「ヒィィ……なんてバカなことを始めたんだろう……!」 私は、1人部屋の中でせっせと編み物をしていた。 去年のバレンタインは、大急ぎで作ったヘボトリュフだったから、今年はもっとちゃんとしたものを、と思っていた。 とは言っても、思いついたのはバレンタインデーの1週間前。 色々調べて、時間的に頑張れば、1週間でもマフラーは編めると知ったので、マフラーを編むことにしたのだけれど。 「終わんない終わんない終わんない……ッ」 せっせと編み棒を動かしてるつもりなんだけど……長さが比例しない(泣) 今の段階は、首がやっと1巻きできる程度。 後1日なのに、どうなのよこの仕上がり具合!(泣) 迂闊だった……景吾にバレないように編もう、と思ってたら、全然時間が取れない。 景吾が部屋に来てたりすると当然編めないし、乙女らしく、学校で授業中ってのも無理。隣に侑士がいるし、前には当の本人景吾さん。振り返ってくることも多々あるから、バレバレ。 で、結局。 景吾がお風呂に入ってる時間とか、夜中にコッソリやるとか、学校の休み時間に女子トイレの個室でひたすら編むとか……とにかく、ちょっとの時間しかなくって。 何度も、諦めて手作りチョコだけにしようかな、と思ったんだけど。 「け、毛糸代がもったいない……ッ」 景吾のだから、安い毛糸じゃいかんだろう、と高級な毛糸を買ってしまったのよ、それも、途中で足りなくなったらいけないと思って5玉も! 市販のマフラーが何本も買えるよ!……ってくらいの代金だったから……途中でやめて毛糸を使わないなんて、もったいなさすぎる……ッ!(庶民) うぅぅ、と半べそをかきながらも手を動かす私。 頑張れ〜、頑張れ〜……。 コンコン。 ノックの音にビクッと体が反応する。 慌てて編み棒と毛糸を紙袋に納めて、ものすごい速さでクローゼットの中に隠した。 それと同時に、景吾がドアを開ける。 「風呂、出た」 「りょ、了解。入ってくる〜」 タオルやパジャマなどを引っつかむ。 景吾が当然のように部屋に入ってくる……ということは、きっと私がお風呂から上がった後も、ここに居座る気だろう。 …………うぁぁ、時間が……ッ、時間がないぃぃぃ〜〜〜!! いっそのこと、お風呂に編み棒持ち込んでやろうかしら……っ!?(無理) 最近、の様子がおかしい。 ジローのように常に眠そうで、休み時間はどこかへ消える。 家で俺と一緒にいるときも、なんだか他のところへ意識が奪われているようだ。 体調でも悪いのか、と思って聞いてみたら、そんなことはない、と全力の否定。 不思議に思いながらも、様子を見ることにした。 そして、今日。 1年で1度の、1番面倒くさい日。 バレンタインデー。 朝起きての部屋に行けば、いつもよりもさらに眠そうな。 「最近寝付き悪いのか?いつも眠そうな顔してる」 「えっ……そ、そうかも〜。ベッド入っても、中々寝れなくて」 あはは、と笑うの目は、少し赤い。 の手に何もないところを見ると……朝1番でのチョコはないらしい。 ……ま、夜に貰って、そのままベッドって言う手もあるか……。 「じゃ、今夜は俺様がよく眠れるようにしてやるよ」 「……え゛」 の唇に掠めるようなキスをして、今日が始まる。 学校へ行き、下駄箱を開ければ落ちてくる大量の包み。 大きいサイズから小さいサイズまで様々だ。 一緒にいたが、うわ、と小さく呟いた。 「…………ったく、面倒くせぇ」 樺地を呼んで、落ちたチョコを鞄に入れるように命じる。 俺はチョコの中から上履きを取り出して、靴を履き替えた。 「相変わらずやな、跡部……」 朝練後だから、忍足も一緒だ。 だが、忍足の下駄箱からも、俺と同じようにバラバラと包みが落ちてきた。 「…………お前もな」 「2人とも……スゴイね……」 が落ちた包みの多さに、目を見開きながら言った。 「、帰ったらお前にやるからな」 「えっ、ちょ、それは……」 「俺のもやるで。……ってか、こない仰山のチョコを、1人でどないせいっちゅーねん。こないチョコ食うたら、鼻血どころか全身から出血多量で死ぬわ」 「えーと……」 「食べ切れなくて捨てるよりマシだろ」 去年は、のトリュフだけで、他のチョコは使用人にやり、それでも余ったチョコは廃棄処分。 「あ、でもちゃんのチョコは別やからな。ちゃーんと、ありがたく食べさせてもらうで」 そう、は朝練開始前に、去年と同じくレギュラーにチョコを配っていた。 随分前から、ジローや岳人がにねだっていたからな……俺としては不満だが、仕方がない。 本命は俺様のものだし……ヤツらはせいぜい義理で満足していればいい。 その後も、教室に入れば机の上に山と置かれたチョコ。机の中に入りきらなかったらしい。 ロッカーにも詰められていた。 「…………なんだか、去年より酷い気ィせぇへん?」 忍足の言うとおりだ。去年よりも、大分、量が多い。 まぁ、今年は全国大会やらなにやらで目立ったからな……。 「……ったく、持ち帰る俺様たちの身にもなれ」 鞄の中はもはや入らないので、教室にストックされている紙袋を拝借し、その中に無造作に突っ込む。チョコが邪魔で、教科書すら出せない。 「跡部さん……あの、これ受け取ってください」 ふと気がつけば、俺の周りにいる女たち。 みな一様に何か包みを持っている。 もはや、ここまでチョコがあれば、断ることすら面倒くさい。 後でシェフにでも渡して、用にスウィーツに加工してもらうか……。 そういや、はチョコケーキ好きだしな……。 「あぁ、ありがとよ」 1つ受け取ると、甲高い声が辺りに響いて、一斉にチョコを押し付けられる。 紙袋が破けそうなので、俺はもう1つ紙袋を取り出した。 …………ったく、俺が欲しいのはこんなヤツらのじゃねぇってのに。 はまたどこかへ消えていた。 ―――あいつからのチョコ1個の価値は、この紙袋いっぱいのチョコを軽く上回る。 チャイムが鳴った。 が息を切らせて帰ってくる。 「起立、礼、着席」 後ろから聞こえる小さな息遣い。 がここまで息を切らすなんて、どこから走ってきたのだろうか。 席に着いて、俺はに話しかけようと振り返った。 は、肩で息をしながら、目に手を当てて俯いていた。 なんだか様子がおかしい。 「……?どうした」 「や……ちょっと眩暈……寝不足で走ったからかも……」 パチパチ、と小さく瞬きをする。 少し顔色が悪い気がする。 「……お前、保健室行って来い」 「え?そこまで酷くないから……」 「寝不足なんだろ?ノートなら後で見せてやるから、寝て来い」 が少し思案して―――ハッと何か思いついたように目を少し開いた。 「……ん。じゃ、HR終わったら行ってくる」 何を思ったのかわからないが―――まぁ、大人しく保健室で寝ていればいい。 今日は1日騒がしいだろうしな……俺たちの周りにいたら、具合が悪くなるかもしれない。 は言葉どおり、HRが終わったら素直に保健室へ。 …………鞄を持っていったのは、なぜだろうか? 教室に着いたとき、ちらりと時計を見たら、まだチャイムまで10分あった。 鞄を持ったまま、女子トイレに駆け込んで―――うん、少しやれる。今は、1分でも時間が欲しい。 私は景吾たちが机の上に置かれたチョコを処理してる間に、女子トイレまで走った。 個室に入り、鞄をフックにかけて、編み棒を取り出す。 昨夜、4時まで頑張ったから、もう少し。 太目の毛糸でよかった…………!細い糸だったら、絶対時間足りなかったもん。 大分慣れた手つきになってきて、さくさくと作業を進める。 景吾用だから……フリンジ(端についているヒラヒラしたやつ)はいらないよね。というか、つけてる暇なんてない……ッ! とにかく、ひたすら編むだけ…… キーンコーンカーンコーン。 「うわっ……もう時間!?」 慌てて鞄の中に編み棒を突っ込んで、バンッと扉を開けて飛び出る。 部活ばりの猛ダッシュで教室まで戻った。 はぁ……寝不足だから、体がダルい。 席についても、息が整わない。 号令にあわせて、頭を下げ、もう1度上げたときにチカチカッ、とカラーの砂嵐が目の前で点滅した。 ガタン、と席に着いて、目を瞑って、手を当てる。 寝不足が祟った……ッ。 「?どうした」 景吾の声。 ふっと目を開いて、パチパチ、と瞬きをした。 まだ少し砂嵐が映ってる。 「や……ちょっと眩暈……寝不足で走ったからかも……」 景吾が少し眉を寄せた。 あぁ、また心配かけちゃった……。 『大丈夫』と言おうと思ったら。 「……お前、保健室行って来い」 「え?そこまで酷くないから……」 「寝不足なんだろ?ノートなら後で見せてやるから、寝て来い」 少し考え込んで―――ひらめいた。 保健室でなら、マフラーの続きが出来る。 「……ん。じゃ、HR終わったら行ってくる」 この際、仕方ない。 保健室でマフラーを編み上げてやる……! HRが終わって、鞄を持って保健室へ。 「あら、さん?どうしたの?」 テニス部の部員がケガをしたときなどで、よくお世話になってるから先生とは親しい。 氷帝学園卒業の、まだ比較的若いお姉さん先生。 「あー、ちょっと寝不足で眩暈して」 「寝不足?」 「……原因はコレで」 鞄の中から、編み棒をちらっと見せる。 「あら、懐かしいわね……私も学生時代はよくやってたわ。……そうか、今日はバレンタインだものね。……でも、まだ編み棒がついてるってことは……」 「終わってないのですよー……だから、ココでやらせてもらおうかな、と」 ダメですかね?と言って、先生を見る。 ……一応、この先生は結構話のわかる先生だから、正直に話したんだけど……。 「でも、眩暈がするんでしょ?」 「う……それはそうなんですけど……」 「何時に寝たの?」 「……えーっと…………よ、4時かな、あはは……」 先生が呆れたように息をついた。 「……とりあえず、ベッド空いてるから寝てなさい」 「えー……」 「2時間経ったら起こしてあげるわ」 「……やった!」 まぁ、今の段階だったら2時間寝ても……うん、間に合うよ。 私は安心して、イソイソとベッドにもぐりこんだ。 体力回復させて……よしっ、頑張るぞ―――!!! カラリ。 なるべく音を立てないように、そっと保健室のドアをスライドさせた。 机に向かい、なにやら仕事をしていた保健医が、目を向けてくる。 「あら、跡部くん」 「……が来てると思うんだが」 後ろ手にドアを閉めて、足を進めた。 「さんなら……そこのベッドで寝てるわよ」 示されたベッドに近づいた。 カーテンが引かれている。 それをかき分けて、中を覗き込んだ。 白いシーツに包まって寝ている。 スー、スー……と小さな寝息が規則的に聞こえる。本格的に寝ているようだ。 寝てるのを起こすつもりはない。 ただ、様子が見たかっただけだ。 そっとまたカーテンを戻した。 「何か伝言なら、伝えとくわよ」 「……いや、様子を見に来ただけだからいい」 「……本当に、さんが大事なのね」 わかりきったことを言うな。 俺は答えないで、そのまま保健室を出た。 NEXT |