した。
スタッフルームの前で立ち止まったその人が、私をじっと見ているのを知らずに。






1つしか冷水器がなかったので、ドリンクを作るのに少し時間がかかった。
いっぱいになったボトルを落とさないように、細心の注意を払いながらも全速力でドリンクを運ぶ。

コートに戻ると、ちょうどがっくんがポイントを決めたところだった。そのポイントでコートチェンジらしいので、私はその隙にコートの端を通ってベンチへ近づく。

「おかえり〜。ちゃん、飲みモンえぇ?」

ヒラヒラと手を振ってくれた侑士に、はい、とボトルを渡す。
いつものように、濃さを何種類かに調節して作ってきたので、その中でも侑士の好きな薄めのポカリを選んだ。

「ありがとさん」

「いーえー。……あ、不二くんたちもよかったら飲んで?右から順に、甘いポカリ、普通ポカリ。薄めのポカリは今侑士が飲んでるやつね。一番左は水だよ〜」

ありがとう、とタカさんが頷いて、普通ポカリを手に取った。

「……なんかやっぱりマネージャーっていいな。青学にもちゃんみたいなマネージャーいればなぁ……」

「ありがとう、ちゃん。……フフ……そうだね。ちゃんにマネージャーをやってもらえたら、もっと僕たちは上達するよ」

「買いかぶりだよ〜。……でも、ありがとう。そう言ってもらえると、ホント、マネージャー冥利につきます。またこうして練習試合だったり合同練習やったりする時には、ぜひマネージャーやらせてください」

「でも、いつでもどこでもは俺らのマネージャーってのは変わらないからな〜」

ピョコンッ、とやってきて、そんな可愛いことを言ってくれたのはジローちゃん。
やっぱり青学相手だと彼は最初から覚醒状態。
キラキラした目でそんなことを言われた日には……かわいすぎて、お姉さんどうしよう(真剣)

「さっきのプレイを見る限り、プレイヤーとしても結構いい線行くと思うんだけど……高校の部活でテニスやらないの?」

不二くんの信じられない質問に、私はブンブンと手を振って否定する。

「とんでもない!ホント、テニスは氷帝メンバーに教えてもらってやっとやってるくらいで……このメンバーたちとやってると、ホント自分の下手さ加減にへこみまくりだし」

「いやいや、それは男子と女子の差もあるだろうし」

大石の絶妙なフォローに感動しつつ、私は続ける。

「すごく楽しいと思うし、プレイするのも好きだけど……部活でやってくようなレベルじゃないよ〜。それに、なによりマネージャーの仕事が好きだしね。……最初は大変だと思ったし、プレイする方がいいな〜とも思ってたんだけど、やり続けてるうちにどんどん面白くなって」

あはは、と笑ったら、会話を聞いていたメンツが微かな微笑みとともに、大きな頷きを返してくれた。

「じゃあ、高校でもマネージャーを?」

「……そのつもり。もうちょっと本格的にトレーナーの勉強してみようかな、とも思ってるんだ」

「へぇ……」

「ま、道のりは長そうだけどね。……それに、実際にプレイしないとわからないこともたくさんあるから、これからもプレイは続けていくつもりでもいるし!やっぱりね、どんなトレーニングが必要、とか知るためにはやってみないと実感わかないもんね……」

たとえば、腹筋の使い方とか。テニスをやる上で、一体どんなところで腹筋使うのかと思ったら……力強いショットを打つには、腕や背筋だけでなくて、腹筋もないと力がバランスよく伝わらない。特にサーブなんかは顕著にそれが現れて、ギクシャクした動きになりがちだ。

なんのために筋トレするのか私が理解しておいて、それをみんなに説明しなければ筋トレ効果は半減してしまうしね。

「よっしゃー!菊丸英二、今度こそやってやったぜー!ー!勝ったー!!!」

満面の笑みで走り寄ってきたのはがっくんだった。
いっぱい汗かいて息も切らしているというのに、ニッコニコ笑顔。
あー……この笑顔で私、しばらく幸せに過ごせるわー……(ほんわか)

「やったね、がっくん!」

「へっへー。俺、と練習して、我慢すること覚えたかんな!いきなり決めに行くんじゃなくて、我慢して我慢して相手のミス待つってやつ!」

「くっそ〜……やられた〜……向日のヤツ、体力使わない繋げ方がうまくなってるし〜……」

「ふむ……宍戸のストレートアタックはデータになかったな。あれほど正確なコースへ行くということは予想外だった。追加しておこう」

「岳人やなんかと一緒にやるとき、相手は前衛に気ぃとられることが多いみたいでな。そんときゃストレート。ずいぶん練習したぜ」

「亮のストレート、ライジング気味だし、ちょっと取るの厳しいよね〜……お疲れ!」

おう、と笑った顔は満足げだった。

「さて、と……おい、ジロー。行くぞ」

「おっけ〜!よっし、ワックワクしてきたー!」

「あ、次は景吾とジローちゃんか〜!青学は……手塚くんと大石くんかぁ」

こりゃまた……タイヘン!

「行ってくる。……部長・副部長コンビ、蹴散らしてやるよ」

バサッとジャージを私に預けて、景吾はコートへ向かう。
近くにいた大石くんや手塚くんも立ち上がった。

「跡部とは初対戦か……こりゃタイヘン」

「油断せずにいこう」

いつの間にか真剣味を増した雰囲気に、私は高揚感を抑えられなかった。



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