跡部景士、3歳。

誕生日、10月10日。

血液型、A型。

好きなもの。


ママ。






「それじゃ、行って来るね」

玄関先で振り返ったに、見送りに出てきた俺は1つ頷く。

「気をつけて行って来いよ」

「うん。……途中で暇になったら、色々メールしちゃうかも」

「クッ……あぁ、待ってるぜ」

―――今日は、スポーツトレーナー講習会。俺のトレーナーとして働いているは、こうして月に1回くらいは何かしらの講習会に参加する。
正直言って、内容としては、中学のころからトレーナーのようなものをしていたにとっては、不必要だと思う。しかし、参加することで、新たな情報がつかめたり、またトレーナー同士の繋がりも出来たりするから、はこうして参加しているみたいだ。

「帰るときはまた連絡しろ」

「うんー。……ホント、久々のオフなのにごめんね」

「気にするな。……その分帰ってきたら、サービスしてもらうぜ?(ボソ)」

「な、ななななな何を……っ!あー……もう」

心持ち赤くなった顔。が大きく息を吸って吐き出し、気分を落ち着かせる。
もう1度『もう……』と小さく呟いたは、今度は少し腰をかがめた。

「……じゃ、景士。パパといい子で待っててね」

腰をかがめたのは、俺の横にいる人間に目線を合わせるため。
俺の横にいる人間―――景士が、の目を見て、しっかりと頷いた。

「うん。ママ、行ってらっしゃい」

「はい、行ってきます。……じゃ、景吾。よろしくね」

手を振って、が玄関から出て行く。
扉が閉まるところまで見てから、俺は景士を振り返った。

「さて、と。……景士、今日は男2人だ」

「……ん」

がいなくなって、少し不安げに見える景士。
……俺様の息子というだけあって、普通の3歳児に比べて頭の出来は抜群にいいが、やはりまだ3歳。母親の姿が見えない、というだけで不安なのだろう。

ひょい、と俺は景士を抱き上げた。

「とりあえず、部屋行くか」

抱き上げた重みは、日々増している。
生まれたときは3キロなかったのにな……今はもう10キロを軽く越えている。

「じ、自分で歩ける!」

「……あーん?」

「降ろしてー!」

バタバタと暴れる景士。

……また始まったか。

ひょい、と地面に景士を降ろすと、暴れた所為で軽く息を乱している景士が、ギッと俺を睨み付けた。

……景士は最近、目に見えて俺をライバル視するようになった。
以前から、俺と張り合おうとしてる節はあったが……最近は、さらに顕著になってきている。
の前ではなんてことないフリをして、いい子ちゃんでいるが……俺と2人きりになると、とたんに敵対心をあらわす。
母親を独り占めしたいのだろう。

「ほら、さっさと2階行くぞ」

「〜〜〜〜〜〜!」

俺が階段を上り始めると、景士も結局はついてくる。
ちら、と視線を送ると、なんともいえない悔しそうな表情を浮かべるが、何も言わずについてきた。

「……クッ……」

それが面白くて、思わず笑ってしまうと、また睨まれる。
それでもてくてくとついてくる景士と一緒に、娯楽室へ入った。

ソファに座って、景士を招く。

むっつりとした顔の景士が、渋々と隣に座った。

「で、今日はこれからどうするよ?テニスでもするか?」

「す……!ううん……本、読む」

嬉しそうに肯定しかけ、はっ、と口をつぐんでそっぽを向く景士。
どこまでも反抗したいらしい。……これが噂の『リトルギャング』ってヤツか。

頭の発達が早いらしく、書けはしないものの、文字を読むことはすでに出来る。跡部家では、3歳の誕生日から俗に言う『英才教育』を始めるが、景士は家庭教師も驚くほどに頭の発達が早い。簡単な漢字ならもう読めてしまうから驚きだ。
今も、どこからか本を持ってきて、大人しく1人で読み始めた。
それを敢えて邪魔する気もない。俺も詩集を引っ張り出し、久々のゆっくりとした読書の時間を過ごすことにした。





しばらくして、景士が立ち上がった。
視線を本に落としたまま、視界の端で景士の動きを捉える。

本棚の前をうろうろとし、やがて本を取り出す。少し悩んだそぶりを見せた末に―――俺の横にボスン、と座った。
そうして初めて、俺は景士に視線を向けた。

「なんだ?」

「…………本、読んで」

「あーん?お前、持ってる本は大体読めるだろ?」

「……これは難しい漢字がいっぱいで読めないの」

どんな本だ、と思って差し出された本を見れば。

「…………『証券会社 裏の裏』…………またコアなもん選んだな、お前……意味わかるのか?」

コクン、と頷く景士。

「この間、おじいちゃんが帰ってきたときに買ってもらって、ちょっと読んでもらった」

…………親父……3歳児になんの本を買ってんだ……。

相変わらず海外を飛び回っている、孫馬鹿と化した親父を思って頭を押さえた。

「ずっと続きが読みたかったんだけど、ママに読んで、って言ったら、きっとひっくりかえっちゃうだろうから」

「……そりゃ正解だ」

も、景士が並外れた頭を持っていることには気付いてるが、まさかこんなものまで……とは思っていないだろう。

「……わかった。読んでやるからよこしな」

ん、と差し出された本を受け取り、景士をひざの上に乗せた。
なにやら文句を言いたそうにこちらを見たが、まんざらでもないらしい。結局、何も言わずに俺に寄りかかる。

「どこからだ?」

「34ページから」

「……あぁ、ここからか……」

「あ、それから……パパ」

「……あーん?」

「……後で、こっちも読んで」

もう1冊差し出されたのは―――『テニス…シングルスの全て』
―――血は争えない、とはよく言ったもので。
景士は、物心つく前から、テニスに惹かれていた。

……テニスと共に生きてる身としては、これ以上嬉しいことはない。

「……わかった。じゃ、この本を50ページまで読んだら、こっちの本読んで……その後は、庭でテニスするか」

「…………うん!」

今度は素直に頷いた景士の頭を、ゆっくりと撫でた。





「ただいまー」

ガチャ、と部屋のドアを開けたら。
ソファで仲良く寝ている2人の姿が、あった。

「……何コレ」

机の上に、置かれている本は―――『証券会社 裏の裏』?……こんな本、持ってたんだ、景吾。

荷物を置いて、上着をクローゼットにしまう。

部屋に入ってきた私に、まったく気付いていない2人は、ずっと眠り続けていた。
テニスでもやったのかな、服を着替えているし、ラケットバッグが出しっぱなしだ。

寝ている二人は、景吾の目元にある泣きボクロを除いたら、本当にそっくり。
クスクス、と思わず笑いが漏れてしまった。
ふ、と景吾の目がぼんやり開く。

「……?」

「うん。帰ったよ」

来い来い、と景吾が手招きをするので、ソファへ。
ストン、と景吾の隣に腰を下ろせば、肩に腕を回される。景吾は眠たくてたまらないのか、再び目を瞑った。

「…………ワリィ、寝ちまった」

「いいよいいよ。気にしないで」

「…………ママ?」

今度は、景吾の隣に寝ていた景士が目を擦りながら、こちらを見た。

「うん。ただいま。ごめんね、起こしちゃった」

「ううん……おかえりなさい……パパ、ずるい……ママ独り占め……」

もそもそと動いて、景士が私の隣に移動してきた。

「……あーん?さっきお前、俺に勝てなかっただろ?」

「まだまだ、僕はあんなもんじゃない……」

ぎゅーっと抱きついてくる景士の頭を、ぽんぽん、と撫でる。すると、気持ちよさそうに目を閉じ、また小さな寝息が聞こえてきた。

「……テニスしてたの?オフだっていうのに、ホント、テニス三昧だね」

「あぁ……でもコイツ、中々骨があ、る…………」

コトン、と景吾の頭が、私の肩に乗っかり、景士と同じ、小さな寝息が聞こえた。
両脇からかかる、愛しい重み。

「…………おやすみ」

今度のオフは、3人一緒を願って。