ずっと考えていたことがあった。 ずっと、気になっていたことがあった。 そして。 ……ずっと、決別しなければならないものがあると、思っていた。 Act.52 歩き続けるための、決断 明日は氷帝学園中等部の入試の日。 そのために、全校生徒が登校禁止となる。 自分の部屋に入るなり、私はバサリ、と机の上に紙を置いた。 今日、学校のパソコンで調べ、プリントした紙。 ……それは、かつて『元の世界』で私が住んでいた場所へ行くために必要なルートを調べたもの。 驚くほど酷似するこの世界。 知っている物もあれば、知らないものも当然のようにあった。 地名なんかは代表的で、私が知っている地名もたくさんあるし、青春台などのように全然聞いたこともない地名だってある。 『自分の居場所がない』という恐怖から、今まではネットでも地図でも、かつて自分が暮らしていた場所を調べようと思わなかった。 けれど、あれからもうすぐ1年。 ……そろそろ、目をそむけていた数々のものに、向き合わなくてはならない。 不安半分―――期待半分。 勇気を出して。 検索サイトに打ち込んだ私のかつての住所。 Enterボタンを押し、そっと目を開くと。 それは確かにこの世界にも、その住所があることを示す『現実』となって現れた。 ―――なんだか泣きそうになった。 震え始めた手を気力で動かして、ルートを調べ、プリント。地図も印刷した。 自分の部屋に帰って、改めてその紙を見ると、色々なモノがこみ上げてくる。 ここからだと移動時間もかかるし、周りも見て回りたい。 ……となると、やはり丸1日はかかるだろう。 明日で、この世界に来て365日目。 新たなスタートを切るために。 ―――私は決断した。 さて、どうやって景吾に言ったものかな―――。 しばらく悩んでいたけれど、それはすぐに解消された。 ハンスに呼ばれて、バレンタインのことについてしばらく話すために部屋から出た。 その後に戻ったら、ちょうど景吾が地図を手に取っているところだった。一瞬、「あ」と気まずい気持ちになったけれど、変にタイミングを伺うよりも、素直にきっかけが出来た。 きゅっ、と唇をかみしめて、景吾に近づく。 「……この地図、見た?」 「……あぁ」 景吾が、ゆっくりと地図を机に置こうとする。 それを制して、私はその地図を広げた。……景吾にも、見てほしかった。 「……ここ」 地図の中の一点をさす。 「ここ、ね。私が元いた世界で、住んでいた場所なんだ」 「…………そうか」 景吾が、一言だけ、呟く。 苦しげな表情。 あぁ……やっぱり景吾に、気を遣わせているなぁ。 すごく申し訳ない気持ちになって、そっと地図を机の上に置いた。 そしてほんの少しの静寂の後―――勇気を出して、口に出した。 「あの、ね……私が来てから、ちょうど1年だし」 一回、小さく呼吸をして。 景吾の目を、見る。少し暗い翳を落とす綺麗な瞳は、逸らされない。 「…………いい機会だから、私が元の世界で住んでいたところを、見てきたいんだ」 「―――そうか」 「……調べてみたら、ちゃんと元の最寄り駅もあるみたいだし」 ……それは私のいた場所ではないかもしれないけれど。 そう思っていたが、言葉には出さなかった。代わりに、ただ、笑った。 景吾が黙って手を伸ばして、包み込んでくれる。 暖かい腕はいつもよりも緩く、いつもと同じで―――優しかった。 「…………1人で、行く気なんだな?」 「……うん。色々見て回ろうかと思ってるし。明日、ちょうど1日休みだから……」 「いい機会だな。……1日ゆっくり、見てこい」 景吾が、綺麗な瞳のまま微笑んだ。 長いようで短く、短いようで長い―――そんなことを思いながら、向こうの世界では飽きるほど乗っていた電車に揺られて、私はかつての最寄り駅にたどり着いた。 最寄り駅は私が記憶していた駅と寸分の狂いさえなかった。 見なれた改札、見なれた切符売り場―――なにもかもが、懐かしい。 クスリと笑いを漏らしながら、体が記憶している通りに『自分の家』への道を辿る。 驚いたことに、ちゃんとそれが辿れた。 私がよく行っていたお店もあったし、何もかもが見たことのある風景。―――どこにも、私の知り合いはいなかったけれど。 ゆっくりと自分の家へ向かう。 早まる鼓動。 早く見たい―――でも。 気持ちとは反対に、歩調は少しずつゆっくりになっていく。 心のどこかで、見たくない、という気持ちも、持っていた。 そして―――。 NEXT |