30も目前に控えてきたら、そろそろ『結婚』という文字がちらつき始めた。

その相手をちょっと探すためにも、こうして芸能人なんかがたくさん集まる、大規模なパーティーに顔を出したわけだけども。

まさか、

入り口から、こんな素敵な出会いがあるとはね。





俺がホテルに入ってすぐ、慌しくロビーに駆け込んできた人影。
まず、目を惹かれたのは淡いブルーのドレスだった。
色はパステルカラーでかわいらしいけど、デザインは中々大人びていて……一目で『良い物』だな、と思った。
『良い物』を着ているということは、それなりに『良い者』なんだろう、とドレスから目線を動かして、着ている本人を見た。

年は……20代前半くらいか?年齢の幅が広く見え、学生と言われても、20代後半と言われても、納得してしまいそうだが、俺よりは確実に下だろう。

キョロキョロ、とあたりを見回している。……誰か探しているのだろうか。
困ったような表情をした後、こちらを向いたので、彼女を見ていた俺と必然的に目が合った。
一瞬迷ったように視線を動かした後、意を決したように俺に向かって歩いてくる。

「あの……すみません、ちょっとお尋ねしてもよろしいですか?」

「……えぇ、なんでしょう?」

出来る限り落ち着いたトーンで。
別に女性と話すのは嫌いじゃないし、苦手でもない。
というか、むしろ好きな部類だ。

「こちらで……新聞社と出版社合同主催のパーティーが行われてます……よね?」

「えぇ、そうですよ」

肯定の返事をすると、あからさまにほっとしたような表情になる。

「よかった、場所間違えたかと思ってたんで……」

「あぁ……最近はホテルの名前も紛らわしいですからね。……でも、入るには招待状が必要ですよ?」

「あ、そうなんですよね……」

さっきのほっとした表情から一転、また困り顔に。
きっと素直な人なんだろう、思っていることがすぐに表情に出る人だ。

こんな人は嘘がつけないタイプ。
この困り顔は『招待状がない』とかそういう悩みだろうか。
だから、

「もしなんでしたら、私、招待状持ってますからご一緒にいかがです?同伴は何名でも可ですし」

そう、誘ってみた。

招待状がない、ということは、元々『招待状がない』のか、それとも『招待状を忘れた』のか、どちらかだろう。
だが、今までの少ないやり取りの中でも、彼女が虚偽を語るような人ではない、ということはわかる。だから、おそらく後者なのだろう、と判断した。嘘がつけないようなタイプの人が、わざわざ『招待状がない』のに、パーティーに来るとは思えない。

どこか良いとこのお嬢さんかもしれない。
よくよく見れば、ネックレスなんかも高級品だし、靴は有名ブランドのものだ。
身長もあるから、もしかしたらモデルかも。
……とりあえず、あのパーティー会場にいてもおかしくない人だろう。
元々、大規模なパーティーだから、知り合いにくっついてきた一般人もいる。
彼女1人くらい、どうってことないはずだ。

俺の提案に、彼女はまた困り顔。
……本当に表情が豊かな人だと感心してしまった。

「えーっと……実は人と待ち合わせしてて……あ、そっちが招待状持ってるんですけどね……」

「なら、とりあえず、入るだけ入って待たれてもいいんじゃないですか?会場のほうで、どなたかお知り合いがいらっしゃるかもしれませんし」

「まぁ、多分いるにはいると思うんですけど……」

このパーティーは大きいものだから、芸能人からスポーツ選手まで幅広い人間が揃っている。
食べ物や飲み物もあるから、待つにはロビーよりも会場のほうがいいと思う。
連れが来ても、受付に言付けしておけばいいし。

まぁ、その『連れ』が来るまでに、少し話を展開させておこう、なんて下心も少しあるわけだが。

……善は急げ。
再度、彼女に話しを促そうとしたら。

「人のものに手を出さないでもらえますか」

唐突に聞こえてきた声。
どこから聞こえてくるんだ?
視界内にそれらしき人影はない。

いや、待てよ。
この声は、男の……子供の声?

ぱっ、と視線を下に向けると、彼女のドレスの後ろから現れた小さな影。
それこそ幼稚園かというくらいの年頃だろう。だが、整いすぎている顔と、大人のスーツをそのまま小さくしたような装いが、やたら大人びた印象を与える。
この子が言ったのか?
……あんな、セリフを?

「景士!」

彼女の声に『けいし』と呼ばれた子供は、ほんの少し、本来の年齢に近いであろう子供っぽい笑みを浮かべた。
その直後、ギラ、とものすごい眼力で俺を睨んでくる。
……どこかで見たことがあるような気がする顔だが、あいにく、こんな年齢の知り合いはいない。

「…………えーっと……弟さんですか?随分小さいんですね」

少しかがんで、『けいし』くんに目線を合わせた。
出来るだけ、子供受けするような笑顔を作る。

「いくつかな?随分しっかりしてるね」

「子供扱いするな!第一、弟じゃない!」

凄まじいレスポンスで返ってきた声と、相変わらずの眼力。
子供ながら、その凄まじい剣幕に驚いた。

「コラ、景士!なんて口の利き方するの!すみません!」

「……いえ、お気になさらず」

どうせ子供のいうことだ。
さらりと受け流して…………ん?
…………弟じゃない?
そう言わなかったか、この子供は。

受け流せない部分を発見してしまった。

「それに、人のこと『もの』なんて言わないの」

彼女が男の子を叱っている様子からして、親しいことに変わりはないようだ。
一体どういう関係なのか、それくらい聞いても差し支えないだろう。
疑問を口に出そうとしたその時―――。



「その辺で、もういいですかね?」



違う声が、ホテルの入り口方向から聞こえた。

それも今回は子供じゃない。

……明らかに、男の声だ。

同性の俺が聞いても『いい声』だ、と思うほど、低く落ち着いた声。大して大きな声でもないのに、やたらと通るのは低いからだろうか。
とにかく、その声を聞いたとたんに、『けいし』くんが、ホテル入り口方向を向いて、叫んだ。

「……パパ!遅い!」

悠々と歩いてくる人間は、少し呆れたような表情。

「ったく……お前がネクタイ選びに時間掛かったんだろうが」

「それとこれとは話が別!……第一、僕、言ったでしょ?ママと会場で待ち合わせなんて、危なくて仕方ないって!」

「仕方ねぇだろ、予定ってもんがあるんだからよ」

ゆっくりと歩いてきて、俺の足元にいる子供の頭を撫でた『パパ』と呼ばれた男は、完璧な笑みを浮かべた。

跡部、景吾―――。

その場にいる全ての人間が、現れた人物の正体を認識するのに、少しの時間を費やす。
だが、その人物を、あの『跡部景吾』だと認識すると同時に、ホテルのロビーが大きなざわめきに包まれた。
それを一向に介する様子もなく、跡部景吾は足元の子供をひょいっと抱き上げ、ブルーのドレスの彼女に視線を合わせた。

「悪いな、。待たせた」

「ううん、平気だよ。でも、いなかったから、ホテル間違えたかと思って焦っちゃった」

「俺はお前が他の男に捉まってて焦った」

「…………捉まってた、ってそんな……」

「そうだろーが。……妻が失礼した。行くぞ」

俺に向かって軽く目礼だけすると、『妻』……確かに彼はそう言って、『けいし』くんを抱いていない方の手で、ブルーのドレスの彼女の腕を取った。

「あ……あの、ありがとうございました!すみません!」

ペコ、と頭を下げて彼女が叫ぶ。
ぼんやりと彼女たちが歩いていく方を見つめた。

「何謝ってんだよ」

「だって……」

「ママはもっと警戒してよ。ホント、心配だよ、僕は……」

「うっ……景士に心配された……」

「俺は景士の気持ちがよくわかるからな。同意しておくぜ。……ったく、俺様のもんに手ェ出そうとするなんて、1億年早ぇ」

「あ……そっか、景吾の所為だー!」

「?何がだ?」

「景士が私のこと『人のもの』とか言ったんだよー。それ、景吾の所為だ!」

「なんだ、そんなこと言ったのか、景士。だが悪いな……は俺のもんだ」

「だからそれがいけないんだってばー!」

「パパ……パパが仕事でいない間に、ずっと一緒にいるのは誰だと思ってるの?」

「……ほぅ、言うようになったじゃねーか」

「なんの話をしてるのー!」

そのやり取りでわかる。
彼らが―――家族、なのだと。

直後、パーティー会場のほうで、少しの騒ぎが起こる。

「跡部夫妻だ……子供もいるぞ」

「珍しいな、あの男がお気に入りの家族をこんな場に出すなんて」

「息子のお披露目か……しかし、相変わらずの愛妻家だな。見ろよ、絶対離そうとしないんだぜ?」

そんな言葉が、そこかしこで聞こえた。



色んな声を聞きながらも、なんとなく信じれなかった俺が、 あのブルーのドレスの彼女が、『跡部景吾の妻』だと心の底から信じることが出来たのは。

数々のプロテニスプレイヤーに囲まれてるところを、跡部景吾とその子供、跡部景士が妨害しているのを目撃してからだった。