玄関のドアに、鍵がかかっとんのを確認した俺は、複雑な心境になった。 ……考えてみれば、すぐに思いつく。平日のこの時間、家に誰もおらんことくらい。 ―――俺も、相当いっぱいいっぱいやな。 ま、家に誰もおらんっちゅーのは、ちゃんを連れてきた説明なんかをせんでえぇってことでもある。 誰にも干渉されることはない。 せやけど。 何も邪魔がないからこそ……何かを壊すキッカケになるかもしれん。 Act.21 悲しみを忘れさせる、騒々しさ 鍵を回して、ゆっくりとドアを開ける。 玄関をざっと見回して、おかんや姉貴がいつも履いとる靴が見当たらんのを見て、改めてその事実を確認し―――ゆっくりと息を吐いた。 遠慮がちにドアの外から、こちらをのぞきこんでいるちゃんに振り返る。 「どーぞ、入ったって。……どーやら誰もおらんみたいやし、気楽にしぃ」 「え、あ……えーと……おじゃま、しまーす」 靴をきちんと揃えたちゃんは、ほんの少し辺りを見回しながら、先に入った俺についてくる。 リビングに通すか、俺の部屋に通すか、一瞬迷って―――。 「……こっちや。今なんか冷たいもん出すから、ちょお待っとってな」 結局、リビングに通した。 ……俺の部屋に通したら、理性とかそーゆーもんがぶっ飛んだときにどーしようもない。 頭の中を飛び交う、様々な情報(据え膳食わぬは〜とか、そらもう色々飛び交ってん)を消去するためにも、何か行動をしていようと思った。 「手伝うよ」 ……ちゃんが側に来る。本末転倒もえぇとこや。 「えぇって。お客さん働かせるわけにいかんて。そこ座っとき」 ソファを指し示すと、ちゃんが少し微笑んだ。 「……ありがと」 「……えぇって。ほら、化学わからん姫さんは、ノート開いて待っとってや」 「……お世話になります、忍足先生」 「しゃーないからな、ビシバシ見たるわ」 ちゃんの顔が、うっ、と少し曇ったのを見て。 俺は小さな笑い声を上げた。 「……せやから、こっちの化学式がこーなって」 「え、ちょ、ちょっと待った。この物質はどっから現れたの?」 「ここで反応起こっとるやろ?その生成物がこれ」 「……あ、あぁ!なるほど〜」 ちゃんの顔が、理解した!というのを全身で表すように、めちゃくちゃ明るくなった。 その眩しさに、少し目を細める。 「……ホンマ、大丈夫かいな……中間で、絶対でるで、ここ」 眩しさを誤魔化しながら、そう話す。 「うっ……肝に命じつつ、脳内に刻み込んでおきます」 「後者優先で頼むで」 うん、と頷いたちゃんは、ふとその視線を一点で止める。 「侑士、あれ、家族写真?」 視線の先にある、やたらゴテゴテと花の飾りがついている写真立て―――そこには、俺が中学に入学した時に取った写真が飾られとる。 〜〜〜しまえ、って散々言うてるのに、おかんのヤツ、まだ出しとったな……! 「いや、あれは……ちゃうねんっ……」 「うーわー、見ていい!?」 「人の話を聞……ちょお待ち!ちょお待ち!!」 ソファから勢いよく立ち上がって、写真に近寄るちゃんのスピードは……半端やなかった。 なしてそない早いねん! 「あー、侑士眼鏡かけてないー」 しっかり見られとる写真。 ……過去のモンだとはいえ、恥ずいもんは恥ずい。 「ちゃん、ソイツをこっちに寄こしぃや……」 「もーちょっと……あはは、やっぱり今と比べると幼いねぇ」 「……ちゃ〜〜ん???」 パシ、と写真立てを持っとる手を掴んだ。 俺としては、ただ単にその手から写真立てを取るだけのつもりやったんやけど。 …………掴んだその手が、予想以上に細く、ふわふわしとって。 柄にもなく、頭の中が真っ白になってしもた。 「ごめんごめん、侑士。もう返すから」 俺の心中をまったく知らんちゃんは、腕を振りほどくこともせず、写真立てをその場に戻す。 ん?と見上げてきたちゃんの目を見た俺は、今度こそ理性に別れの挨拶を告げた。 掴んだ手をそのまま引きよせ、顔を近づ――― 「ちゃ―――「ただいまー。ゆー?帰っとるんー?」 ……けることなく、動きを止めた。 「ゆー、おかん、喉渇いたわー。冷えた麦茶、出し…………あら?」 騒々しく姿を現した人間が、ちゃんを見て、動きを止める。 ちゃんは、ぽかん、としてドアの方向を見つめとった。 ……俺は、手で顔を覆いたい心境やった。 「まぁまぁまぁまぁ」 ズカズカ、と近寄ってくる人物。 ちゃんと俺の目の前に寄ってくると、俺がちゃんの手を掴んだままなのをじぃっと見つめて―――上品とはおよそ正反対の笑みを、俺に向けた。 「侑士……ちゃんとキメるとこはキメなあかんで」 「なんの話やねん、おかん!!!」 言葉の勢いに紛らわせて、手を離す。 その勢いでか、ぽかん、と見ていたちゃんが、現実世界に戻ってきよった。 「お、おおおお母さん!?」 俺は今度こそ、顔を覆った。 「改めましてこんにちは、忍足侑士の母です」 先ほどの笑みとはまったく違う、いわゆる『猫かぶり』っちゅーもんを堂々と見せるおかん。 ちゃんが深々と頭を下げた。 「はじめまして。テニス部マネージャーのです。いつも侑士くんにはお世話になってます」 「あぁ、あなたがさん―――侑士からいつも話は聞いとるわ」 やたら上品ぶっとるおかんに、俺の背筋をゾワゾワしたもんが這い上がる。 知ってか知らずか―――おかんはうんうん、と何度も腕組みをして頷く。俺のことはお構いナシで。 「そっかそっか、あなたがさん……」 キラッ……とおかんの目が……光った、気がした。 「、ちゃんかー!!やーやー、話は聞いとるでー!やー、想像以上にかわえぇやんー!」 「え?あ?えええ?」 「おかん!余計なことは言わんといてぇな!」 「あー、うっさいねん、ゆーは。やー、やっぱ背ェ高いなー。何センチあるん?テニス部マネ、1人でこなしてたんやて?まったく、この子ら見てるの大変やったやろ?マネージャーが1番大変やもんなー、他人の世話なんてなー。あ、麦茶のおかわりえぇ?そういえば、おばちゃんさっき大福買ってきたん。一緒に食べよ。な?あ、夕飯も食べてかんか?たいしたもんは出来へんけど、おばちゃん、料理はちょっと自信あるんやでー」 「…………おかん、ちゃんの目が真ん丸やで」 おかんの弾丸トークに、ちゃんは目を真ん丸に開いて―――それでもなんとか聞き取ろうとしとった。 「あ、堪忍な。おばちゃん、話すことぎょうさんあると、ついつい一気にしゃべってしまうんや」 「いえ、大丈夫です!」 ぶんぶん、と両手を振るちゃんに、おかんの顔がふと緩んだ。 俺に一瞬視線を向けてくる。 『えぇ子やないの』 『当たり前やろ』 おかんの視線を受け止めて、同じく視線で返す。 「えと……あの……その、お留守中にお邪魔してすみません」 「あー、えぇってえぇってそんなん。気軽に遊びきたってやー」 パタパタ、とまさしく『オバハン』な雰囲気満載で、おかんが手を振る。 「どうや?うちのゆーは。この子な、最近はちゃんの話ばっかやねん。今まではな、学校の話とかあんませんかったのになー……」 ほうっておいたら、あることないことちゃんに全部言いそうなおかんに、俺はここ最近で1番焦った。 「おかん!余計な話は……!」 「ゆー。携帯なっとるでー」 「そない見え透いた嘘ついて……」 「侑士、ホントホント。バイブ鳴ってるよ」 おかんのタイミングいい切り替えしに、てっきり嘘やと思っとった俺やけど。 注意深く聞いてみると、確かに携帯がなっとった。 「〜〜〜おかん、余計なこと言わんときや!」 ニヤーッ、と嫌な笑い方をするおかんにもう1度釘を刺してから、俺は携帯を取りに、投げ出したままのカバンに近寄った。 「…………っくそ、誰やねん……」 腹立ち紛れに、乱暴にカバンの中を探る。 振動している携帯を開いて―――。 画面を、見つめる。 「………………」 「………………ゆー?どないしたん」 「…………いや。電話やし、ちょお出て来るわ。……おかん、余計なこと言うたらあかんで」 リビングのドアを閉めて廊下に出る。 『跡部』 画面に表示された、発信相手をじっと見てから。 ようやく俺は、通話ボタンを、押した。 NEXT |