Act.41  滅への、道標



「なぜだっ!?どうして、どの会社もうちの取引を中止してきた!?」

バサッと遠藤は書類をデスクの上へ放り投げた。
順調にいっている取引という取引、すべてが向こうから手を切られた。

深夜だというのに、続々と入る、取引中止の要請。
しかも、大きな取引をしている会社ばかりだ。
どこからか圧力を掛けられてるとしか、思えない。

取引中止を要請してきた会社は、理由を頑として言わない。
だが、こんなことを出来る人間といえば、限られている。

「…………跡部か……!?」

しかし、跡部が圧力をかける理由がわからない。
先日も娘の誕生日パーティーには、息子が代理で来ていたし、特別に手を組むというわけではなかったが、別段、仲が悪いわけでもない。
これだけの大掛かりな取引中止だ。
おそらく、圧力を掛けた会社も、半端ではない損害を被っているはず。
なのに、どうしてこんなことを……?

「なぜだ……!?」

「お父様!?」

バン、と扉が音を立てて開き、時子が自室へ入室してくる。
時子も事情を聞いたらしく、顔色を失っていた。

「いったい、なにが……」

「取引をしている会社という会社が、中止を要請してきた……このままだと、うちは3日ももたん……!」

何年も掛けて作り上げてきたものが、わずか1日でこれだけ崩れた。

「そ、そんな……原因は……!?取引中止の原因はなんですの!?」

「わからん!……だが、うちにこんな圧力を掛けられるのは、跡部くらいだ……!」

スッ、と時子の顔が、さらに青ざめた。

「……そん、な…………まさか!」

「……時子?お前、なにか知ってるのか……?」

「そんな、たかが小娘1人のために……!?ありえない…………!」

「時子、お前、なにか跡部の逆鱗に触れるようなことを、したのか!?」

答えろ、と遠藤は時子の肩を揺さぶった。
呆然と『ありえない』と呟き続ける、時子。
しばらくして、開けっ放しの扉から、執事の声がした。

「旦那様!下に、跡部様がいらっしゃっております―――!」

「ッ…通せ!」

跡部が、来た。
…………跡部がここに来る理由は、ただ1つ。十中八九、これは跡部がやったということだ。
跡部夫妻は、日本にはいない。
ということは――――――。

「こんばんは、遠藤さん」

悠々と現れた、スーツ姿の男。

「跡部、景吾……ッ……」

中学生のはずだ。
まだ、14のはずだ。
だが、ゆるやかに微笑むその立ち姿は、名高い史上の王のように見えた。

「……これは、全て君の仕業かね!?」

その威圧感に、我知らず声が震える。

「えぇ、取引中止を命じたのは俺です。…………だが、原因を作ったのは、貴方の娘ですよ」

跡部が、ゆっくりと時子に視線を向ける。
氷のような微笑。目だけが笑っておらず、冷たい怒りが体を突き刺す。

「なっ……そうなのか、時子!?」

「お、お父様……!」

「貴方の娘は、俺の大切なものを傷つけた…………」

カツ、カツ……と跡部は、遠藤へ近づいていく。

「あいつを傷つけるものは、俺は誰であろうと許しはしない…………」

デスクの前まで、歩み寄ると―――

「それがたとえ、国でもだ!」

バンッとデスクに手を叩きつける。
バサバサッと書類が地面へと落ちていく。

「なっ…………」

パチン、と跡部が指を鳴らす。
優雅なその仕草は―――最終通告。

「終わりだ、遠藤。悔やむのなら、愚かな娘を育てた、己の人生を悔やむがいい」

もう1度冷たい視線を両者に浴びせると―――スーツの裾を翻して、立ち去る。

「跡部……景吾……ッ……貴様、正気か……!?」

遠藤の震えた声に、跡部の足が止まった。
ゆっくりと、顔だけ振り返る。

「正気?」

自嘲気味に笑う顔は、まさに究極の美。
たった1人の女にだけ向けられる、壮絶な美。

「……俺はな、大事なものを傷つけられて黙ってられるほど、大人でもねぇ……大事なもんが泣いてて、正気でいられる人間じゃねぇよ!」

―――跡部は、去っていく。
遠藤に残されたのは、破滅への道のみだった。





「…………おかえりなさいませ、景吾様」

「あぁ…………は?」

「まだ眠っておられます。……景吾様もお眠りになられたほうが……」

時間を見れば、もう深夜の1時を過ぎている。
俺は上着を宮田に渡して、ネクタイを緩めながら階段を上った。

「いや……の部屋にいる」

いつも自分が入る部屋の隣。
最近では、自分の部屋にいるよりも、過ごしている時間が長いかもしれない、その部屋。

部屋の主は、ベッドで寝ていた。

何がそんなに辛いのか。

縮こまるようにして、寝ている。
手に巻かれた包帯が、痛々しい。
そして、いまだ流れている涙。

掬っても掬っても、涙は流れることを止めない。

悪夢を見てるのか。

それならば、俺がお前を夢からも助けよう。

閉じられた唇に、キスをする。

「……、起きて俺を見ろ」

そして、笑え。
いつものように―――『景吾』と俺の名前を呼んで、笑え。

何度も、角度を変え、長さを変え―――唇を重ねる。

お前が泣く姿を見るのは―――自分が傷つくよりも辛い。

……ッ……起きて、俺を見ろ……ッ」

お前の傍に、俺はいる。

「だから、お前も、俺の傍にいなきゃならねぇ……ッ」

俺は―――まだ、14のガキだ。
お前がいないだけで―――こんなにも不安になる。

「………………ッ」

「……………け………ご……?」

小さな声が、耳に響いた。
ゆっくりと開かれている、の目。

……ッ」

そのまま堪らずに、抱きしめ、何度も何度もキスをする。
顔を撫で―――髪の毛に手をうずめ。
何度も何度も唇を奪う。

ドンッ……との腕が、俺の胸を押し返した。

「な……んで……?なんで、景吾がいるの……?」

ボロリ、とまた零れた涙。
それが、切なくて。
強引に引き寄せてキスをした。

「お前の隣には、必ず俺がいる」

「違う!……私は……私は、景吾の隣に立てる人間じゃない……!私は景吾の隣にいちゃいけない…!」

暴れようとするの手首を掴んで。
何度も何度も、キスをする。
その存在を、確かめるように。

「……何を遠藤に吹き込まれたかはしらねぇが……お前のいる場所は、俺様の隣だ。それ以外のどこでもねぇ」

「……でも、私は!私は景吾の迷惑に……「俺は!……俺は、お前がいないと……自分さえ見失う人間だ!」

喉の奥が、焼けるようだった。
目の奥が、真っ赤になった。

「……お前がいないだけで、不安になる、人間だ」

が、驚いて目を見開く。
……そして、そっとその手を頬に伸ばしてきた。

「景吾……泣いてるの……?」

頬を一筋伝う水滴を、が拭う。
その手を握って、抱きしめた。

「お前が消えて……俺がどんなだったか、お前にはわからねぇんだろうな……。お前が、来てから……俺がどんなに変わったか、お前にはわからねぇんだろうな……」

が来てから。
俺は―――新たな自分に出会った。

蕩けるような甘い感情。
嫉妬という醜く汚い感情。

が来るまでは、女の笑顔に胸が高鳴るなんてことはなかった。
他人の心がこんなに気になることもなかった。

世界が、どんどん色鮮やかに変貌していく。

「お前が傍にいるだけで、いい……迷惑なんて、これっぽっちも思ったことはねぇ」

ぎゅうっ、とアイツの手がオレのスーツを掴んだ。

「あの人が……私のせいで、跡部家が破滅するって……私が景吾の隣にいたら、景吾にとっていい縁談が入ってこないって……!」

「バーカ。……お前以外の女なんて、いらねぇよ」

「だって、私じゃ、跡部家になんの利益も……」

「お前の存在が、俺にとっての利益だ…………これ以上の利益はないだろ?」

なに、不安になってんだ、あーん?

そう続けると、また泣きながらしがみついてくる。
それを受け止めながら、ポンポン、と背中を叩いた。

「大体な、跡部家はちょっとやそっとで簡単に潰れねぇよ。お前が思っている以上に、跡部家は巨大だ。どこか1箇所に綻びが出来ようと、すぐに修正できる」

「だっ……てぇ…………」

「お前、本当は18だろ?14の男にしがみついて泣いてんじゃねぇぞ、あーん?」

「け、いごは……14に見えないもん……!」

「調子戻ってきたじゃねぇか。……ほら、もう泣くな」

「うぅ〜…………」

「もう1度、寝ろ。目覚めたときには、過去になる。全て、忘れちまえばいい。……ほら、笑え」

ぽん、と頭に手を乗せると、は少しだけ微笑んだ。
その微笑みが、こんなにも愛しい。

頬を寄せ、伸ばされた手を掴み、キスをする。

「景吾……傍にいる?」

「あぁ……お前の傍にいる」

「ホント?」

「俺様が嘘つくと思ってんのか、あーん?」

ぎゅっと抱きしめて―――のベッドにもぐりこんだ。

「これで、安心だろ?」

少しのぬくもりが移ったベッド。
腕の中の人間は、とても温かい。

「……明日には、俺様のためにもっと笑ってろ、いいな?」

お前の笑顔。
それが、俺にとっての最大の利益だから。



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