思う存分泣いたら少しスッキリした。 何も言わずに側にいてくれた侑士に、ごめん、と謝れば。 ぽん、と頭に手をのせられる感覚。 見上げると侑士は微かな笑みを浮かべて、 「えぇって」 ただ一言、そう言ってくれた。 Act.20 笑顔の裏の、冷たい怒り もう授業に出る気なんて、失せてしまった。 どんな顔をして景吾に会えばいいのかわからなかったから。 何を聞けばいいのか。 どこから聞けばいいのか。 まだ頭の中の大部分は混乱していて、会ってどうすればいいかわからない。 もちろん景吾を信じてる。 だけど、今日はずっと噂のことで気を張り続けて、疲れ果てていた。 もうちょっと、景吾がいないところで休みたい―――。 景吾ときちんと会って話せるまでは、少しだけ、時間が必要だった。 「……ちゃん。今日はもう帰るか?俺、先生に言うておくで」 「……ありがと。…………でも……」 家に帰っても、きっと疲れてしまう。 屋敷は景吾の気配が強すぎる。 ……なるべくなら、屋敷には戻りたくない。 でも、跡部家以外の行き場を、私は持っていなかった。 あのマンションの鍵は、今、景吾が持ってるし。 ……どこにも、行く場所がない。 それだったら、このまま屋上にい続けた方がマシかもしれない。 ……少なくとも、今よりは落ち着いて、家に帰れるだろうし。 うつむいた私を、侑士は黙って見ていた。 しばらく沈黙が続き―――やがて、何かひらめいたように、侑士が口を開いた。 「……そしたら、俺ん家来んか?」 「…………へ?」 「前から言うとったやろ。こんな機会であれやけど」 「でも……」 「えーからおいで。今跡部ん家戻っても、もっと疲れるだけやろ」 少しの間、考える。 どうしよう……と考えているのを、侑士は辛抱強く待ってくれた。 「…………迷惑かけて、ごめん。……お邪魔しても、いい?」 頭の中でよく考えてからそう呟くと、侑士がニッコリ笑って言ってくれた。 「大歓迎や」 跡部と顔をあわせづらい、というちゃんは、1人屋上に残った。 まだ赤い目を必死に隠そうとして、微かな笑みを浮かべる。 無理してるのがアリアリ見えて、見てるこっちがしんどかった。 「……跡部にはうまく言うとくから、安心し」 そう言うて昼休みの終わりを告げる予鈴と共に、教室へ戻った。 教室には跡部がおった。 ……さっき、体操部の部長と来たのは、俺も見とったから知ってる。 何もなかったかのように俺が席に着けば、不機嫌そうな声音で聞いてきた。 「……おい、はどうした」 ……さっきまでちゃんほったらかしでおったのに、よー言うわ。 授業中、何度も何度も、メールはないか、着信はないか、と携帯をいじっていたちゃん。その姿を見ていた俺に、やり場のない怒りがこみ上げてきた。 それでも、心の中の暗い感情をうまく隠して空とぼける。 「あぁ、さっきちょお気分悪いからって保健室行ったで」 「なっ……大丈夫なのかっ?」 「ちょお疲れとっただけやから、大丈夫やろ。…………で?跡部は今日重役出勤やな。どないしたん?」 さりげなく。 あたかもついでのように遅れた理由を聞いた俺に、跡部の眉間の皺が濃くなった。 「……ちょっとな」 「……へぇ」 歯切れの悪い物言いに、気付かれないほどやろうけど、自分で少し目が細くなったのを自覚する。 「……それは、今日のこの噂とどう関係があるん?」 ピク、と跡部の肩が動いた。 「忍足……」 「今日は朝からその噂で持ちきりや。目撃者がぎょーさんおったようやし……ホンマのとこ、どーなん?」 「詳しい説明は後でするが―――」 そこで小さくため息をつき……跡部は、俺を睨みつけるようにして言い放った。 「誤解だ。断言できる」 「……さよか」 …………コイツが、ちゃん以外の女の子を特別に思うことなんてない……そないなこと、俺がようわかっとる。 せやけど。 ……誤解だろうとなんだろうと、跡部がちゃんを『泣かせた』のは紛れもない事実や。 どんな説明があろうと、どんな理由があろうと。 ―――俺は、到底許せんかった。 ちゃんにあないな顔させて、『誤解なんか、そーか』とすぐに許せるほど、俺の心は広くない。 理由があるならあるで、ちゃんと説明せずに不安がらせた跡部に……ただ、怒りを覚えていた。 「……、噂のことでなんかあったのか?」 そして、無駄なところには勘がいい跡部にも、異様に腹が立った。 せやから、ニッコリ笑顔でこう言うてやる。 「ちゃんは平気やって。ホンマに運動会とかの準備の疲れで体調悪かってん」 「…………そうか。家帰ったら、十分休ませてやらねぇとな」 「あぁ……せやな。……っと本鈴か」 キーンコーンカーンコーン、と鳴り出した鐘。 俺は握り締めていた拳を、そっと解いた。 「ちゃんのことなら平気やって、俺の方から、はよ帰るように言うとくから。まずは跡部、周りの誤解を解いとき」 「……なんだ忍足。気持ち悪いぜ」 「……とことん失敬なやっちゃな。俺はちゃんのことを思て言うてるんや。こないな噂がずっと続いても、ちゃんが嫌な思いするだけやろ、アホ」 「……ちっ。いちいち騒ぎ立てやがって……誤解も甚だしいっつーのに」 「……それはまた、後で聞くことにするわ。……ほなな」 自分のカバンとちゃんのカバンを持ち、ヒラヒラと手を振って教室を出る。下駄箱とは反対方向の屋上に、足早に向かった。 ガチャ、と扉を開ければ、座っていたちゃんがこちらを向いた。 ……少し、目が赤い。また、泣いていたんやろうか。 「侑士」 「待たせてごめんな」 「へーきへーき。HRなんか言ってた?」 泣いとったことを悟られないように、いつもどおりに振舞おうとするちゃんが痛々しい。 ……せやけど、俺に出来ることなんてもんは、限られとって。 ただ、泣いていたのを気付かないフリをするのが、今の俺に出来る『精一杯』ってヤツやった。 ちゃんが立ち上がって、俺の隣に立つのを待ってから、歩き出した。 「……いーや、特には……あ、嘘。今週中に化学のノート提出しろって、言っとったな」 「う。……忘れてた」 「ほな、うち帰ってそれやろか。特別に俺が教えたるわ」 「……恐れ入ります、忍足先生。……でも、ホントに突然お邪魔して大丈夫?」 恐る恐る、ちゃんが俺を見てくる。 ドアノブに手をかけた俺は、一瞬動きを止めて思考した。 「全然かまへんて。なんもおかまい出来ないやろうけど」 「そんな。……忍足先生に化学を教えていただくだけで、至極光栄でございますとも」 「よっしゃ、みっちり教えたる。覚悟しぃ」 「うぐ……ほどほどに?」 軽く笑いを含んだ会話をしながら、俺たちは階段を降りていく。 廊下に至ったところで、ちゃんが少し緊張した面持ちで辺りを見回した。……跡部とかち合わないか、確認したのだろう。 廊下にアイツの姿がないとわかると、少しほっとしたような―――切ないような、表情を見せたちゃん。 俺は、その表情の変化すら気付かんかったフリをして。 「―――コンビニで菓子でも買おて帰ろか」 何気なく、そう言うことしか出来ん自分が、歯がゆかった。 NEXT |