ブーブー……というバイブ音が枕の下で響いた。 その音をきっかけに浮き沈みを繰り返す意識。しばらくして、隣でもぞもぞと動く気配がした。 バイブ音を止めようとしているその手を掴んで、軽く抱きしめる。 ちゅ、と額に唇を当てれば、照れたように笑う姿はずっと前から変わらない。 「景吾はもうちょっと寝てて」 はまだ意識が覚醒しきっていない俺を気遣うように、小さく小さく耳元で囁く。 それがたまらなく愛しくて、思わず唇にキスをした。 完全に目が開ききっていない俺を見て、は微かに笑ってぽんぽん、と俺の頭を軽く撫でる。 それはいつも俺がにやっている仕草で、いつからかも俺に対してやるようになった。 「後で起こしにくるね」 そう言い残すと、はベッドを抜け出した。 カーディガンを羽織い、向かう先はきっとキッチン。 ―――景士が幼稚園に入ってから、週に一度訪れる風景だ。 がいなくなったベッド。シーツに残るわずかなぬくもりを感じながら、俺はまた目を閉じた。 景士が通う幼稚園は有名私立の幼稚園。普段は一流シェフが作る給食が出るが、週に一度、水曜日だけは弁当を持っていく。それが決まり。 入園前は、かつて俺たちがそうしていたようにシェフたちに弁当作りを頼もうかと思っていた。別に、俺にとってはそれが普通だったし、少なくとも景士が通う幼稚園に行く家庭の子供であれば、シェフが弁当を作って持ってくるというのは至極当然のことと思えた。 何気なくにそのような話をしたら―――俺の考えとは違い、あっけらかんとした顔で「私、作るよ?」と言ったのだった。 だって仕事をしているし、もともと朝はあまり強い方ではない。いつも1分1秒を惜しむように、バタバタと支度するのが毎朝の出来事だった。 思っていたことが顔に出ていたのだろう。 がぽりぽり、と頬を掻きながらと、微かに笑ってこう言った。 「いつも、シェフが作ってくれてるけど……こういう時ぐらい、ちゃんとお母さんの手料理食べてほしいもんね」 大丈夫、頑張るから!と胸を張った。 その姿があまりにも可愛かったので、「無理はするなよ」と言って軽く抱きしめた。 それ以降、は水曜日だけはいつもより早く起きて、欠かさず弁当を作り続けている。 シェフたちにアドバイスをもらいながら一生懸命作っていて、ハンスに聞いた限りでは『味も見た目もausgezeichnet(Excellent)!』らしい。 景士も水曜日が楽しみでしかたない様子で、弁当を持っていった日の夕食時には嬉しそうに感想を話す。 「ロールサンド、すごくおいしかったよ!あと、小さいハンバーグも!」 はその言葉を聞いて、満面の笑みで頷いた。 笑顔で2人が楽しそうに話しているのを見るときが、と結婚して―――景士の父親になって、本当によかったと思える瞬間だ。 「そうか……来週も楽しみだな。うらやましいぜ」 「あ、景吾も持ってく?」 がそんな言葉を発してこちらを見た。 その発言に少々驚いて、俺は食事の手を止める。 そんな俺を見て、ハッ、とも動きを止めた。 「うわわ、ごめんごめん!会社に、ちゃんとシェフいるもんね!ごめん、そんなつもりで言ったんじゃないんだ、ごめん!」 ものすごい否定具合に、悪戯心が芽生える。 「……そんなつもりって、どんなつもりなんだ?あーん?」 ほんの少し口角だけあげて、低い声で尋ねた。 「えっ?や、その……」 「今のは、嬉しい驚きだ。……俺は、お前がそう言ってくれて嬉しいぜ?」 「へ?」 「毎週、お前の手料理が食べられるなんて贅沢、俺が断るわけがねぇだろ?」 「え、あ…………ハイ……」 赤くなって小さく返答したは、照れ隠しかモクモクと食事を口に運ぶ。 「お前の負担にならないのなら……作ってくれると、嬉しい」 「負担なんてとんでもない!……へへ、じゃ、来週から作るね!」 あぁ、と頷くと、は再度笑顔になった。 翌週、景士と俺にひとつずつ弁当が渡された。 景士はいそいそとその弁当をバッグに詰め込み、俺は俺で弁当を受け取った後、『くれぐれも慎重に扱え』と言って秘書に持たせた。 今日は俺と景士が一緒に出る。玄関を出たところで後ろを振り返ると、ヒラヒラと手を振っているが見えた。景士が手を振り返すのを横目で見ながら、俺も軽く手をあげた。 「行ってらっしゃい!」 追いかけてきた言葉が、いつも聞いているものより数倍くすぐったさを感じさせる。 ……今日の午前中は、ランチのために頑張れそうな気がするぜ。 もちろんの弁当は非常に美味く、空になった弁当箱を持ち帰ればが嬉しそうに笑った。 その笑顔に眩暈を感じて、キスの雨を降らしてしまったのは―――不可抗力だ。 |