Scene.19  ついた娘


黒い霧のまやかしは、人間の視覚を一時的に麻痺させる。
だが、血のにじむような訓練を経たルヴァイドには効くことはなかった。
逃げ出した聖女一行を追いたいが、召喚師の攻撃により追撃は適わない。
それに、撃たれたと思われる彼女をこのまま放っておいては、危険だ。

ルヴァイドはすばやくそう判断すると、イオスと後から来たゼルフィルドに彼女を連れて帰るよう命令を出し、自分は召喚師を相手に、彼女を無事につれて帰る時間稼ぎをした。
相手もまともに戦う気はないらしく、こちらが対して取り合わないと、決して無駄な召喚術は使ってこない。
兵の1人が、イオスが無事に娘を連れ出した、と伝えてきた。

ルヴァイドが、退却の指示を出すと同じくらいに、ギブソンたちも撤退する。
いくら探しても見つからないは、彼らの手に落ちた、これ以上の戦闘は無意味だと考えたからだ。

ルヴァイドは、布を張った板にのせられて運ばれる娘の元へ行った。
白い服が、血でどす黒く変色している。右腕、左肩……それに、足の方からも出血している。
それぞれの傷は致命傷には至っていないが、出血が多すぎる。

意識を失い、松明の灯りだけでもわかるほどに顔色がない娘の姿に、ルヴァイドは自分でもなぜかわからないほどに、汗をかくのがわかった。

「…………召喚兵!召喚兵はいるか!?」

イオスが召喚兵を連れて、やってくる。

「すぐに回復してやってくれ」

なにも事情を知らない兵士は、不思議そうな顔をしたが、将軍であるルヴァイドに逆らうようなことはできない。
すぐに持っていたリプシーを駆使して治療に取り掛かる。

2、3度リプシーを召喚しても、彼女の血は止まることなく流れ続ける。
そのことに召喚兵が気づき、ルヴァイドを見て、慌てて言った。

「将軍!この娘には召喚術が効いていません!」

「…………どういうことだ!?」

「なにか召喚術を無効にする装備をしているか……」

ルヴァイドは、素早く娘の体に目を走らせるが、どこにもそんな装飾品は見当たらない。

「それか、もしくはこの娘自体が召喚術を受け付けないのかも……」

「とにかく、召喚術で治療はできないということだな?」

「は、はい……」

ルヴァイドの額を、汗が一筋流れた。
召喚術で治療が施せないということは、軍医が待機している旅団本部まで戻らなければならない。そこまで戻らない限り、いい治療薬はない。

「くっ…………」

ルヴァイドが歯噛みをして下を向くと、娘のポケットの膨らみに気づいた。
そういえば、湿原での戦いで、彼女はポケットから何かを出して味方に飲ませていなかったか。
藁にもすがる思いで、ポケットの中を探る。
でてきたのは、木の実。

(……キッカの実か……!)

急いで堅い殻を割り、持っていた短刀で小さく削る。

「誰か、水を持って来い!」

娘の口を開け、削った木の実と持ってこさせた水を含ませる。
中々嚥下しようとしない。嚥下する体力もないのか。

(頼む、飲んでくれ……!)

ルヴァイドの想いが通じたのか、肩からの出血で汚れた喉が、こくんと上下した。

「イオス!」

「はっ」

「この実を彼女に飲ませてやれ。俺は止血をする」

ルヴァイドは、止血点である各部位の付け根を強く圧迫する。
自分の服を押さえているベルトの1本をとると、1番出血の多い右上腕部の付け根を締めた。
うっ、と小さなうめき声があがった。
足は、服の上から布で同じように締める。
イオスもすでに実を飲ませたようだ。
もう、自分たちができることはない。

ルヴァイドはできるだけ早く、娘を本部へ連れて行くよう指示を出した。
荒い息を吐いて苦しがる娘に、胸が痛む。
汗で額に張り付いた髪の毛を、そっと払いのけた。




旅団本部に戻ってすぐに、寝ていた軍医をたたき起こし、娘を診させた。
ルヴァイドが、女を連れてきたことを、年老いた軍医は不審がったが、その女が半端でない傷を負っていることに顔をしかめた。

「こりゃあ、酷い…………召喚術は使わなかったのかね?」

「召喚術が効かない身なのだ。効くのだったら、とっくに使っている」

「それだと……危険な状態だ。傷の1つ1つは大きくはないが、なにぶん出血が多い。撃たれてからしばらく、そのままの状態だったな?」

そうだ、召喚師と戦っている間、彼女は地面に倒れたままだった。その間に、大量の血液が、大地に吸い取られていたのだ。

「…………何か、必要なものはあるか?すぐに持ってこさせよう」

「とりあえず、そこら辺にいる兵士に、湯を沸かせと言ってくれ。私が言うよりは、将軍であるお前さんが言う方が数倍早いだろう」

ルヴァイドは、言われたとおり、その辺でこちらを伺っていた兵士の1人に、湯を沸かせ、と言った。すぐに兵士が、はいっ、と身を固くして湯を沸かしに走る。

「後は?」

素直に自分の言うことを聞く将軍に、軍医は目を丸くする。

「…………そうだな、とりあえず、どんな事情かは知らんが、患者はまだ若い娘だ。…………男は出て行ってもらおうか」

本当は、この場で彼女が『安心だ』という状態まで見ていたかったが、そう言われたら出て行くほかはない。

「………………治療が終わり次第、俺のテントに運び込んでくれ」

承知、という言葉を聞いて、やっとルヴァイドは軍医のテントから出た。

もう、夜が明けようとしていた。




昼ごろになって、ルヴァイドのテントに娘が運び込まれた。
傷口には包帯が巻かれ、血で汚れた服の代わりに、ルヴァイドの普段着を着せられている。
用意していた寝床に慎重に体を横たえさせた。

幾分顔色が戻り、息も大分落ち着いていた。

「…………峠は越えたが、重体だと言うことを忘れるな。体の傷は、ある程度治療できるが、失われた血液は再生するのに時間がかかる。それに、今回は傷も完全に治療というわけにはいかん。回復にもそれなりの時間がかかるだろう」

「わかった。……治療に必要な道具なども、できる限りここに運び込んでくれ。俺が面倒を見る」

「…………おまえさんが、そこまで固執するのには、ワケがあるんだろうが、あえて聞かんでおくよ。厄介なことに巻き込まれたくはない」

「…………賢明な判断だな」

テントを出て行く軍医に、皮肉とも、羨望ともとれる言葉を、ルヴァイドは投げかけた。




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