練習試合の時と、同じだった。

相手にいいショットを決められる、というよりは、自分のミスでポイントを落としていく。

4−0。

真田くんの圧倒的な力の前に、景吾はただ、ポイントを奪われていた。






「……このぐらいの変化では、真田を倒すことは出来ん、ということか」

柳くんが、コート上にいる景吾を見ながら、呟いた。
景吾は汗だくの上、肩で息をついている。ただでさえ長い道のりを走ってきたのに……『山』で体力を削られている。その疲労度は半端じゃない。

「立海大!立海大!立海大!」

コートをぐるりと取り囲んでいる、立海部員の声が一段と大きくなる。
騒ぎを聞きつけたのか、一般の生徒たちの姿も、ちらほらと見え始めてきた。

「…………ちゃん?君も来てたのか」

今日は完璧『敵地』であるという、その雰囲気に飲み込まれていた時。
後方からかけられた声は―――穏やかだけど、この中で1番力を持っているだろう人物のものだった。

「幸村。……24分50秒の遅れだ」

「先生に呼ばれて、話をしていたんだよ、柳。……しかし……俺がいない間に、なんだか、凄いことになってるじゃないか」

やわらかく微笑んだ幸村くん……の後ろに、なにやら冷たい雪が見える……!……今は夏!!!(言い聞かせる)
幸村くんのスマイルに、色んな意味でフリーズしていると、当の本人がくるっとこっちを向いたので、思わず過剰反応。

「やぁ、ちゃん。久しぶりだね」

「ひ、久しぶり……!」

「氷帝の生徒が来てるって言うから、跡部だとは思ってたけど……まさか、ちゃんも一緒だとは思わなかったよ。嬉しい誤算だな」

ニコ、と笑った幸村くんの笑顔は、今度はこっちが赤くなる類のものだった。
でも、すぐにその表情が引き締まったので、私も表情筋に渇を入れて、ニヤけそうになるのを踏みとどまる。
幸村くんが、柳くんの方に顔を向けた。

「…………跡部は、真田とやってるのか」

「あぁ。だけど、今のところは4−0で一方的な試合だぜ」

「疲労も極限みたいじゃのう。『山』で大分削られとる」

「真田の技の完璧度、そしてそれによる、跡部の疲労具合からして……跡部の『勝利』はほぼ費えた」

みんなの言葉を聞いていた幸村くん。
だけど、何を思ったのか。突然、1歩前に踏み出した。

「……幸村くん?」

ちゃん……跡部はずいぶん疲れてるね」

「う、うん……まぁ……トレーニングした後、ここまで40分以上、走り続けてきたから」

マジかよ!?と立海メンバーが驚愕の声を漏らした。
……そりゃそうだろう。40分以上も走り続けてきた人間が、体力満タンの人間と試合をして、すぐに潰されなかったのだから。

「……つまり、今の彼の肉体は限界に近い。人はその限界を乗り越えると―――」

幸村くんの発言の途中で、ハッ、としてみんなの視線が、コートに向いた。
それに釣られるようにして、私もコートに目を向けると。

バシッ……。

ちょうど、景吾の放ったショットが、真田くんのコートに突き刺さるのが、見えた。
真田くんは、ラケットを構えもせずに、ただそのボールの行方を目で追っていた。

いや―――構えることが出来なかったんだ。ラケットを。

鋭いボールが打ち込まれる時間は、それこそ1秒2秒でしかない。その短い時間でボールに反応出来るのは、ある程度来る場所を『予測』しているからだ。
つまり、テニスの試合では、次にどこを打たれるか、ある程度の場所を『予測』してから動くのが常となる。
だけど、もしその『予測』にない場所に打ち込まれたら。もしくは―――人間なら誰しもが持つ盲点……『死角』に打ち込まれたら。ラケットをフォアにするかバックにするか、それを決めることすら出来ないだろう。

「…………跡部のヤツ……」

眼力[インサイト]』は応用がたくさんあるけど、今まで景吾が主に使ってきたのは、相手の弱いコースなどを読み、じわじわとミスを誘うもの。持久戦に持ち込んでから、じっくりと倒すという感じでは、真田くんの『山』に似ている。だけどそれはただ―――相手に『敗北』ということを、ゆっくりと知らしめるために、景吾が好んでこの戦い方をしていたにすぎない。事実、箕輪台との試合の時、景吾はその『眼力』を違う風に活用して、わずか15分以内で試合を決めてしまったことだってある。
そして今。景吾が使っている『眼力』は、それらを1つ2つ軽く乗り越えたもの。相手の死角にドンドンと打ち込んでいく、超攻撃型のテニスだ。

今までの景吾のプレイとは、明らかに違った。

「…………人間が何か新しいものを習得するには、極限の状態を乗り越えなければならない。乗り越えてこそ、新しい境地に達することが出来るからだ」

幸村くんは、誰に言うわけでもなく―――いや、この場にいる全員に言っているのかもしれない―――遠い地点を見つめてそう呟いた。

……しばらくの間、沈黙が辺りを包んだけど、幸村くんが小さくため息をついたことで、それは解消された。

「ふぅ…………どうやら真田は、跡部に新たな境地を開かせてしまったようだな」

「あの、真田が……反応すら出来ないとは……!」

見ている間に、もう1度景吾がショットを放つ。
……外から見てる分には、通常より力強いことを抜かせば、なんの変哲もないショットに見える。それでも、やはり真田くんは、地面に縫いとめられたように、1歩も動かなかった。

「…………ふっ……跡部もまだ上に行くな……また、面白いことになりそうだ」

「え?」

それってどういう意味、と聞こうと思ったときにはすでに、先ほど1歩動いたところで止まっていた幸村くんが、再び歩き出していた。
試合を続けようとしているコートに歩み寄り―――その、絶対的な権限を示す声音で、試合を止めた。
ほんの少し、幸村くん、真田くんとしゃべっていた景吾が、不意にこちらを見て口を開いた。

「……、帰るぞ」

「えっ、あっ、うんっ!」

「アンタは帰っていいけど、先輩は置いてって、全然かまわないッスよ」

赤也の問題発言(私なんか置き土産にしても、なにもいいことありませんよ……!)に、景吾がギロリと視線を向ける。
ビクッ、と赤也が震えるのがわかった。……うん、気持ちはよくわかる。怖いね……。

景吾が目線で促すので、私も頷いた。

「じゃ、みんな……」

「あぁ。気をつけろぃ!」

「また遊びにきんしゃい」

「いつでも大歓迎ですよ」

いきなり乗り込んできたのに、やさしいみんなには感謝の言葉しか出てこない。

「……ありがとう」

。……また来るといい」

コートの中から聞こえた呼び声に振り向けば、真田くんと幸村くんがこちらを見ていた。
幸村くんが、ニコ、とまた柔らかな笑みを浮かべてくれる。

ちゃん、また会えるのを、楽しみにしているよ」

幸村くんの言葉に、コクン、と1つ頷き。
景吾の方を向く。

景吾は1度真田くん、幸村くんと視線を合わせる。
そして、私の腕を引っ張った。

「……行くぞ」

「うん。……ラケットラケット……と」

すぐ側に落ちてたラケットバッグを拾って、景吾の持ってるラケットを回収。
するとすぐに、景吾が走り出した。
慌てて私も追いかける。……後方にいる、立海のみんなに、手を振りながら。

景吾はそのまま容赦なく走り続けるので、必死になって追いかけた。

校舎脇に止めてあった自転車にたどりつき、それに乗り込む間こそ、待っていてくれたけれど―――私が自転車に乗ったとたん、さらに加速した。
それは、立海を出てからもスピードが落ちなくて。

こちらの息が切れてきたころになって、我慢出来なくなって、聞いた。

「……まさか、また走って帰る気ー!?」

「あたりめーだ。まだ動きたんねーからな」

「ウッソォォオ!?どんだけ体力つける気よ……!」

青学のマムシさんに対抗しちゃう気ですか!
っていうか、コンクリートを走り続けるのは足に悪いのよ!無駄に足に疲労が溜まるのよ!?

「……第一、常に死角に打ち続けるためには、正確なショット力―――それを維持し続けるだけの体力が必要不可欠だ」

「あー……確かに……って、それにしたって、頑張りすぎやしませんか……!?」

「あーん?……ボールも打ち足らねぇな。うちの学校寄ってくか」

「ちょ、ちょちょちょ〜〜〜!?」

さくっ、と進路変更した景吾を、慌てて呼び止める。

「せ、せめて1回ジムに戻って、車で行こ……!?自転車も返さなきゃだし!」

っていうか、氷帝まで行ったら、私が死ぬ!自転車だって結構な体力使うのよ……!?
必死の声だったからか、それとも最初からからかう気だったのか。

あっさりと景吾は方向転換をして、意地悪な笑みを浮かべる。

「……しょーがねぇ、お前の頼みじゃ、な。……水分補給もしねぇと。すげぇ汗だぜ」

「…………お互い様ですー」

「クッ……それじゃ、行くぞ」

「……はーい」

もうひと頑張り、と自転車を走らせる。
大分、足に限界は来てたけど。……あぁ、きっと明日は筋肉痛だぁ……(遠い目)

ジムに戻ったときは、すっかりクタクタ。
ザッとシャワーを浴びて、着替えた後、急かす景吾に引きずられるようにして車に乗り込んだ。

だから、気付くくらいの気持ちも余裕もなかったし―――正直に白状しよう、あまりにも疲れすぎてて、色々と吹っ飛んでたんだ。大事なことがあるって、わかってたのに。

そう、気付かなかったんだ。

預けっぱなしだった貴重品を、景吾が引き取ってきて無造作に運転手さんに渡したことも。


その中の携帯に、みんなからの連絡が入っていることも―――




氷帝に、全日本中学生テニス連盟から連絡が来たことも。




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