と話していると楽だ。そのことに気付いたのは、最初に話してから半年と経たない内のこと。
初めは、その身長のせいかと思った。平均身長を軽く上回るであろう背丈は、俺より低くはあるが、大きな差ではない。だから、他の女と話すよりも視線を向ける位置が楽だった。そのせいで、話していても疲れないのだろうと、そう思っていた。
だが、どうやら違ったらしい。
は、俺が背負うものを見ていなかった。テニス部部長、生徒会長、跡部財閥の跡取り――。そういったものを無視して、俺自身だけを見てきた。媚びるでもなく、萎縮するわけでもなく、いたって自然体で話してくる。だから楽なんだと、気付いたのはつい最近のことだ。
一年間同じクラスにいて、やっと気付いた。我ながら遅過ぎる。
だが、好意は向けられるものでしかなかった俺に、自分の中で生まれた感情の処理の仕方は分からなかった。
そのことに気付いたのが今から一ヶ月前。それ以来、俺は常に視界の中に
が入るよう意識するようになった。
は他の奴らよりも頭一つ分高いから、その姿を探すのに困ることはない。
一週間は、その姿を見ているだけで良かった。こんな風に一人の人間を想うなんて自分には似合わないと、自嘲こそしたが。
一週間
を目で追って、更に発見があった。それは、
が誰にでも分け隔てなく笑うということだ。
気に入らない奴はいないんだろうかと、そう疑問に思うぐらい、常に笑っている。
そして、それが自分に向けられている笑顔と同じものだということにも、気付いた。
――気に入らねぇ。
本来なら好意を向けられるべき立場の俺が、誰かにそれを向けている。そのことだけでも面白くない。しかしそれどころか、
にとって俺は「その他大勢の内の一人」でしかないらしい。まったくもって気に入らない。
「跡部くん」
改めて視線を向けなくても、それが誰だか分かる。耳に心地良いこの声は、間違いなく
だ。
だが、それでも顔を上げるのは、やはり
を見たいからだろう。
「なんだ」
「送別会のことで――」
「あぁ。それなら長田に言え。あいつが資料を持ってる」
「あ、うん。ありがとう」
例の笑顔を浮かべ、
が背を向ける。その背中を、ぼんやりと眺めていた。
「あーあー。跡部らしくないなぁ」
「…………」
ガタンと隣りの席の椅子が動いたことにも、気付かないふりを決め込む。
「うわっ、無視かい」
「…………」
「あーとーべー」
「…………」
「けーちゃ――」
「忍足、一度死んどくか?」
うんざりしながら一応視線を向けると、忍足は相変わらずの食えない笑みを浮かべている。
「さっさと自分の気持ち言えばえぇやん」
「なんのことだ」
忍足に負けず劣らず、俺もポーカーフェイスは得意だ。表情を固めたまま問う。
だが、忍足自身自分の感情を隠すことが得意だから、相手の感情を読み取ることも造作ないのだろう。表情は、先程からの胡散臭い笑みのままだ。
「
さんのこと。好きなんやろ?」
「ハッ。俺が
を? 面白くねぇ冗談だな」
「ほんまに?」
「あぁ」
自分でさえ持て余している感情を、他人に告げる必要はない。もし告げるのであったとしても、その相手は忍足でなく――
「なら俺がもろてもえぇ? 前から気になっとったし」
安い挑発だ。そんなものにのるとでも思っているのだろうか。だとしたら、俺も随分軽く見られたものだ。
そんなことを考えている間に、忍足は立ち上がり、
の方へと歩き出した。その姿を追うようにして、
を視界に捉える。長田と楽しそうに話していた。――気に入らない。
休み時間の教室はうるさくて、離れたところで忍足がなんと言っているのかは聞き取れなかった。分かるのは、表情の変化だけ。
忍足が話しかけると、長田はその場を離れた。もう話は終わっていたのだろう。
と忍足が二三言話し、忍足が俺の方へと向けられる。そして、遅れて
の視線も。
目が、合った。俺たちの間には人も机もあったはずなのに、それでも、視線はきれいに交差する。
長いこと、お互いに目を逸らさなかった。
がどうして俺の方を見ていたのかは分からない。ただ俺は、
の表情が気になったから、視線を外せなかった。
いつも笑顔を浮かべている
の顔が、いつもとは違う、少し照れたような笑顔だったから。
だが、その表情も、ほんの数秒で元に戻った。そして再び、忍足と話し出す。
「跡部、ほんまにええの?」
「なにがだ」
「やって、もうすぐ卒業やん。
さん、外部行くんやろ? ちゃんと告っとかな――」
「うるせぇ」
放課後の、誰もいない教室に、その声はよく響いた。
オレンジ色の夕陽が射し込む教室に二人っきり。ロマンチックの代表ともいえるシチュエーションも、男二人ではなんの叙情もない。まして、相手が忍足では。
「用はそれだけか」
「あー……まぁ、そうなんやけど……」
歯切れの悪い返事に苛々する。
「言いたいことがあるならさっさと言え」
「あんな、……跡部、ほんまに
のこと――」
「またその話か。俺が
を好きだなんて、あるわけないだろ」
言い捨て、立ち上がろうと思った瞬間、
カタン――。
教室の扉が揺れた。
そこで初めて扉の方へと目を向ける。磨りガラスの向こう側に映るシルエットは――
「
、」
見間違えるはずもない。あそこに映る影は、背の高い人間のもの。――いや、そうじゃない。俺が
の姿を間違えるわけがないのだ。それが例え後ろ姿であろうと、シルエットであろうと。
俺の声に弾かれるようにして、その影が動き出す。
「――ちっ」
後を追う為に立ち上がる。その時、ガタンと椅子が倒れたが、そんなことに気を回している余裕はなかった。
教室を出る際に忍足を睨みつけると、奴は申し分けなさそうな顔をするどころか、笑っていた。まるで、いたずらの上手くいったガキのように。
そういうことかと納得し、出そうになったため息を飲み込んだ。忍足には明日報いを受けさせる。そう誓って、
の後ろ姿を追い始めた。