「……楓?……かーえーでー?」

『…………』

無言。

(こりゃ、カンッペキに寝てるな……)

仕方ない、とは受話器を静かにおいた。

「向こうじゃ10時過ぎか……疲れてるだろうし」

誰もいないのに思わず独り言。

はっと気付いて口を塞ぐ。

口を塞いだら、一瞬にして静かな世界が訪れる。

『1ヵ月……1ヵ月で戻ってくるから、待ってろ』

3週間前に流川の言った言葉が、の頭の中に反芻した。





涙の行方






トントン……と、包丁を動かす。

「今日は、コロッケvv」

誰もいないのを隠すかのように、わざと明るく振舞ってみる。

だけど、やっぱり静寂は訪れて。

それでもごまかそうと、テレビをつけてみる。

丁度バラエティー番組で、包丁を動かしながら、一緒になって笑ってみた。

口から出てくる笑い声。

乾いた、嘘の笑い声。

ぽろっ、と一粒涙が出てきたのを急いで拭って、包丁を動かした。

「ニュースにしよっ、と」

無意味な掛け声。

数週間前だったら、文句を言う声が聞こえていたのに。

そこでささいな口げんかをして。

でも彼に勝つ事は出来なくて。

怒って部屋に戻ろうとしたら、抱きしめられて。

上手く丸め込まれて、いつの間にかあぐらをかいた彼の上で一緒にビデオを見てる。

憧れてる、NBAのビデオ。

「……っと、あ。コービーだ」

ニュースで見慣れた選手を見つけて、思わず手を止めて見入ってしまう。と。

『彼はとてもいい選手だね。もう数年いたら、きっとNBAでも指折りのスターになるかもしれない』

そんな字幕が流れる。

『彼とは、誰ですか?』

リポーターの質問。わかりきっていることなのに、あえて聞いている。

『kaede rukawa』

はっきりとコービーが言った。

字幕にしなくても、わかる、単語。

『今、僕から交渉しているんだよ』

ポロッと包丁が落ちそうになる。

慌てて握りなおすが、そのときに反対側の手を掠ってしまった。

プクリと浮く赤い玉。

私が泣くのは、痛みのせいだ。

と言い訳して、は溢れてきた涙を自然にまかせた。





ひとしきり泣き終え、食べる気のなくなったキャベツの千切りを皿の上に盛って、ラップをかけて冷蔵庫にしまう。

まるでそれが終わるのを待っていたかのように、電話が鳴り響いた。

もしかして?

なんて思って、受話器をとる。

『あ、ちゃん?……オレ、清田』

「……あ、あぁ。ノブかぁ。どしたの?」

『……テレビ、見た?』

「テレビ……?」

そこで、先ほどのコービーのことかと思い当たる。

「もしかして、コービーの話?」

『そう、それだよ、それ!……ったく、あんな奴、この清田様にかかればちょちょいのちょいだってのに……』

クスクス、と笑いがもれてしまう。

彼が自分を慰めるための電話をかけてきたということに、気付いているからだ。

「ハイハイ。……で、ノブはもう練習終わったの?」

『今日はなんか早く終わっちゃって!』

「じゃ、うち来る?コロッケ作ろうと思ってたんだケド……」

『行きます!行かせて下さい!……そんでついでに流川の弱点とか、教えてくれ!』

「ん〜……よくわかんないけど、あったら持ってっていーよ♪」

『それじゃ、いまから行くから!……コロッケ楽しみにしてるぜ!』

勢いよく切れた電話。

クスクス笑いながら、はゆっくりと受話器を置いた。

そして、再びキッチンに戻る。

先ほどよりも軽やかな包丁さばき。

あっという間に材料をきり終わった。

すると、インターホン。

「はいはい。ノブ?」

「おう!」

ドア越しでもよく聞こえる、元気のいい声。

ガチャリ、とあけて入ってくる、よく見知った顔。

「ごめん、まだ揚げてないんだ。……ソファにでも座って待っててくれる?……あ、楓の部屋でも見てく?」

「流川の部屋……弱点……見てもいい!?」

「どーぞどーぞ。……多分、見ても面白くはないよ?」

「なんでもいい!サンキュッ!」

どたどたと騒がしく移動する清田。

「さて、と……」

油をよく温めて、衣をつけたコロッケを、そっと落とす。

じゅわっという音と、香ばしい香りがする。

その瞬間が好きだ。

そして、それを彼が食べる時の顔が好き。

ぼーっとしていた、5個目のコロッケでそれは起こった。

ボフッという音を立ててコロッケが爆発する。

中身と油が跳ね上がった。

「あつっ……!」

思わず、菜箸を取り落とす。カランカランと箸が床に散らばった。

ちゃん!?」

声を聞きつけて流川の部屋から出てきた清田が、に駆け寄った。

「なにがあった!?」

「あつつ……ちょっとコロッケ爆発させちゃって……ここ最近作ってなかったから……ごめんごめん……」

中身が触れたところを水で流す。

「ここ最近……ってことは、もしかして流川……?」

の顔から、笑みが消えた。

が、すぐに笑顔を取り繕う。

「そうそう。楓がコロッケ好きなの。……あ、弱点かな、これ?」

すっ、と清田の顔から表情がなくなった。

「……ちゃん」

「でもキャベツはあんまり好きじゃないみたいでさ。……それでも、ちゃんと食べる事は食べるんだけど」

「……ちゃん」

「ご飯食べる量が尋常じゃないし」

ちゃん!自分が泣いてる事、気付いてねぇのかよ!」

本当に、言われて気付く。

自分の頬を伝っている涙に。

「……あれ?……なにやってるんだろ、私」

乾いた笑いと、濡れた涙。

「……ちゃん……」

清田の声に、初めての顔がゆがんだ。

「……辛いよぉ……楓がいないんだもん……ただいまって声も、いってきますの声も……どあほうって声もない……楓がいないと、私、なんにもできない……電話も……ね……楓は忙しいから……後、3週間、後2週間……って思っても……」

「――――!やめちまえよ、そんな奴!」

ぎゅっ、と清田が抱きしめた。

「流川なんかやめて……オレにしろよ!オレだったら、ちゃんを悲しませるようなこと、絶対しないっ!」

「……ノブ……」

カチカチカチカチ……

時計が、規則的に時を刻む。

静かな時の中に、けたたましく鳴り響いた、ベル。

我に返ったように、清田はから離れた。

震える手で、受話器を取る。

「……も、もしもし?」

『……か?』

「……楓?」

の声を聞くと同時に、清田はその受話器をひったくった。

「おい、流川か!?」

『……なんでテメーがここにいる』

「んなこたどーでもいい!流川!てめーがちゃんを悲しませてんだ!これ以上悲しませんだったら、オレがちゃんをもらうからなっ!わかったか、馬鹿野郎!」

『……と替われ』

清田はぐっ、と詰まって受話器をに手渡した。

「……も、もしもし……」

『…………泣いてんのか?』

「な、泣いてないよっ」

咄嗟に出た嘘。後ろで清田がちゃんっ、と叫ぶ。

『…………どあほう』

ブツッと電話が切れた。

の、時が止まる。

ちゃん?……あっ、流川、切りやがった!」

「あは、ははっ。ったく、なんなのよ、楓ってば。……あ、ノブ。ごめんね」

「……いや、いいッス……それじゃ、オレ。もう帰るッス!お疲れ様でした!」

「えっ、あ、ノブ?コロッケ……あ……行っちゃった」

嵐のように行ってしまった、清田。

そして、溢れ出る、涙。

……もう、駄目だ。

は、コロッケの後片付けをして、そのままストン、とソファに倒れこんだ。





『…………ったく』

いつもの、呆れるような声が、懐かしい。

電話越しじゃなくて、顔がみたい。

『…………どあほう』

そういって、いつもは大きなため息つくのに。

今はそれさえも聞こえない。

『…………はぁ〜……』

……人の回想に耳を指すように、溜め息をつかないでください。

『…………んなこと言ってる場合か、どあほう』

冷たい何かが額に触れた。

「……冷たっ」

慌てて目を覚ます。

時計を見て、もう次の日の夜だと気付く。

(……1日、ずっと寝てたの?私……)

「……まさか、楓じゃあるまいし……寝すぎだって……」

「…………どあほう」

「……全く……ぇ?」

聞きたかった、声。

はぁ〜……と聞こえる溜め息。

額に触れられたままの、冷たい、手。

手をとって、感触を確かめる。

「……なにしてやがる」

ぐいーっと思い切り手をひっぱってみた。

「…………おい」

「…………あなた、誰?」

「あぁ?」

は、思い切り疑問符を浮かべて言った。

「……いや、流川楓の家は確かにここで……そっくりさんだってことはわかったんだけど、本人は今アメリカのロサンジェルスにいってて……あの、NBAのロサンジェルスレイカースって知ってる?あそこに今行ってるんだけど……」

「……何言ってやがる、本人は今ここにいんだろ」

「…………本当に、楓、なの?」

「オレじゃなかったら、誰だって言うんだ、オメーは」

「…………なんで、ここに……」

「…………」

無言で、抱きしめる。

3週間、会っていなかった愛しい人の感触を確かめるように、キスをし、抱きしめる。

「……オメーが、泣くから」

そういって、もう一度キスをする。

「……が泣くから、気になった。……それに、うるさい奴がいたみてーだし」

「……でもっ……楓、向こうで今交渉……っ」

「……うるせぇ」

キス。

自然に溢れ出た涙は、流川にすくい取られた。

「…………他の事なんかどーでもいい。……オメーが大事だ」

「……カエ……デ……」

「オレがアメリカ行く時は、と一緒だ。……が一緒じゃなきゃ、行っても意味がねぇ」

「…………」

「……おい、聞いてんのか」

キスをされて、我に返る。

「き、聞いてるけど……でも、それよりも今は……!」

「……あぁ、コービーに言ってきた。……レイカースに残ることが決まった」

「……残る?」

「……オメーと一緒にアメリカだ」

「…………ホント?」

「……オレがに嘘つくか、どあほう」

はぁ〜、とまたも溜め息。

「……それで、返事はどうなんだよ」

「返事?」

「…………この、鈍感女……」

「なにそれっ……」

「結婚するか、しねぇのか」

爆弾発言に、の呼吸が止まりそうになる。

「……楓……っ?」

「……どーなんだよ」

涙を流したまま、は微笑んだ。

「一緒に行く!楓と」

流川は、を抱きしめて、3週間ぶりに寝室へ足を入れた。





『え〜、たったいまレイカース側が発表した内容によりますと、日本人プレーヤー、流川楓選手がレイカース入りすることが決定しました。繰り返します。日本人プレーヤー、流川楓選手がレイカース入りします。日本人のNBA入りは、一年前の現キングスの沢北栄治選手以来です。今後、沢北選手と流川選手の対決もありそうです』

ベッドに寝たまま、テレビを見つめる。

「…………すごい騒ぎだね」

「ふん。……これでやっとアイツと戦える」

「沢北さん?……あ〜、見たいなぁ、沢北さんのプレイ」

「……オメー……」

「楓のプレイも見たいよ、もちろんっ。コービーとのコンビも見たいし」

ニッコリ笑うと、流川はその唇を自らの唇で塞いだ。

「…………まさか、流川選手が日本にもどってきてるなんて思ってもないだろうね」

「…………あぁ」

「しかも、結婚……だって」

クスクスと笑うと、思い切り抱きしめられた。

「…………それは、アイツに勝った」

「え?……あぁ、結婚ね。結婚で沢北さんに勝ったって……」

「勝ちは勝ちだ」

「……そうですか」

流川はもう一度の唇を塞いだ。





翌週、

日本中の女の子が『流川楓、結婚』の報道に泣いた。





あとがきもどきのキャラ対談



銀月「うぃ〜っす……やっと終わったぜ……『誓い』のような感じで書こうと思って書いてみたんだけど……」

流川「……例の如く、オレが少ししか出てないな」

銀月「……あー、そうですか……でも、いいとこどりじゃん。結婚までしちゃうし」

流川「……んなっ……あれはが泣くから……」

銀月「ハイハイ。あなたはさんにラヴラヴだからね〜……」

流川「……どあほう……」

銀月「ところで、この話に出てくるコービーって実在の人で……私の好きな選手の1人なんだよね。……チームとしては、キングスの方が好きだけど」

流川「コービーはすげぇ……、楽しみに待ってやがれ」