バタンッ。

「………………」

「………………」

部屋に入ったものの、お互いに一言も言葉を発することはなかった。
ただ2人とも、示し合わせたように同じタイミングで、無言でベッドまで歩いていく。
忍足に断ることなく、跡部がやや乱暴に電気を消し、ベッドにもぐりこんだ。むすっとした表情で忍足が1度跡部を睨みつけ、同じくもぞもぞとベッドに入る。
もちろん、お互い、背を向けた体勢。

このまま眠るのかと思いきや―――

「……………どないして、ちゃんの部屋入ったんや」

灯りを消してしばらくして、忍足が、ポソリと暗闇の中で呟いた。

目を瞑り、少しばかり眠りの世界に入っていた跡部だったが―――しばし考え、面倒くさいが答えることに決めた。……明日以降にまでこの問題を引きずられるのも、また面倒だと思ったからだ。

「……マスターキー使った」

跡部の答えに、忍足が一瞬動きを止め―――やがて、心底呆れたように、大きなため息を吐く。

「…………ホンマ、アホとちゃうか、自分……明日になれば会えるっちゅーのに、なしてそない無茶までして会おうとするねん」

「チャイム連打して、それを邪魔するようなヤツに、言われたかねぇよ」

ちゃんの身を守るためなら、チャイム連打だろうと厭わんで」

「……テメェこそバカだろ」

ちゃんバカなら、それはそれでえぇ」

「…………」

今度は跡部が、先ほど忍足がついたような呆れたようにため息をつく。
そして、それを最後に、またしばしの沈黙。
今度こそ眠りに付こうと、跡部が目を再び閉じたとき。

「…………あ、そや、跡部」

また、同室の人物が言葉を発する。
ウンザリとした面持ちで、跡部は目を閉じたまま、口だけを開いた。

「………………んだよ、まだなんか用かよ」

「明日の開始時間やけど……コート着く予定、8時30分やろ?ってことは、開始は8時45分か?」

「……あぁ。それがどうかしたか?」

まともな問いに、自然と跡部の目が開く。
聞こえてきたのは、真面目な声。

「…………それ、少し遅らせられへん?」

「あーん?なんでだ?」

ちゃんの雑用、手伝ってあげたいねん。ドリンク作りとか」

跡部は、忍足の言葉の内に含まれていた真意をすぐに見抜く。

「あぁ、の手のコトか」

「………………なんや、気付いとったんか」

少し残念そうな忍足の声に、跡部は小さく息を吐く。

氷帝から持ってきた大きなタンクは、総量約15キロ。
文字通り、1人では荷が重い。

跡部と忍足は気付いていた。

ランニングの最中、視界の端に映る心持ち頼りない足取りで、タンクを運ぶの姿に。
その後、固まった手をほぐすように、何度も何度も指を曲げ伸ばししていることに。
先ほど話している最中ちらりと見えた手のひらが、ほんの少し赤くなり、柔らかい皮が剥けていることに。

「……俺ら男なんやし……少しは頼ってくれたってえぇのになぁ。少なくとも、手のひらの皮は剥けんで」

鍛えられた男の筋力で、15キロは軽いという重さではないが……それでも、よろめくほどのものでもない。
ドリンク作りなんて、ほんの少しの時間だ。それこそランニングをするぐらいの時間。それくらいの時間なら、跡部たちが雑用に時間を割いても、何の支障もない。普通の人間なら、2つ返事で『手伝って』と言うだろう。

だが。

そんなに上手くコトが運ぶなんて、2人とも思ってはいない。

「…………で?どうやってを納得させる?……どーせアイツは、プレイヤーなんだから手のひら大事にしろ、とか言い出すぜ」

「……それが問題やな……」

とことんプレイヤーを大事にするは、プレイヤーに少しでも支障が出そうな出来事に関しては、殊、頑固だ。
それを、どうやって納得させるか。

しばらく、思案のために、沈黙が訪れる。

やがて、なにかを思いつく2人。

「一緒に持ってあげればえぇんや」「一緒に持ってやればいいのか」

……タイミングピッタリで、バッチリハモった2人の間に、再び嫌な沈黙が流れた。

「……おい、忍足。俺様がを手伝うから、テメェは関東に向けて、1球でも多くボール打ってろ」

「いややな、跡部。わざわざ部長がやるような仕事でもないやろ。ここは一部員な俺がやったるから、跡部はゆっくりストレッチでもしとればえぇわ」

「………………俺様がを手伝うんだよ」

「俺や。そんで、ちゃんの笑顔をご褒美に貰う」

「ふざけんな。そんな下心があるヤツは、に近づくな」

「笑顔見せてもらうだけのことや、どこが下心やねん。そんなん言う跡部こそ、ちゃんに何か要求しようとしてるんやろ」

「俺は家に帰れば、いくらでもしてもらえるから別にいいんだよ。ただ単に俺は、の負担を減らしたいだけだ。褒美でしか要求出来ねェテメェとは違うんだよ、バーカ」

「………………去ね、跡部」

ボスッ、と忍足の枕が跡部の後頭部に直撃する。
後頭部に衝撃を受けた跡部はというと―――ギラリと瞳を光らせて、ゆっくりと体を反転させた。

「……なにしやがる、バカ眼鏡。妄想しすぎて、とうとう頭ン中に虫でも湧いたのか?あぁん?ふざけるなよ、テメェ」

ボスッ、と投げられた枕を投げ返す跡部。投げ返された枕は、忍足の顔面をちょうど直撃した。
ズルリ、と枕が自分の顔を滑っていくのを感じると同時に、自分のこめかみがピクピクと動いてることにも気付く忍足。重力に忠実に、ベッドへ落ちていこうとする枕をガシッと掴んで、振りかぶる。

「えぇかげんにせぇよ、跡部。今度という今度は許さへんわ。毎回毎回、自分だけえぇ思いしすぎやねん!」

「あーん?当たり前だろ、俺様はの―――……ッつ!」

ボスッ、と跡部の顔面に忍足の枕が直撃して、言葉を止めさせる。

「……なんか言うたか?跡部。聞こえへんかったわー」

「……っ……テメェ……ッ!今日という今日は認めてもらうぜ、俺とは―――「聞こえへん聞こえへん〜。あー、ほな俺寝るわー。明日も早いしなー。ほなな、おやすみー。ぐー(空いびき)」

「…………ッ……テメェ、覚えてろよ……ッ」

(ぜってぇいつか殺す……!)

人生で、何度目かのその誓い。
イライラと布団をかぶり、さらにいつもは隣にいるはずの愛しい人間の不在に、苛立ちは増した。

「…………ちっ……」

ざわざわとざわめき立つ心をなだめようと、大きく息を吐く。

愛しい人間のその温もりを思い出し。
ようやく、心を平静に戻して。

心の中で小さく、壁を2つほど隔てた、その先にいる相手に向かって、いつものように就寝の挨拶を言う。

『おやすみ、景吾』

いつもの声を思い出して。

跡部もゆっくりと目を閉じた。