カチ、コチ、カチ、コチ……と時計の針は、いつもと変わらず時を刻む。

時刻はもうすぐ8時。



Act.40  気か、狂気か



―――が、帰ってこない。


の部屋で、俺は待っていた。

テーブルの上に置かれた携帯電話は、ピクリとも動かない。

今日は、肘を故障している萩之介に付き添って病院へ行った。
午前中のことだ。
検査や診察の時間がどんなにかかったって、午後には終わっているだろう。
部活もオフなのでそのまままっすぐ帰ってくるはずだ。

それなのに、未だは屋敷に戻ってきていない。

に持たせている携帯には、すでに何度もかけた。
その度に返ってくる、無常な機械の音声。

萩之介にも電話をしたが、病院前で別れたのは、2時前だったらしい。病院からうちまでは、5分もあれば着く。

明らかに、おかしかった。

「景吾様……警察に届けた方が……」

宮田の言葉をさえぎるように、ブブブ……携帯が振動する。
か、と思ってすぐに画面を確認したが、出た表示は『忍足』
それでも出ないわけに行かず、通話ボタンを押す。

「……なんだ、忍足。悪いが、今は忙し……」

『跡部……!跡部、ちゃんが……!』

忍足にしては珍しい、余裕のない声。
だが、そんなことよりも、『』という名前に、俺の全細胞が反応した。

!?がどうかしたのか!?」

『さっき、ちゃんが俺の家に来たんやけど……様子がおかしかったんや!』

に会ったのか!?」

『俺の家に来て……もうお前に会えないとか、楽しかった、とか……なんか、もう会わへんみたいな……最後に、サヨナラって……』

俺に……会えない?
楽しかった?
…………サヨナラ?

「……!今からお前の家に向かう!」

ジャケットを羽織って部屋を飛び出した。
外に出れば、息が白く染まるほどの寒さ。3月なのに、真冬並の寒さだ。
駆け足で用意させていた車に乗り込んだ。
忍足の家へ着くと、この寒さの中、外で待っていた。

「跡部!」

「忍足、は!?いつここに来た!?」

「つい10分くらい前のことや……!ちゃんに、いったい何があった!?」

いつもは冷静な忍足が、こんなに慌てるのは珍しい。
それほど、の様子がおかしかったということか。

「わからねぇ。今日、あいつ、萩之介の病院に付き合っただろ?その帰り……萩之介と別れたところから、消息がつかめねぇ」

萩之介と別れて、病院から家までの間の、わずか5分。
そのわずか5分という時間が、あいつを消した。

「…………忍足、あいつ、お前の家にどうやってきた?」

「車乗ってったで。黒塗りのベンツ。……なんや、黒服のSPらしき奴らに、ひっぱられとった」

「ってことは、少なくとも、何かに巻き込まれてる……!」

あいつが消えたのは、あいつの意思じゃない……!
ギリ、と唇を噛み締めた。

「目黒 さ 4831」

「あ?」

「車のナンバーや。様子がおかしいから、記憶しとった」

「……でかした忍足」

俺はさっそく携帯を取り出して、警察の知り合いへと電話する。

「……………………あぁ、跡部だが。車のナンバーから身元割り出せるか?目黒 さ 4831のベンツ…………個人情報?……ふざけるな、緊急事態だ!…………あーん?……そうか、わかった」

「どうや?」

俺は通話口を手で押さえて、忍足に伝える。

「……このナンバーの車を所有してるのは……遠藤グループだ」

あの、タヌキ親父……。
オレの頭の中で、色々な情報が浮かぶ。
遠藤グループは多くの子会社を抱える、日本でも上流に位置するグループだ。
このグループだったら、人1人どうにかしようと思えば、どうにでもできるだろう。

「遠藤……あぁ、親父の病院でも薬品取り扱ってたな」

「…………その車―――ベンツの動向を調べてくれ。詳しい情報がわかれば、それも。黒服の男と、中学生の女が乗っている。…………事件?いや……俺がカタをつける、余計なことをするな。…………あぁ、追いかけるだけでいい。どこかに止まったら、知らせてくれ」

「跡部……相変わらず、人脈広いな……」

「こんなときに使うためだ。…………だが、なぜ遠藤がに?」

まったく接点がない。
は遠藤と、なんの関わりもないはずだ。

ちゃんと、その遠藤ってヤツは会ったことあるん?」

「いや、遠藤自身にを会わせたことは―――あぁ、娘の方は、会わせたことがある」

「娘?」

「遠藤の娘だ。……この間パーティーで会った―――」

この前に、パーティーで会ったときは、ごく普通の娘だと感じた。
もっとも、そんなに話す前に、を探しに行ってしまったが。

「…………その子、どんな子や?」

「どんなって、普通の―――……まさか忍足、疑ってるのか?」

ちゃんが会ったことがあるのが、遠藤の娘だけやったら―――1番怪しいのは、その子ちゃうん?」

ブブブブブ、と振動が手に伝わってきた。
ポケットから携帯を取り出す。

『景吾くん、車を発見した。八王子インターチェンジを抜けたところだ。今、近くにいる者が追跡している。私もそのまま向かうつもりだ』

「そうか、そのまま追跡してくれ。俺もなるべく早く向かう」

『それから、あのベンツなんだが……どうも、遠藤グループというものよりは、娘さん個人の持ち物に近いらしい。親が買い与えた、と一時期評判になってたみたいだな』

「…………わかった、協力感謝する」

ぷつ、と通話を切った。
……どうやら、忍足の言っていたことが、正解のようだ。

「…………忍足、お前の言うとおりだ。あのベンツは、どうやら娘の方の持ち物らしい。…………読めてきたぜ」

「車、見つかったんか?」

「あぁ、八王子インターチェンジを抜けたところだそうだ。一応追跡してもらってるが、俺もこれから向かう」

の安全を確保した今、次に行うことは―――。
パチン、と違う携帯を取り出した。
電話をかけてコール音の合間に、忍足に告げる。

「…………おい、忍足。お前の親父に言っておけ。遠藤薬品からは手を引けってな」

「…………まさか跡部…………」

忍足は頭がいい。
俺が行おうとしてることを、一瞬で理解したようだ。

「遠藤は、冷泉院とは格が違うで!?日本でも、上流に位置するグループや!」

「はっ、知ったことか。…………あぁ、俺だが。うちのスポーツジムで仕入れてる、遠藤グループからの品、全て取引中止だ」

「跡部!」

忍足の声に構わず、違う会社へ電話をかける。
夜だが、そんなことに構ってはいられない。

「…………俺だ。お前のところ、遠藤グループから商品仕入れてたな?……今すぐ取引を中止しろ。損害はすべてうちから出す。わかったな?」

「跡部……正気か!?」

「正気?……わからねぇな、が消えるんなら……正気でいる必要もねぇ。…………あぁ、俺だ。お前が取引してる遠藤グループ。今すぐ手を切れ」

次々と遠藤の取引相手に電話をし、中止の命令を出す。
遠藤がいかに上流グループであろうと、うちには及ばない。みな、不審に思って聞いてきたが、損害は全て請け負うと言ったら、協力してくれた。

はぁ、と忍足が息を吐いた。
真っ白な息が、宙に拡散する。

「………………わかった、俺も気ぃ進まんけど、親父説得してみるわ」

「あぁ。……俺はこれから、を迎えにいく。忍足、もしかしたら氷帝にの退学届けかなにか、出されてるかもしれない。問い合わせてくれ。もしもあるようだったら、受理しないでもらうよう、言ってくれるか」

「わかった。……跡部、ちゃん、絶対連れてきぃや。ほんで、俺が説教せな。勝手に消えるなんて俺が許さん」

「あぁ。…………今回は、きっちり叱っておかねぇとな」

忍足にそういい残して、俺は車へ戻る。
とりあえず、八王子インターチェンジまで行き、後の場所は連絡待ちだ。
八王子インターチェンジへ入るころに、バイブが鳴った。

『景吾くん、車が停止した』

「そうかっ……今、八王子インターチェンジだ。場所は?」

場所を聞くと、つい最近出来たばかりの、高級マンションだった。

『どうする?男たちが1回中に入って、今出てきたところなんだが―――車の追跡をするかい?』

「……いや、それより、多分中学生の―――背は高いが、中学生の女を連れていったはずだ」

『あぁ……男が抱きかかえていた子が、そうかもしれない』

抱きかかえていた……?
ということは、意識がないということか!?

「……乗り込めるか!?無事を、確認してくれ」

『…………了解した。また後ほど、連絡する』

「あぁ、すまない」

電話を切って、運転手に行き先を告げる。
運転手も、のことを心配してるから、いつもは安全運転をしているというのに、今日に限っては、外車だからこそのスピードで道を駆け抜けていった。

ブブブ、とまた携帯が鳴る。

『景吾くん、連れてこられた子の無事を確認したよ。どうも、この子だけマンションに置いてかれたみたいだな。無駄な争いをしないですんだ』

ほぅ、と安堵のため息が出る。
……無事。が、無事だった。

それだけで、冷たい心の枷が解き放たれた。
飛ばした車は、すぐにマンションについた。
マンションの前には、知り合いの刑事が待っていた。

「4階の1番奥の部屋だ。……彼女は寝てるみたいだ。警察手帳を見せて、管理人さんに鍵を開けてもらった」

「…………礼は必ずする」

それだけ言って、マンションのエレベーターに乗り込む。
上っている時間が、惜しかった。
一刻も早く、に会いたかった。
この目で無事を確認したかった。

ドアを開けて、中に入る。

音を立てないように、静かに歩いて―――寝室らしき部屋にたどり着く。
そっと開けると、暗闇の中で小さく小さく丸まっているアイツが寝ていた。

は……っ……と小さく吐息が漏れた。

無事だった――――――。

ゆっくり近づき、の顔を確認する。
幾筋もの涙の痕。
丸まっている体の上に投げ出された、少し開かれた掌には……爪が食い込んだ痕があり、固まりかけの赤黒い血が汚している。

……?」

何が、あった?
何がお前を、こんなに傷つけた?

そっと掌で涙の痕をたどる。

「……っ…………」

小さく、の唇が動いて。
それと同時に、またポロリと涙が流れた。

『景吾』

確かに、唇はそう動いた。
アイツの涙を唇ですくってやり、瞼にキスを落とす。

「…………、俺がお前を離すわけが、ねぇだろ?」

赤くなっている手をとって、その甲にキスをする。

「……お前と俺を阻むもの、俺がすべて排除してやる」

バサリとあいつの体に上着を掛けて。
ゆっくりと抱き上げた体は、上背があるにしては、重くない。
日ごろの運動量を考えれば、当たり前だ。
は、いつでも頑張っていた。
どんなときも、笑って頑張っていた。
…………そのが、こんなにも悲しんだ。自分で自分を傷つけずにはいられないほどに。

部屋を出て、待っているSPにを託す。
痛々しい手には、俺のハンカチを巻いておいた。

「……を跡部家に。…………俺は遠藤へ向かう」

全てを、終わらせるために。


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