そしてやってきた木曜日。

いつものように、ドリンクを設置していたら、ざわり、と部員達がざわめいた。
顔を上げて、ざわめきの意味を確認する。

「…………あ」

亮が、いつものようにラケットを指で立てながら、コートに入ってきた。原因は、これだろう。

「……宍戸先輩、久しぶりだな……」

「なんであんな傷だらけなんだよ……?」

小さい囁き声が、ぽつりぽつりと聞こえる。
それを全く気にもせず、亮はマイペースにラケットを指で操りながら……準レギュたちの方へ。

レギュラーから外され、今は準レギュラーの位置にいることになるからだ。

途中で、ぱちっと亮と目が合った。
少しだけ口の端を上げて、笑ってくる亮。……どうやら、亮なりの『テニス』を掴んだみたいだ。
私も、少し微笑み返した。

「……集合!これから、部内で練習試合を行う。平部員は平部員同士……準レギュラー以上は、混在で練習試合だ。これから、組み合わせを発表する。……

景吾が私の方を振り返る。
私は、ポケットから折りたたんだ紙を取り出して、景吾に渡した。組み合わせ表だ。昨日、景吾とあみだくじで決めたヤツ。
カサカサ、と景吾が紙を開く。

「名前を呼ばれた者から、コートに入れ。……まず、Aコートで、樺地対小川。Bコートでは、日吉対樫和。Cコートでは滝対……宍戸だ。その3組は、コートに入れ。それ以外は、試合の邪魔をしないように、各自アップしておけ。以上だ」

話が終わると共に、また辺りがざわめく。
ここ最近、ずっと無断欠席していた亮が、いきなり練習試合のオーダーを組まれていたことへの、ざわめきだろう。……普段なら、無断欠席者には、ラケットすら持たせないところだから。

、各試合のスコアは1年にやらせるから、お前はそれをまとめてくれ」

「了解。じゃ、スコアシート1年生に渡してくるね」

大量にコピーした、スコアシートを1年生に渡して、簡単な説明をする。
その間に第1試合の人たちは、アップをして―――ちょうど、こちらの説明が終わる頃に、景吾が試合開始を告げた。

スコアをまとめるだけなので、第1試合では、私の仕事はない。
次の試合に備える部員のテーピングをしながら、亮と滝くんの試合を見ることにした。

滝くんは、小柄だから、パワー系のプレイヤーというよりは、素早さとコントロールで、相手のミスを誘うタイプ。亮と同じような、カウンターパンチャーだ。
だからこそ、亮にとっては戦いにくい相手。
ライジングによる早い攻めで敵のリズムを崩して、自分のペースに持ち込む亮。滝くんはミスの少ないプレイヤーだし、スピードもあるから、亮にとっては崩しにくい相手だと言えるだろう。

滝くんのサーブがパンッと高い音を立てて、入った。
小柄な体をめいっぱい使って、パワーはそれほどでもないけど……スピードはかなり速い。

だけど。

……スカッドサーブの持ち主、チョタのサーブを2週間受け続けてきた亮には、止まってるように見えるはず。
ザッと亮が走る。
ここからが、亮の真骨頂。

「……うらぁっ!」

亮があっという間にボールを相手コートに返す。

――――――速いっ!

滝くんが、返ってきたボールに飛びついて、中々鋭いスライス回転のバックハンドで返す。
だけど、亮は滝くんが打った瞬間、瞬時に返ってくるボールのコースを判断して、そちらに走りこみ、完璧な体勢でライジングを放っていた。
ライジングはただでさえ攻撃のテンポを早めるのに、走りこむ速度を増すことによって、さらにテンポをアップさせた。これは、シングルス戦だったら、追いつくだけで精一杯だろう。

「……くっ…………」

事実、滝くんも、ベースラインを左右に動かせられるだけだ。ボールに触れるのが精一杯。
反対に、亮は生き生きとコート上を駆けている。ライジングで怯ませ、緩く上がったロブにも素晴らしい反応で走りこみ、スマッシュを叩き込む。

反応速度を速めても、それを行うダッシュ力がなければ意味がない。ずっとそのダッシュ力を維持するためには、体力や瞬発力がいる。
だけどそれは、今まで日々培ってきた亮の努力が、実となってその維持を可能にしていた。

「どらぁっ!」

今もまた、亮のライジングがビシッとショートクロスに決まる。あんな鋭角に打たれたショットなんて、シングルス戦じゃ取れないだろう。
反応速度を速めたから、今まで出来なかったコースの選択も出来るようになった。

―――亮の、独壇場だった。

「ゲ、ゲームセット……ウォンバイ宍戸。ゲームカウント、1−6……」

審判役だった平部員の子が、小さく呟いた。
今まで、滝くん対亮の試合は、どれだけあっただろう?
そして、その中で、3ゲーム以上差がついたゲームは……あっただろうか?

「す、凄ぇぞ、宍戸先輩!」

「何であんなに傷だらけなんだ!?」

ざわざわと部員が騒ぎ出す。
亮がコートから出てくるのを見て、私は救急箱を抱えて亮の方へ行こうとした。
……だって、亮ってば、あれほど言ったにも関わらず、怪我の手当てをしてないんだもん……!

走り出そうとしたときに、観客席から―――ビクリと体が竦むような声。

「何の騒ぎだ!」

太郎ちゃんが、1番上に立って、コートを見下ろしていた。
部員達1人1人に視線を向け―――コートで膝をついている滝くんで、視線が止まる。
しばらくじっと滝くんを見ていた太郎ちゃんは、バサリと上着を脱いだ。

「……滝はレギュラーから外せ!代わりに、準レギュラーの日吉が入る!―――以上だ、それでは練習を再開しろ」

そう言うなり、また太郎ちゃんは立ち去って行く。
それを呆然と見送る亮。

「監督、どうして日吉を……なぜ俺じゃない!奴を倒したのは俺だ!」

「宍戸さんは、あれから2週間想像を絶するような特訓をしてたんですよ!」

チョタが、景吾に訴える。
監督である太郎ちゃんに直接言えるのは……景吾くらいだからだろう。

「……バーカ、だったら俺に言うな。……お前らがやってきたこと、直接監督に行って来いよ」

その言葉を聞いて、亮がまず走りだした。それに続くチョタ。
あっという間にコートから立ち去る2人。

私も、ハッと我に返って、救急箱を持ったまま走り出した。

「おい、!?」

景吾の声がするけれど、あの2人を放っておけない。
一生懸命走って、ようやく追いついたとき、亮は太郎ちゃんに向かって、土下座をしていた。

―――土下座をしてまでも、試合に出たい、レギュラーになりたい、という亮の気持ちが、痛いほど伝わってくる。それを熱望するだけの努力を、亮はしてきた。

「監督……!」

ちらり、と太郎ちゃんが私の方を見る。
そして、ゆるく頭を振った。……関わるな、そう言っているように見える。

それを見た亮が、土下座をしたまま、小さく何かを呟いた。

「……、救急箱、貸せ」

「えっ?」

「いいから!」

亮が私の手から救急箱を奪い取り、中からハサミを取り出した。
そして、おもむろに自分の髪の毛にハサミを入れると―――ザクリ、と音を立てて髪の毛に切りこみを入れる。

ファサ……と長い髪が、地面に一束落ちていった。

「……っ、亮!」

「宍戸さんっ、一体何を!?自慢の髪だったじゃないっスか!!」

チョタの声にも答えることなく、亮はただ無言でハサミを動かす。
チョキ、チョキ……ッと、あっという間に、長かった亮の髪は、地面に落ちていった。

じっとその様子を見つめる太郎ちゃん。

長かった髪は、すでに全て地面へ。
短髪になった亮は、監督を見据えて、再度土下座しようとしていた。

――――――ダメだ、もう黙ってられない。

もう1度私が口を開きかけたとき―――背後から、足音が聞こえた。

「監督」

バッ、と振り返ったら……やってきたのは、景吾。

「そこに居る奴は、まだ負けていない。…………自分からも、お願いします」

景吾の言葉に、私も慌ててペコリと頭を下げた。

「わ、私からも、お願いします……っ!亮は、もっと、強くなれます……ッ!」

――――――しばらくの、沈黙。
誰も、何も言わない。

長い長い、静寂だった。

「………………勝手にしろ」

しばらくして、聞こえてきたのは、先ほどより少し柔らかい声。
沈黙を破ったのは、太郎ちゃんの『許可』の声だった。

私はバッと顔を上げた。
太郎ちゃんが目を少し細めて視線を返してきて、くるりと方向転換する。
景吾と一緒に、もう1度太郎ちゃんに頭を下げた。

太郎ちゃんが消えて行くのを見て、景吾が小さくため息をつき、亮たちに向き直る。

「…………ったく、お前らに感謝しろよ?……の期待を裏切りやがったら、今度は俺様がお前らをレギュラー落ちさせるからな」

景吾の言葉に、地面に座り込んだままの亮が、小さく頷く。

「…………わかってる。……ありがとよ、

「ち、違っ!私のおかげじゃなくって、亮たちが頑張ったからでしょっ」

亮の努力が、『負けた人間は2度と使わない』という方針の太郎ちゃんの決定を、覆させた。
それに……これは、亮だけじゃない。チョタも一緒になって頑張ったからこその、結果だ。

2人が本当に協力し合って、助け合ったからの、結果。

努力は―――人を裏切らない。

私は、堪えきれずにガバッ、と亮に抱きついた。

「お、おい、!?」

「よかった、よかったねぇ〜!!!レギュラー復帰だ……!」

「わ、わかった……わかったから、離せ……跡部のヤロウが睨んでる……!」

亮の切羽詰った声に、私はハッとして後ろを振り返る。
……つ、つい勢いに任せて、亮に抱きついてしまったよ……イヤ、決して髪の毛が本当になくなったとかを、確認したかったわけではないよ……!?ちょっと切られたばっかりの髪の毛を間近で見たいな、とか思ったわけでは……!(だんだん墓穴を掘ってる)

「……、お前、俺様には滅多に抱きつかないくせに、宍戸には抱きつくってのは、どーゆーことだ?」

「へっ!?イヤ、あの、これは勢いっていうか、ほら、あのさー……えーっと」

「…………後で、よーっく話し合う必要がありそうだな」

ニヤリ、と景吾があの笑顔を浮かべる。
…………ヒィィ、私の衝動的な性格、なんとかした方がいいよね……!

「……、あのよ……こんなこと頼むのもなんなんだが」

「はい?」

景吾の目に射抜かれて(決して過剰表現じゃない)、固まっていた私は、亮の声にようやく金縛りから解放されて、振り返った。

「…………髪、整えてくれねぇか?……勢いで切ったはいいが……さすがにこれで帰ったら、親がひっくり返る」

……………………………………確かに。

亮は無造作に髪の毛切ってたから、長さがマチマチだ。

「……う、うまく切れるかわかんないけど……」

「構わねぇよ、とりあえず整えてくれるだけで。帰ったら、すぐ床屋行くし」

「……わ、わかった……」

ちらり、と景吾を振り返る。
景吾がはぁ、と小さく息をついて、目を1度伏せた。

「…………ま、スコアまとめるだけだし……なるべく早めに戻って来いよ」

「うん、わかった。……じゃ、亮……えーっと、どこで切ろうか」

「ここでいいぜ?……どーせ、この髪の毛も片付けなきゃいけねぇし」

この髪の毛……地面に散らばった髪の毛のコトだ。
……うん、そうだね。片付けないと、軽く氷帝の怪談が出来そうだね。放課後に髪の毛を切られた亡霊うんぬんって話とかね……。

先に戻る、と景吾とチョタがコートに戻っていった。
残された私と亮は……どうしたものかと考えて、とりあえず亮に座ってもらうことにする。

「えーっと……じゃ、切らせていただきます」

あの、素晴らしき亮の髪の毛にハサミを入れるわけですから、一応断りを入れておいて。
亮の髪の毛にハサミを差し込む。

……うわぁぁぁ、どうしよう、すっごい不安なんだけど……!
髪切るなんて、自分の前髪くらいしかないし……!

………………と、とりあえずはそろえるくらいでいいよね……!?

チョキ、チョキ、とハサミを進めていく。
切れきらなかった、まだ長い部分の髪の毛を切ったりとか、不ぞろいだった長さを少し整えて―――。
………………な、なんとか、見れるようには、なったか……?(汗)

私は、救急箱の中から鏡(コンタクトずれたりした時用に、いつも常備されている)を取り出して、亮に渡した。

「りょ、亮……一応、そろえることにはそろえたんだけど……やっぱり、すぐに床屋さんに行ってね?」

鏡を見ながら、亮が少し笑う。

「上出来。床屋行かなくてもいいな、これなら」

「いやっ!ホント、すぐ床屋さん行ってね!?」

とんでもないことを言い出す亮に、思いっきりツッコミを入れてから、ハサミを救急箱にしまう。
さて……後は、ホウキとちりとりを持ってきて、ここの掃除だな……。
掃除用具が納められている倉庫まで歩いていこうとしたとき、ふと、思い出した。

「…………あ、そうだ。私、都大会の時に借りた帽子、持ったままだった」

「あぁ、あれか……んなら、今日は、それ被って帰るか」

亮が何気なく言った一言。
……………………待てよ。

も、もしかしてこれが、『宍戸亮、帽子への道』に繋がるのか……!?(表現違)

、何やってんだ?行くぞ」

思わず立ち止まってしまったので、先にいった亮に呼ばれる。
待っている亮に、脳内で帽子を被せてみる。

――――――想像中、しばらくお待ちください――――――

亮はやっぱり、帽子のつばを後ろにする方がいい!
まっすぐ被ったら、どこかの皇帝さんと同じになる……いや、それも捨てがたいけど……やっぱり、亮といったら、逆さま被り……!

?」

「あわわ、い、今行きます!」

亮のところまで、少し走る。

亮が軽く笑う。

何か、吹っ切れたような目。以前よりも、強く逞しくなった気がする。

宍戸亮、ここにレギュラー復帰です!




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