後少しだけ……ちょっとだけ泣いたら、もう泣き止むから。

そう誓って、ほんの少しの間だけ、泣いた。

そしてゴシゴシと涙をふき取り、顔に活を入れる。

前を見たら、リョーマが景吾から離れていくところだった。

と同時に、グラリ、と景吾の体が傾いだ。

「!!危ない!」

侑士の手を振り切り、足の痛みさえ忘れて、コートに飛び込んだ。



Act.100 焉から始まる、プレリュード



間に合え……!
私は、今までにないくらいの速さで走ってたと思う。
足の痛みなんて、この時ばかりは忘れていた。

「……ッ……!」

倒れ始めた景吾の体の下に、ガッと自分の体を入れる。
細い見た目以上に筋肉が付いてる上、気を失っている景吾の体は重い。
唐突にズキン!と痛んだ足を踏ん張ってなんとか堪え―――景吾の体を支えた。

「……っふ……ぅ」

気を失った場合に怖いのは、倒れたときの二次障害だ。頭でも打ったら、それこそ大変。
なんとか最悪の事態を防げたことに、安堵の息を吐いた。

先ほどまで、前だけを見据えていた景吾の瞳は、もう、閉じられていた。
疲れて、眠っているように見える。

……よく頑張ったね。
ただ、今は休息を。

「……お疲れ」

小さくそう呟いてから、一瞬で怪我の有無を確認した。
細かい擦り傷はたくさんあるけど―――頭とかは打ってないみたいだ、よかった。

ちゃん!!!」

バタバタと侑士たちが走ってきた。
みんな、今のこの状況をどうすればいいのかわからなくて―――泣きそうな表情だ。

「……大丈夫だよ。景吾は私が連れてくから心配しないで。みんなはほら、まだ挨拶が残ってるでしょ?……侑士……悪いけど、景吾の代わりやってくれるかな?」

「せやけど……!」

「みんなも。まだ、試合は終わってないよ?……ほら、挨拶してきて」

微かに笑みを浮かべられるのが、自分でも不思議だった。
侑士たちが言葉を失って、立ち尽くしている。

「……最後の挨拶だよ。締めくくり、きちんとしなきゃ。ほら、行って来て!」

しばらくみんなは黙って―――まるで、泣くのを堪えるかのように、口を引き結んでいたけど。
やがて……コクン、と全員が小さく頷いた。
ゆっくりと、コート中央に向かっていく。

それを見て、私は景吾の腕を自分の肩に回した。
しっかりと支える。

……気を失った人間は、重い。
なんとか支えてはいるけど、重さで足は震えるし、痛い。
それでも、ここで力を発揮しなければ。今までのどの場面よりも、ここで力を発揮したかった。だから……痛む足にも、グッと力を入れられた。

「……っ……先輩!」

後輩たちが、近寄ってきた。
泣きながら、『代わります』と言ってくれる後輩たち。
みんなに向かって、フルフルと頭を振った。

「……ごめん、この役目だけは、譲れないや。…………それよりも……よく、見といて」

誇り高く去っていく、先輩たちを。

―――大きく頷いた後輩たちに微笑みかけて。

1歩ずつ、1歩ずつ。
私は、歩き始めた。






瞬きをしたくらいの感覚だった。
それなのに、一瞬で目の前の光景は変わっていて、真っ白い壁が目に入ってきたことに―――まず素直に驚いた。

……ここはどこだ。

俺は、コートにいたはず―――。

そこまで記憶を掘り起こし……すぐに答えに辿り着いた。

あぁ、そうか……俺は―――。

立ち上がり、エンドラインまで行ったことは覚えてる。
そこで俺の記憶は終了していた。次にはこの真っ白な天井が見えていた。
空白の時間。
俺の記憶にない、空白の時間。
なぜだかわからないが―――その間に起こった出来事を、俺は理解していた。気を失っていても、どこかで結果を感じていた。
認めがたい真実だ。
しかし、驚くほど冷静に、結果を受け止めている自分も存在していた。

「……跡部。気ィついたか?」

「跡部、大丈夫か!?」

唐突にわいわいと騒がしく聞こえた声に、目を瞑り、寝転んだまま、呟く。

「うるせぇ、騒ぐんじゃねぇよ。……忍足、結果は」

「……119-117、7−6で……負けた」

「…………そうか」

目を閉じ、頭の中でもう1度事実をかみ締め―――目を開けた。
自分の体を確認するために、ゆっくりと起き上がりつつ、部屋を見渡す。
声が聞こえないとは思っていたが……やはり、そこにいるべき、愛しい人間の姿はなかった。

「……は?」

「今は、後輩たちんとこ行っとる。……偉かったで、ちゃん」

忍足がどこか悲しげな微笑を漏らした。

「気ィ失ったお前支えて、ここまで連れてきたのもちゃんやし。その後も、後輩に指示出したり、後片付け手伝ったり。……足だって、痛むだろうに」

その言葉に、驚く。
試合中目に入ってきたのは、ただ涙を流すだった。
それだから、試合が終わっても泣いているものだと思っていた。……だから、俺は早くアイツに会って、抱きしめよう、と思っていたのに。

「…………泣いて、なかったのか?」

「…………少しだけ、な。でもすぐ気合い入れなおして……俺らに、活入れてくれた」

1番あの子がしっかりしてたで、と苦笑した忍足の言葉の後。

ガチャ、とドアが音を立てて開く。

ひょい、と覗いた顔は―――1番、会いたかった顔だった。
起き上がっている俺に気付くと、あ、と口を開けて部屋の中に入ってくる。

「景吾、起きたんだ。大丈夫?どっか痛いとことかない?」

少しだけ足を引きずりながら駆け寄ってくるは、心配そうに俺の顔を覗き込んだ。

「……あぁ、大丈夫だ。なんともねぇ」

そう言うと、ほっ、と安心したような顔を見せる。
もう、泣いた痕跡さえ、見つからない。

「そっか、良かった。……あ、他のみんなはもう帰らせたから。この医務室は、夕方までならいていい、って許可貰ったし、もうしばらくゆっくりして大丈夫だよ。みんなも、疲れてるでしょ?お昼も食べてないし……なんか買って来ようか」

そこまで言って、は微かに笑った。
こちらを見て、少しだけ目を細めた。
―――そう、声をかけようとした……その時。

涙が一粒。
堪えきれなかったようにポロリとこぼれた。



「――――――ッ!」



部屋の中にいる全員が、その出来事に驚き、息を呑んだ。
誰もが凍りついたように動かない。その中でただ1人、は、信じられないように手を顔にやった。

……その手はもう、震えていて。

「あ、れ……やだなぁ……っ……もう、泣かないって決めたのに―――ッ……!」

見る見るうちにの顔が歪み―――ボロボロと涙が溢れ出てきた。

「……っ……!」

立ち上がり、腕を伸ばしてを引き寄せ―――抱きしめる。

「……バカヤロウ……ッ……そんな誓い、勝手にたてんじゃねぇよ……!」

そんな苦しい決意をさせていたのかと思うと、自分に腹が立って。
力の限り、を抱きしめた。

「……ちゃん……!」

〜……」

「……、さん……っ」

!」

先輩……」

「…………っ!」

さん……」

そして、俺とを中心として、レギュラーが団子状態になってを抱きしめた。
ジローと岳人はにつられたのか、いつの間にか泣いていた。

「……みん、な……っ……お疲れ様……!」

俺の腕の中にいるは、涙を流しながらも懸命に言葉をつむぐ。

「いい試合……だった……!すごく、すごくいい試合、だったよ……!おつかれ……さ……っ……!」

の手が、きつく俺のシャツを握り締める。
胸に感じる温かい雫は、さらに量を増していた。

の背中に回していた拳を、ぎゅっと握った。
きつく抱いた体は、泣き声に呼応するように震えていた。

「……俺たちは、高校で必ずお前に頂点からの景色を見せてやる」

この決意はあの時……眠るに言った言葉。
今度こそ……聞いて欲しかった。

「……絶対に、見せてやるから……」

腕の中のが、何度も何度も頷いた。

「……おい、高校に向けて今から準備に入るぞ。高校入ったら全員、1年からレギュラーになる気で行く」

おう、と聞こえた返事は、震えているものもあった。
それでも……今日の負けを乗り越えて、絶対に強くなる。

「…………日吉、鳳、樺地……来年こそは、絶対に、日本一になれ……これが、最後の俺様からの部長命令だ」

「……は、いっ……」

「……ウス」

「……日吉、後は頼んだぜ」

「……ッ……はいっ……!」

そのまましばらく、俺たちは1つに固まって、『今日』という日をかみ締めた。



窓の外では、真っ赤な夕日が世界を赤く染め、今日という日の終わりを告げていた。
そして今―――

「みんな……お疲れ様……ッ」

氷帝の夏が、終わりを告げた。




第2部 ――――――FIN――――――