様々なモノと決別した昨日。

元の世界を思って眠る私を、景吾はずっと静かに抱きしめてくれた。

この世界に来て、今日で1年。

今日から、新たなスタート。



Act.53  1かけて作られた、日常



朝、目覚めてすぐに見えたのは の 寝顔だった。
―――いつの間にか『日常』となっているこの光景。きっと、1年前の俺には想像も出来なかったこと。

そろり、と身じろぎをすると、ゆっくり の 目が開いた。
眠たげに開かれたそれは、眠気に負けたらしく、また閉じられて。
その何気ない仕草に愛しさが募る。
の 腰にまわしている腕の力を、起こさない程度に少し強めた。

……ちゃんと、ここに、いる。

その温かさを、実感した。

が 元の家へ行こうと、1人でそれを決めていようと、別に構わなかった。
そんなことで不安になんて、なりすらしない。

ただ1つ。

俺の中でただ1つの不安と言えば、『1年』という区切りの日に、 が 消えてしまわないか。
ただそれだけだった。
これからもずっとつきまとうであろう不安。
いつか突然、消えてしまうのではないだろうか、今までのことが夢であるかのように……幸せな夢が、いつか醒めてしまうのではないかという、不安。

だから今、 が 俺の腕の中でいつものように眠っている。
それが幸せな現実であることを確認して、

ただそれだけで、どうしようもなく安堵して。

俺は、自分の手のひらにある幸せな現実を、抱きしめた。






リリリリリリ………。

いつものようにモーニングコールの音で目覚め、ぼんやりと視線を動かす。
鳴り続ける電話を取らなければ―――と目線を動かすと、すでに開いている景吾の目が、じぃっとこちらを向いているのに気付き、驚きで眠気が飛んだ。

「け、景吾……?」

「……ん?」

……ヒィィ、掠れた声が、色っぽすぎる……!
『おはよう』の代わりにまぶたに軽い感触。さらり、と頭を撫でられた。

リリリリリリ………。

まったく電話を取る気配がない景吾さん。……アレー?

「景吾さん……?」

「……なんだ?」

甘い、甘い声。
……こんな声、私以外の他の誰にも聞かせたくない。
そう思うくらいの声だ。

「……………え、と……で、電話……」

「……あぁ」

私の指摘を聞いて、ようやく景吾が手を伸ばして電話をとる。

「……あぁ。すぐ行く」

電話の相手には、いつもと同じトーンでそう言った景吾。
受話器を置くと、再度、私の頭に手を伸ばす。「すぐ行く」、と言ったのに、全然動く気配はない。

「…………なんか、今日は……」

「……あーん?」

「…………甘々、だね……」

この場にいる、ただそれだけで照れてしまうほど。

甘い甘い空気に耐え切れず、ゴソリ、とシーツの中に埋もれようとした私に、クッと小さく喉の奥で笑う声が届く。

「……いつもだろ?」

声が―――甘い。
朝から破壊力抜群。顔面に熱が集中してくるのがわかる。

「ど、どしたの、景吾……」

明らかにいつもとは様子が違うことに疑問を浮かべたけれど、景吾は全世界の人を無条件で倒せるくらいの笑顔でそれを緩やかに流した。

「……いや?」

いや?…………ってことはないでしょう、景吾さん!!!!(絶叫)

心の中ではそう叫ぶが、実際言葉には出せない。
そんな私の状況を知ってか知らずか、景吾は極上の笑みを浮かべて、半分以上シーツの中に顔を埋めた私の額に唇を寄せてきた。

「……おはよう、

「……おはよ、景吾」

もはや、それしか言えなかった。
……言いたいことはたくさん心のなかにあったけれど。





1日ぶりの登校。
職員室に行ってくる、という景吾と下駄箱で別れた。
昨日休みだったからか、建物が冷えている気がする。

「…… ちゃ ん!」

廊下を歩いていたら、後ろから声が追いかけてきた。
振りかえると、そこには隣の席のあの人。

「おはようさん」

侑士だ。

そういえば……1年前も、学校に来て最初に会ったのは侑士だったっけ。
思い出して、思わずクスリと笑ってしまった。

「?なんかついとる?」

「あ、ごめんごめん。なんもついてないよー。……おはよ、侑士」

なぜだか少しだけホッとしたような表情を見せた侑士は、いつものように柔らかく微笑んでくれた。

「……今日で1年やろ?」

こそりと呟く侑士に、頷く。

「覚えててくれたんだ」

「もちろん。俺らが会ったのは、1年前の明日やけどな」

独特の表現になんだか侑士らしさを感じ、私は思わず笑った。

「いつものように部室行ったら、全然知らん可愛ぇ子おったんやもん。あの衝撃度は半端なかったで」

「またまたー。うまいんだから」

「ホンマやで。今でも初対面のこと、覚えとるし」

「あはは、ありがと。……ま、でもビックリだよね。突然現れて『明日からマネージャーになります』なんて」

「ドッキリかと思て、一瞬カメラ探したわ。……でも、 ちゃ んに会えてホンマよかった」

「え、ちょ、や、やめてよー、照れるよー!」

「ハハ。……1年あっという間やったけど、これからもよろしゅーな」

ゆっくりと、差し出された手。

「……こちらこそ!」

その手に触れると、1年前と同じように手を握られ、握手。

「……おいコラ、何やってんだよ」

「……なしてこーやってタイミング悪いねん」

握手をしていると、ちょうど景吾がやってきた。
ぺしっ、と侑士の手をはたく。その衝撃で手が外れた。

「なにすんねん」

「ベタベタ触んな」

「そっくりそのままその言葉返すわ」

返すな

…………この2人、いつの間にこんな仲になったんだろう。
私がこの世界に来た当初はこんなんじゃなかった気がする。

また笑いが漏れてしまったら、案の定2人からコツン、と頭を小突かれた。






3学期に入って、3年生は昼までの授業になっていた。
4時限目が終わるとすぐにHRで、帰り支度。

生徒会も部活も後輩に引き継いだ私たちは、特にすることもない。
このところの空いた午後の時間は、跡部グループ経営のジムに行ったり、跡部家所有テニスコートでテニスしたり。後は時々、部活に顔を出すくらい。

今日も何も決まってはいなかったけれど、きっとテニスだ。景吾もラケットを持ってきていたし、侑士もラケットバッグだった。

HRが終わって、みんなが思い思いに帰宅し始める。

「おーい!!!」

一足先にHRが終わったがっくんたち、他の面々が呼びに来ていた。

「今日はどこ行くー!?」

「どこって……お前ら、ラケット持ってきて、テニスやる気満々じゃねぇか」

「もち!」

ニカッと笑うがっくんとジローちゃんの笑顔が眩しいよ……!

「行くとこ決まってねぇなら、ストテニ場行こうぜ、久しぶりに」

相変わらずテニス馬鹿な亮がそう提案する。
ストテニ場かぁ、確かに結構久々だなぁ。

「いいねぇ〜。久々に、誰かと試合するみんなを見たいよ〜」

「ほら、 も こう言ってるし!行くだろ、跡部!」

「ったく……お前は付き合いがいいな」

呆れたような表情で見てくる景吾に向かって笑う。

「そんなこと言って、景吾だって行く気だったくせに。ねー!」

「なー!」

満面の笑みでそう返してきたがっくん。景吾はそんな可愛いがっくんをぽかり、と殴って、ラケットバッグを持った。

「ほら、行くぞ」

「……えーと、はーい」

後ろでがっくんが、「なにすんだよ、跡部ー!!!」と叫んでいるけど、景吾は華麗にそれを無視して私を促す。

「あ、それから」

「ん?」

「……お前、見てるだけで済むと思うなよ?ちゃんとラケットバッグにお前のラケットも入ってるからな」

「え、ちょ……」

口ごもる私に追い打ちをかけるように、亮が会話をつなぐ。

「ったりめーだろ、何言ってんだよ跡部。あ、 、 今日は俺の高速ライジング教えてやるよ」

「え、それはすごくうれしいんだけど……」

「もちろん、実戦形式……やで、 ちゃ ん?」

極上の笑みを浮かべる、侑士。
一縷の望みを胸に、周りを見回すけれど……みんなは私の願いとは異なるであろう笑みを浮かべていた。

「……お手柔らかに、お願いします……」

中途半端な笑顔で返した私に、5人分の破壊力満点の笑顔が向けられた。

「よっしゃー!!さっそく行っくぜー!」

がっくんが走り出し、それに続くジローちゃんが私の手を取って走り出した。

「わわわわー!こけるー!!」

「おい、ジロー!!」

「何してんねん、自分ら!」

後ろから景吾や侑士の声が追いかけてくる。

「それ、逃っげろー!」

嬉しそうなジローちゃんの顔。
……あぁ、なんかよくわからないけど、幸せ……!

この世界にやってきて。
氷帝メンバーと一緒に過ごすようになって。
景吾のことを好きになって。
かけがえのない日々を経て。

そして得られた、何物にも代えが たい日常。
1年前の自分には、思いもよらなかった、この日常。

ーーーここにいてよかったと、

1年経った今、心から思えた。








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