『授業参観のお知らせ
初春の風も心地よく、森の木々も新芽を伸ばし始めました。
さて、来る動地の節一の月、23日に授業参観を実施いたします。ご父兄の皆様には、ぜひともご参加して―――。』
ぐしゃり。
バノッサは案内の紙を握りつぶした。
「あんの、バカ…………ッ!」
それを向けられた相手は、果たして―――?
08「…………気の毒に」
どうも様子がおかしいと思った。
人の腕から抜け出していくときにシーツを踏んづけて転んだり、珍しく包丁で手を切ったり。
嘘をつくのが苦手な彼女がポロリと出した、唯一の手がかりだったのに。
バノッサはとりあえず、黒のシャツに茶色のジーンズに着替え、1階にいる彼女の護衛獣の部屋へ飛び込んだ。
ものすごい勢いで扉を開けられた部屋の主は、読んでいた書物を閉じてしまうほど驚いた。
だが、それに構わず、バノッサは怒鳴る。
「アシュタル!カリンと留守番してろ!オレ様は出かけてくる!」
「あ、おい、バノッサ!?」
アシュタルの疑問の声も聞かず、バノッサは家を出て、王宮の近くに新設された学校へ向かう。
数年前から、騎士団長と顧問弁護士の進言で、王宮近くに学校が設置された。
目的は、子供たちの基礎教育の確立と、優秀な召喚師を探し出すため。
学校では、一通り召喚術のなんたるかを教えられ、希望する者には召喚術の授業が取れる。その中で優秀な生徒は、金の派閥へ優先的に入ることができる、というシステムだ。
バノッサたちは、子供を金の派閥へ入れる気など毛頭なかった。だが、家庭でできる教育には限界がある。集団の中でなければ学べないこともあるし、なにより子供たちにより多くの世界を知って欲しい、という願いから学校へ通わせた。
色々と行事もあり、何度となく参加を余儀なくされたこともある。
多少面倒くさい、と感じたことはあるが、それでも子供たちと彼女の笑顔が見れれば、まぁいいか、という気持ちになるのも確かだ。
だから、別に今回のことでも言ってくれれば、なにかと忙しい彼女に代わって、キチンと行ってやったのに。
「…………チッ……なんで言わねェんだ、あのバカ……ッ」
何個目かの角を曲がって、目の前に大きな建物が見えてきた。
迷いなく門をくぐって、ところどころに置かれる看板を目印に、目的の教室まで急ぐ。
授業中なのか、廊下には誰もいない。
ようやく目的の教室の前についた。
いったん呼吸を整えて、ゆっくりとドアを開ける。
ドアのところまで溢れかえる人。
そして、途中から現れた人物に対しての、一瞬にして集められる視線。
『バン君のお父さんだわ!……相変わらず、カッコイイvv』
ところどころから、奥様方の声が聞こえる。
それと同時に。
『あの可愛い奥さんの男か…………』
と羨みの父親の声も聞こえた。
そして、子供たちからは好奇の目が向けられる。
輝く子供たちの中に、探していたうちの1つの顔を見つけて、バノッサは少しだけ唇を上げた。
「ウォッホン」
教師の咳払いに、ハッと集中が教師に向く。
バノッサはようやく解放された視線にホッとして、後ろ手にドアを閉めた。
「……では、次の文章を読んでくれる人。手を上げて」
「ハイッ!」
大きな声で、すばやく手が挙がった。
教師は、ニッコリ微笑む。
「それでは、バンダートくん。大きな声で読んで下さい」
指された少年―――バンダートは、ガタンッと席を立つと、朗々と教科書を読み始めた。
バノッサはそれを満足そうに聞き―――気配で彼女を探った。
(左隅の奥から2番目……か)
バンダートが読み終わったあと、一瞬だけ彼の視線がバノッサへ向いた。
微かにうなずいて見せると、バンダートは嬉しそうに席に着いた。
周りからも拍手が漏れる。
「はい、大変結構でした」
教師の言葉を聞くのもほどほどに、バノッサはフッと教室の左隅へ視線を移す。
他の父兄の影に隠れるようにしているが―――向こうも気にしていたのだろう、目が、もろに合った。
ギクッとあきらかに背筋をこわばらせて、彼女は―――は視線を外した。
それを見たとたん―――。
バノッサは先ほどより少し高く、唇の端を持ち上げた。
キーンコーンカーンコーン。
「………それでは、授業を終わります」
生徒が一斉に立ち上がり、ありがとうございました、と礼をした。
頭を持ち上げるのももどかしかったのか、そのまま両親の元へ飛び込んでいく子供たち。
だが、それよりも早く、奥様方はバノッサの元へ集結した。
「お久しぶりですわね、バノッサさん。今日はどうなすったんですの?」
「おたくのバン君は、元気もよく活発でよろしいですわね」
「うちの息子にも見習って欲しいものですわ」
色々な声に、適当に相槌を打ちながら、バノッサはその高い視線を利用して、目的の2つの顔を探した。
1つは奥様方のまわりで、ウロウロと中へ入る機会をうかがっている。
バノッサは、強引に手を抜け出させて、ウロウロしているバンダートを引き寄せた。ボスン、とバンダートは、バノッサの足に激突する。
鼻を押さえながら、バンダートは顔を持ち上げ、叫んだ。
「!!父さま!!」
「よぉ、バン。お前、ちゃんと読めてたじゃねェか」
くしゃくしゃと頭を撫でると、バンダートはへへっと得意そうに笑った。
「だって、父さまと母さまがいっつも教えてくれるから」
「あぁ…………で。お前の母さまはどこだ?」
「え?…………さっきは、後ろにいたけど…………父さまの方が探すの得意じゃん」
バノッサは、かがみこんで彼の耳元でボソッと言った。
「…………探してんだけど、この母親たちが邪魔でよく見えねェんだよ」
バンダートは、あぁ、と頷く。
「……しょーがねぇ、バン。オレ様が肩車してやるから、探せ」
言うなり、バノッサはバンダートを肩車する。
イキナリ視界が高くなったバンダートは、一瞬悲鳴を上げるが、次にはもう母親を見つけていた。
「あ。いた」
「どこだ?」
「…………えーと、エレクのお父さんとガイアのお父さん……それにあれはー……コーディアのお父さんだな……とにかく、いっぱいお父さんたちに囲まれてる」
「………………バカが」
「へ?」
バノッサは、バンダートを下ろすと、手を引きながら母親たちを掻き分け、父親たちがたまっているある一角へ向かう。
「いやぁ〜、本当にいつまでも変わらず可愛いですね〜」
「息子のバン君も、元気がいい子で、羨ましいかぎりだよ、本当に」
「あ、失敬。俺……いや、私はコーディアの父親で…………」
子供にかこつけて自分を紹介しようとしている父親に、わざとぶつかりながら輪の中へ割って入っていく。
文句を言おうと後ろを振り向いた父親の顔が、バノッサを見たとたん道を譲った。
ようやく、並み居る男の中から探していたもう1人を見つける。
「」
かけられた声に、ビクッと反応する人物。
それと同時に、教室中がし〜ん、と静まり返った。
「………………帰るぞ」
「……は、はい…………」
「バン。まだお前は授業が残ってるな。…………しっかり授業受けて来い」
父親の静かな声にバンダートは思いっきりビビリ、直立不動に返事。
「…………はい」
バンダートの手を離して、今度はその手にの手を握り、バノッサ夫婦は教室を出て行った。
後に残されたのは、異様に静まり返った教室と、アイドルをなくした父親と母親。
彼らはこれからあのまだ少女のような母親に降りかかる、『災難』を予想して、ため息をついた。
彼が妻を溺愛しているのは周知の事実。
そして、少しでも彼の性格を知っているのなら、後の行動は想像するに難くないことだった。
誰からともなく呟いた。
「…………………気の毒に」
少しだけ、羨望が混じっていたとか、いないとか。
家に戻ってきたバノッサは、アシュタルの声を無視し、対照的にそれに答え助けを請おうとしていたを、有無を言わさずに寝室へ連行した。
ベッドへ放り出されたは、サァー……と顔を青ざめさせた。
「ば、バノッサ?」
バノッサがの上に馬乗りになる。
ギシ、とベッドのスプリングがきしんで音を立てた。
「…………言い訳するなら今のうちだぜ?…………どうして、授業参観のこと黙ってた」
「………………………」
無言で視線をそらす。
バノッサは意地悪く口角を持ち上げて、の顔に近づいた。
「黙ってんなら、このままヤんぞ?」
驚いての顔が向いた瞬間を見逃さずに、唇を塞ぎ、ついでに抵抗のために振り上げた手を掴み上げた。
「……はっ…………んっ…………ふっ……まだっ……昼間……ッ」
「関係ねぇ。…………白状するなら、待ってやってもいいが?……それでも言わねェんだったら…………」
プツ、とボタンが外れる音がした。
2つ目を外したところで、が降参の声を上げる。
「ご、ごめんなさいぃぃぃ。言います〜〜〜」
バノッサは勝利の笑みを浮かべた。
を抱き起こして、逃げられないようにしっかりと肩に手を回す。
観念したように、は深いため息をつくと、ポツリポツリと話しはじめた。
「だから……ね…………イヤ、だったの…………」
「なにが」
「………………さっきだって、バノッサ、奥さんたちに囲まれてたでしょ?……学校の行事の時って、いっつもそうだから…………それが、ちょっとイヤ、で…………黙ってたの」
ほぅ、とバノッサの目が、愛しさのために少し細くなった。
だが、はそれには気づかない。
「バノッサってば、奥様方に人気だからさ。…………リーネルちゃんのお母さんとか、キレイだし……グラッと来たらどうしよう、とか思っちゃったりして…………だから、黙って授業参観行きました!ゴメンナサイ!」
思いっきり頭を下げたにあわせて、顔を下げたバノッサはそのままキスをした。
「!?」
不意をつかれて、は目を白黒させる。
そのままバノッサはの唇を思う存分味わい―――ようやく解放されたころには、の身体からは完全に力が抜けていた。
そのの耳元に、低く呟く。
「…………んなもん、お前も同じだろォが。行くたびに、父親たちに囲まれやがって」
何か言おうとしたの唇をすばやく塞ぐ。
再びの力を奪ってから、バノッサは続けた。
「今度からはちゃんと言え。…………いいな?」
「はい…………」
「よし」
バノッサはそういうと、くしゃくしゃと、先ほど息子にやったのと同じ行為―――だが、それよりももっと意味深な愛情を込めて、の頭を撫でた。
そして、そのまま、押し倒す。
「……バノッサ、さん?」
「さっきの続きだ」
「しょ、正直に言いましたが!」
「オレ様は、『待っててやる』っつっただけで、『やめる』とは言わなかったが?」
「!!!!!卑怯…………んっ!」
「…………そろそろ、もう1人作るか」
「〜〜〜〜〜!!!!」
扉の外で、ノックをしようとしていたアシュタルは、ポリポリと頭をかいて、その場を去った。
同じ階にいる、カリンの元へと行き、
「カリン。俺と外へ行かないか?(このまま一緒にいて寝室に入られたら困るだろう)」
と、素晴らしい気配りを見せた。
―――実は、この家の中で1番苦労しているのは、他ならぬ彼だったりする。