やってきた先生が、いつもの数学の先生じゃないことに、まず教室がざわめいた。
代理の先生は無言で、黒板に大きな文字を書く。

『自習』

書かれた2文字を見たとき、クラスにいるほとんど全員がガッツポーズをした。
その反応を見ていないはずはない。なのに、先生はそ知らぬ顔で言ってのけた。

「先生のお母様が倒れられたそうなので、本日、数学の授業は自習となります。出席だけ確認します。えーと…………跡部くん」

火曜日の3時限目は、急遽、自習。






「……それでは、他のクラスの迷惑にならないように、静かに自習をしてください」

マニュアル通りの言葉を言った先生が、足早に教室を去っていく。夏期講座中で、先生の数も限られている。人数も足りないし、他にも仕事があるのだろう。
先生が教室から消え、たっぷり5秒経った後。

「……ふぅ〜……」

教室は脱力感に包まれた。
静かに、なんて言葉はすでに彼方向こうへ。ざわざわとざわめく教室。誰一人として、ノートを開く気配はなかった。

「あー、夏期講座なのに自習っちゅーのも、なんや学校来た意味ない気ィするんやけど……」

「いやいや、ラッキーだよ♪数学ないってだけでラッキー!」

『ラッキー』の語尾が、計らずとも上がってしまったのは、どこかの某オレンジ頭の子の所為だと思う。
いや、もう彼のラッキーがちょっとでも移ってくれた気さえする!
ありがとー!数学がないって素晴らしい!!自習サイコー!

「お前、ホンット数学嫌いだな……さて、どうする?3時限目だから、微妙って言えば微妙なんだが」

「そうやな……わざわざ1時間だけ外出んのも面倒やしなぁ……」

「あっ、私今日、昼休みにでもみんなでやろうと思って……」

ゴソゴソとカバンの中に手を突っ込み、目当てのものを見つけ出す。

「トランプ持ってる!」

「おぉ〜。えぇもん持っとるやないか。時間潰しにはちょうどえぇな」

「1時間くらい、すぐに経っちまうだろ。……オラ、やるならさっさとやろうぜ。何やる?」

意外と乗り気な景吾さんに、私は頭の中に色んなものを思い浮かべた。
ババ抜きは……3人じゃちょっとなぁ、すぐ終わっちゃいそう。
大富豪は、同じく3人だと手札が多すぎるし。
後は……ダウト?…………いや、この2人を騙すことなんて、絶対無理!!!

「うーん……3人だと、何がいいのかなぁ?」

「そやなぁ……ブラックジャックは知っとるか?」

「やったことあるぜ。だが……」

「だが?なんやねん、跡部」

「あれはディーラーがいないとダメだろう?」

景吾の発言に、侑士と2人して固まった。
…………………ディーラーって、景吾さんアナタ…………………。
ギャンブル?カジノ?
ダメですよ、未成年は!っていうか、日本は!

「…………跡部に聞いた俺が間違おてた。……ディーラーってなんやねん。……自分、いくつや思てんねん」

「あーん?前に海外に行った時に、ちょっと嗜んだだけだぜ?」

「それがあかんって言うとるんや!嗜まんでえぇんや、そないなもん!……まったく、これだから金にモノ言わせるヤツは……あー、ちゃんどないする?もうこの際、跡部ほっぽって、俺ら2人で仲良う話でもしてよーか?」

「んなこと、この俺様が許すわけがねぇだろうが、あーん!?」

「やかましいねん、自分は!そないあーんあーん言うてると、未来から青い猫の使者がやってくるで!?」

「意味がわからねぇ!はっ、テメェの脳みそ、そろそろイカれちまったんじゃねぇのか?いや、大分前にイカれてたな、そうだったそうだった」

景吾が言い返せば、侑士がまたもや何かを言う。
凄まじいスピードの2人のやりとりを、唖然として見ているばかりだ。
…………なんなの、このスピード……どんだけ口動いてんのさ……。
ん?…………あ。

「あのー……」

喧々囂々―――たった2人なのにそんな言葉が当てはまるくらい、凄まじい勢いで言い合っていた二人に向かって、控えめに挙手をする。
言い合いの激しさに、2人とも気付いてくれないかと思っていたのだけれど、私の予想とは裏腹に、挙手すると共に、言い合っていた2人が、パッとこちらを向いた。……それはそれで、ちょっとビックリした。

「なんだ?」「どないしたん?ちゃん」

ピッタリ同じタイミングだった発言に、2人がまた『む』と顔をしかめる。
また2人が言い合いを始める前に、一瞬早く口を開いた。

「2人にちょっとやって欲しいことがあるんだけど……!」

2人の顔が、またまた同じタイミングで疑問顔に変わった。







「上がりだ」

バシッと景吾の右手が山札の上に置かれると共に、ばっ、と侑士が手持ちのカードを投げ出した。

「俺かて、後少しや!なんでやねん!……跡部、もう1回や……!」

「何度やっても同じだ。テニスと同じで、詰めが甘ぇんだよ、詰めが」

「やかましいわ!……ははーん、そうか……もう1度やったら俺に負ける思てんから、やりたくないんやな?そうなんやな?」

「はっ、んなわけねぇだろうが!」

「ほな、やろうやないか」

「……ったく、仕方ねぇな……いいぜ?何回でも泣きを見せてやるよ!」

すぐさま侑士が散らばったカードを集め、黒と赤に分け始めた。

……やって欲しいこと、それは2人の『スピード』勝負。

だって、この2人でスピードやったら、すごい勝負になると思ったんだもん……!

事実、ものすごい勝負だった。ホント、半端ない……!
カードが場に出されると、考える時間もなしにドンドン出していく。
手がひっきりなしに動いていて、止まるときと言えば、どうしても場に出せないその一瞬だけ。

「……、スタート合図、頼むぜ」

「あ、う、うん……」

ちゃん、俺がこの勝負勝ったら、一緒に映画見に行こvv」

「へっ?」

それ、どーいう意味……と言おうとしたら、先に景吾さんが口を開いていた。

「いい加減にしろ、テメェ!大体、さっき俺様が勝ったときには、何もなかっただろうが!」

「あれは練習や練習。ほら、本番の前に模擬試合みたいなんあるやん?あれと一緒や。せやから、なんも賭けてない」

「…………忍足……貴様……ッ」

「さぁて……こっからが本番や。真剣勝負には何かがつきもんやろ?せやから、俺はちゃんとのデートを望む!」

ギリギリ、と景吾の歯軋りが聞こえてきそうだ。
…………侑士……目が据わってて怖い、よ……?言い知れない、オーラが……あぁ、景吾さんもそんなに眉間にシワ、寄せないで……。

ふと景吾さんの表情が変わった。

「そういうことなら、俺様も望むもんがある」

「……なんやねん。ささやか〜なもんにせぇよ、ささやか〜なもんに」

「あぁ、ささやかすぎるほどだ。……忍足、俺様が勝ったら、二度と俺たちの前に姿を見せるな」

「全然ささやかやないやんけ!俺の存在消すなんて、全然ささやかやあらへんやんけ!」

「…………じゃあせめて、その無駄に吐息を混ぜるしゃべり方をなんとかしろ!」

「ぐっ……ちゃん、なんの映画見たいか、決めといてぇな……ちなみに、俺はラブロマンスでも、全然かまへんで」

「そんな悩みは無用だ、。それより、今日、俺と食べる夕飯のメニューでも考えておけ」

「〜〜〜負かす!絶対負かせてみせるで、跡部……!」

「何度でも迎え撃ってやるぜ、伊達眼鏡……!」

いつの間にか、2人の白熱?の戦いに、クラスメイトたちも注目していた。
遠くの席の子が、わざわざ立ってこちらの様子を見るほど。

「…………えーっと………………?」

2人のあまりの剣幕に口を挟めなかった私は。

、スタート合図」

「あ、う、うん…………よーい……スタート!」

バババババ、と高速で動くカード。
周りで見ていたクラスメイトが、その凄まじさに感嘆の声を漏らした。

そして私は。

「俺のカードのが一瞬早い!そのカードは出せねぇよ!」

「くっ……あ、でもこっちで……!」

…………やっぱり、最後まで口を挟むことが出来なかった。



「ほーら、俺のがやっぱ強いやん?ほな、そういうわけでちゃんとデート……」

「待て、忍足。貴様の無理を聞いてやったのを忘れたのか?……もう一勝負だ!」



結局、2人の勝負は授業終了のチャイムが鳴るまで続き。

私を含め、クラスメイトのほぼ全員が、ずっと釘付けになっていた。


結果は……


「オラ、とっととその吐息まじりのしゃべり方、直せよ。直せねぇんなら、俺たちの前に現れるな」


…………というわけで。


火曜日の3時限目は、自習のお時間でした。